11-2 最悪の朝の「決意」

「花音……」


 何十回めだろうか、同じ単語が夢うつつに口をつく。


「お兄様。情けないですわよ」


 夢だろうか。枕元に陽芽が立っていた。見たことのない奇妙な服を着て、腕を腰に当てて。横になぜかレイリィもいる。


「……陽芽、どうして。今頃は準備で――」

「準備に来たのですわ。婚姻の儀をぶち壊す」

「ぶち……壊す」


 どんよりと頭が濁っている。言葉が浸透するのに時間がかかった。どうやら夢ではなさそうだ。ベッドに起き直ると、頭を振った。


「そうですわよ。お兄様、このままお姉様をあの方に取られていいんですの?」

「そりゃ……嫌だけど。花音は王族だ。王家の伝統に従う義務がある。それに『運命のお兄ちゃん』だってサミエルだったんだろ、俺じゃなくて」

「それがなんですの?」


 伊羅将いらはたは口ごもった。


「だって――」

「王家の一員である前に、お姉様は恋する乙女です」

「けど……」

「これから婚姻の儀をぶち壊します。それでお姉様は王家から廃嫡はいちゃく。手引きしたわたくしにも、厳しい処分が下されるでしょう。でも、それがどうかいたしまして? ネコネコマタ王家は、正しいことのために代々命を懸けてきたのです。その血はわたくしにも流れていますことよ」

「正義の戦いだって言うのか……」

「もちろん。サミエルのペテンなんか、もうバレバレだもん」


 レイリィが口を挟んだ。


「ペテン……」

「そう。王家の珠はニセモノ。行縢むかばきの一家六人が死んだ事故は、あいつの父親のしわざ」

「嘘だろ……。珠はともかく、殺人とか」

「本人から聞いたからね。伊羅将くんがパーシュエイションに出かけた間に」

「自分で白状するわけないだろ、そんな悪事」

「ふふん」


 レイリィは笑顔になった。


「このレイリィ様の色気で聞き出したわけよ。なびくフリをして」


 ――夢に出たんだな、きっと。でもそうは陽芽には言えないしな。宿敵たる仙狸とバレるから。


 伊羅将の頭は、ようやく働き出した。同時に、体の内側からなにかの力が、むくむくと湧いてきた。怒りに似ているが、もっと強さを与えてくれる力が。


「ならそれを、花音かネコネコマタ王に伝えて――」

「手段がありません。直接現地に行くしか」

「それにこれ」


 レイリィがなにかを差し出した。猫目石のような宝石を。


 心が奥に吸い込まれるほど深い琥珀色。鮮やかな乳銀の帯が一本、すっと通っている。五センチないくらいの直径で、手に取ってみると、ずっしり重い。ついこの間、似た奴を見た。


「これは……」

「そう、王家の珠。昨日もう一度、ひと晩中探したんだよー、国光くんと。家中ひっくり返してさ。すんごく大変。国光くん、この貴重な珠を、足つぼマッサージに使ってたんだ」

「足つぼ……マッサージ」


 あまりにアホらしくて、笑いも出てこない。


「それでそのマイブームが終わったら邪魔になっちゃって、どこかに放り込んでたみたい。ぜーんぶひっくり返したから、今、家の中ハンパないよ、滅茶苦茶で。それでも見つからなくて、結局、庭に放置してある古い火鉢から出てきたんだ」

「金魚鉢代わりにしてる奴か?」

「そう。砂利の代わりにビー玉がいっぱい入れてあって、ちょうどいいやって、そこに放り込んだみたい。この間は調べもしなかったじゃない。水は緑色に濁ってるし、金魚だって生きてるから。昨日も『とりあえず全部探そう』で金魚鉢までひっくり返したのはいいけど、ビー玉にはコケがびっしり。万が一ってことで必死で洗ってるうちに、偶然見つけたんだよ」


 焼酎どころかビールすら飲まず、レイリィと父親が夜通しせっせと家中ひっくり返している様を、伊羅将は想像した。父親にも、後で礼を言わないとならないな、これは。小遣いからまた「三升焼酎・大九郎」買って、「国光くんとレイリィ」に献上しておくか……。


「そうか。ありがとうな、レイリィ」

「あのしおれた伊羅将くんを見ちゃあねえ……。悲しませたくはないもん」

「それで……結婚式に乗り込むにしても、どうやるんだ」

「やる気になりましたわね、お兄様。それでこそわたくしの彼氏です」

「彼氏?」

「そうですわ。お兄様はわたくしのセフレ第一号から、彼氏候補に格上げとなったのです」


 陽芽は微笑んだ。


「さてと……。まずは聖地に忍び込みましょう。わたくしがいればごまかせます。お兄様はアレルギーのお薬、しっかり飲んでおいてくださいませね。あとは式になんとか紛れ込んで、お兄様が花嫁を奪取する――。簡単ですわ」

「簡単かなあ……」

「やるしかないのです。お姉様を不幸にしてもいいんですの?」

「絶対に嫌だ。……よしやろう。花音を救うぞ」

「その意気です」


 手を握られた。


「行きましょう、お兄様」


 陽芽に手を取られて寮を出ると、壁に背をもたせて、リンが立っていた。


「リン……」

「どこに行くんだ、お前ら。えっ、揃いも揃って。……ま、想像はつくがな」


 体を起こした。なんとも言えない笑みを浮かべて。使命感からか興奮か判断できないが、瞳が輝いている。戦いの予感に、猫又の闘争本能が反応しているのだろうか。


「伊羅将お前、彼女であるあたしを連れてかないつもりなのか? 『デート』だろ、これ」

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