ep 策謀の日々
ep1 神明学園理事長室の策謀
開け放った窓のすぐ外で、
「初めてだな、君とふたりっきりで話すのは」
伊羅将を注意深く観察しながら、澄水は切り出した。
「はい」
「花音のいないところで、一度腹を割って話しておきたかったのだ」
伊羅将は黙ったまま頷いた。
「まず最初に安心させておこう。鷹崎とは話を着けた。知ってのとおり鷹崎はもう副理事長の職にはないし、君たちにも学園にも手出しはしない」
「なにか取引したんですか」
「サミエルは失踪したと公表されている。君は、父親がおとなしく引き下がるとは思えないんだね」
「もちろんです」
「あの男は、我欲に囚われた狂人だ。その意味で扱いやすい。我が子の命よりも大きな利があれば、そちらを取るからね」
「しかし人殺しですよ。そんなクズに利益を供与するなんて」
「君の懸念はわかる」
娘の恋人のかわいらしい正義感に、澄水は瞳を和らげた。
「一年だ。一年待っていてほしい。罪人には必ずや相ふさわしい鉄槌が下ることであろう」
「……わかりました」
学園からサミエルの恐怖支配が消え、生徒会も寮の自治委員会も、正常化されつつある。コンパニオンアニマル科と普通科のわだかまりを解消するため、月一で遊びを兼ねた総合集会が開かれることも決まった。
まあそれは、CAの美少女たちと「なんとか知り合いたい」という、普通科男子の涙ぐましい執念の結晶ではあるけれども。
「君も大変だな」
お茶をひと口飲んでから、ネコネコマタ王は微笑んでみせた。
「騎士に任命されたからには、学業のかたわら、それなりの公務をこなしてもらわなくてはな」
「覚悟してます」
唇を結ぶと、国王の目を、伊羅将は見返してきた。
「偉いな」
軽く流して、国王は入り組んだ経緯を思い返した。
陰謀を食い止めたとして、伊羅将に王室殊勲章の
正式な婚姻の儀を経ていないので、花音と伊羅将の成婚は、王室付き儀学者に認められなかった。ただしすでに呪法で「永遠の絆」が発動してしまい、花音は伊羅将以外とは結ばれない。しかも王女が婚姻の儀を迎えられるのは、生涯に一度。――つまり花音と伊羅将の関係は、「結婚できないけれども、永遠の絆を持つ連れ合い」という、奇妙なものに固定されてしまった。
叙任と叙勲は、伊羅将をそれなりの地位に押し上げ花音との恋人関係を黙認するための、苦し紛れの手段でもあったのだ。
「物部伊羅将くん。君はこれから、奇妙な運命を辿ることになる」
「ネコネコマタとの関係ですね」
伊羅将は誤解しているようだったが、実は国王の言葉は、まったく別のことを意味していた。国王と長老は、陽芽が十五歳になったとき、伊羅将と結婚させる深謀を巡らせていたのだ。そうして花音を事実上の第一王妃、陽芽を正式な第一王妃として、伊羅将を次代のネコネコマタ王に推戴する。それなら花音を飛び入りの馬の骨に与えたことにはならず、王家の威光にも陰りが出ない。
それに陽芽の「風変わりな趣味」は相手を選ぶので、王室の頭痛の種でもあった。この際、純真な姉とまとめてひとりに押し付けてしまえば、相手も嫌とは言えないだろう。加えて陽芽は伊羅将を「彼氏候補」と公言し始めている。「風変わりな趣味」の面からも、相性は意外に良いということだ。
「学園には花音も陽芽もいる。別け隔てなく、ふたりと仲良くしてやってくれ。あと、他のネコネコマタの子弟ともな」
「もちろんです」
策謀に満ちたこちらの言葉の真意に気付かないようで、のんきに太鼓判を押している。
「頼もしい言葉だ。さすがは騎士だな。約束したぞ」
まなじりを親しげに下げ、神辺澄水は伊羅将を持ち上げてみせた。
しかし、この解決策にも、実は問題がある。「どちらが第一王妃か」があいまいなことだ。遠い将来、花音と陽芽の子供が成長したときに、王位継承権を巡る争いが起こる可能性がある。しかし王は信じていた。優しい花音や賢明な陽芽を。そして今はまだ一介の高校生だが、ヒトやネコネコマタ、仙狸までも惹きつける潜在力を持つ、物部伊羅将という男の可能性を。
――この三人であれば、ヒトと妖怪の世界をうまくまとめていってくれるに違いない。偶然の成り行きとはいえ、花音もいい男を拾い上げたものだ。
王は口を開いた。
「私はネコネコマタで、妻はヒトだ。彼女を嫁に迎えた頃、私たちは相手のことを互いになんとも思っていなかった。知ってのとおり、ふたつの種族の絆を象徴する婚姻として相手が決められ、事前に会ったことも数えるほどだったからね。……それでも私たちは長い時間をかけて愛を育み、今ではかけがいのない連れ合いになっている。長い歴史を通じ、ネコネコマタの王位継承者は、代々そうやって愛を育ててきたのだ」
言葉を切り、お茶をひと口飲むと続けた。
「しかし君は違う。花音の正体も知らずに出逢い、たったひと月で、私の娘との間に、誰にも突き崩せない関係を築いた。しかも君は、我々の宿敵、仙狸の皇女と契約する身でもある。――なにもかも異例だ。君と花音、そして猫又の将来には、ひと波乱どころか、大きな激動が何度も起こるだろう」
困難な道のりを改めて指摘され、伊羅将が厳しい表情になる。王は微笑んだ。
「だが私は信じている。自分の娘の力と、娘が選んだ連れ合いの力をな」
「はい。頑張ります」
――頑張ってもらわなければ困る。本当にな。
人類滅亡を巡る内紛で、部族間の関係はぎくしゃくしている。この男にはせいいっぱい活躍してもらわなければ。
悩み多き国王は、溜息を漏らした。
「こんにちはー」
ノックもせず、いきなりレイリィが入ってきた。ニセ制服を着ている。
「遅いから迎えに来ましたー。澄水くん、もう連れてくよ。伊羅将くんは、私の契約者。私のものだからねっ。はあ」
ただひとり残ったかつての宿敵、仙狸の皇女を間近にすると、ネコネコマタを統べる王は、ほっと息を吐いた。
「仕方ないな、契約されていては。……レイリィ姫、いつかあなたとは、きちんと話をしないとならないようだ」
「いいよー。言っとくけど、澄水くんの何代前かのボンクラが、私を閉じ込めたんだからね」
レイリィは、瞳に複雑な笑みを浮かべた。
「ネコネコマタを滅ぼすの、しばらく延期するだけだし。その……なんて言ったっけ」
「ニライカナイ」
「そう。そのニラ烏賊辛味丼とかいう奴、伊羅将くんと一緒に探さないとならないし」
ネコネコマタの正史では、仙狸はネコネコマタが滅ぼしたとはされていない。皇女封印により霊力が急速に衰えた仙狸は間もなく、海の先にあるニライカナイという謎の地に、種族を挙げて隠遁したと伝えられている。
「王室学者には、レイリィ姫に全面協力するように申し伝えてある。いつでも来なさい」
「ふふっ。ネコネコマタの聖地を仙狸に踏ませていいわけ?」
「もう散々蹂躙したくせに」
隠しきれず、思わず苦笑いが出た。死者こそ出なかったが、聖地は回復不能とすら思えるほどの損害を被っている。元の姿に戻すのに、何世紀かかかるだろう。たったひとりでも、あの力――。仙狸を謀略で弱体化させ、さらに皇女まで封じた祖先の気持ちが、わかる気がした。
「へへへへっ。まだ暴れ足りなかったけどねー。……でも澄水くん、先祖よりは話がわかるわ。さすが花音ちゃん陽芽ちゃんの親だけある。あのクズじゃなくて、あの頃澄水くんが仕切ってたら良かったのに」
「それは光栄ですな」
祖先をコケにされ、どういう顔をしていいかわからなかったので、とりあえず国王は仮面の笑顔を浮かべてみた。
「一緒に飲みたかったら、いつでも呼んで。『三升焼酎・大九郎』を抱えて遊びに行ってあげるから」
天井を仰いで、仙狸の皇女は豪快に笑った。
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