12-2 涙
神祇官を務める長老は、異例の事態に困惑していた。
これまで王族の婚儀を何度も司ってきたが、花嫁がこれほど悲哀に沈むのは見たことがない。最初から変だった。王位継承者の縁組は、もちろん恋愛感情など考慮に入れない政略結婚だ。それでもネコネコマタが男子の場合も女子の場合も、皆、一族を背負う使命に胸をときめかせ、瞳は決意と喜びにあふれていた。
しかし花音は違う。準備の間も投げやりで、今朝からははっきり、苦しみしか瞳に宿っていない。そのせいだろうか、朝方婚礼の延期を願い出たほどだ。
もちろんそれは認められなかった。婚約者に肩を抱かれた姫は、悲しみに今にも崩折れ、そのまま死んでしまいそうに思える。
――花音様は人一倍おっとり育ち、心根のお優しい方だった。それがなぜ、こんな痛ましい姿に……。姫様になにがあったというのか……。
父親である現王ですら、花音のこの異様な姿はわかるまい。間近にしている自分でないと……。この式は取りやめるべきではないのか――。王家の繁栄を願う長老として、そう思った。
しかし神聖な儀式は、一度始めたら最後まで完遂するのが王家のしきたり。中断は許されない。たとえなにがあろうとも。それに婚姻の儀でもっとも重要とされる祖霊への感謝への儀は、すでに終わってしまった。
あとは婚姻の誓いを神に捧げるだけだ。揺れる心に鞭を打って、長老はふたりの手を取った。
「神の前に、婚姻の誓いを明らかにせよ」
花婿が満面の笑みを浮かべた。
「私、
ペラペラと、薄っぺらに口にする。
長老に手袋の手を取らせたまま、花嫁はひとことも発しない。いつまでもそのままなので、会場に戸惑いのざわめきが広がった。
「花音っ」
花婿に荒っぽくつつかれたが、花嫁は唇を震わせたまま、ただうなだれている。迷ったが、長老は婚儀の進行へと舵を切ることにした。
「姫様、お気分でもお悪いですか」
花婿が舌打ちするのが聞こえた。
「神辺……か、花音は……」
か細く震える声で、花音がようやく口にした。
「こ、この者の……妻となることを……ネ……ネ……」
それが限界だった。喉が詰まって言葉が出てこないように見える。
涙が次々湧いてきて、真珠色の糸でていねいに織られた花嫁衣裳に、はらはらと染みを作ってゆく。衣装には呪法が籠められており、婚姻成立により永遠の絆が結ばれて、一生相手に縛られることになる。隣にいるサミエルに。
「……うれしさのあまり、言葉が出ないのだ。そうだな、花音」
焦れた花婿が、むりやりキスをしようとした。
「いやっ」
花嫁が顔をそむける。涙が流れた。
「言うことを聞くんだ、花音」
「い……や……」
花婿が顔と腕を押さえた。
「サミエル様、そのような狼藉は――」
あまりに痛ましく、思わず口に出た。花婿は顔を歪めてみせた。
「黙れジジイ。式の失敗はお前の落ち度。そうなったら死んでもらうからな」
睨むと、花嫁の唇に自分のそれを重ねようとした。
「イラくん……助け……て……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます