07 学園祭って……楽しいどころじゃないんだけど

07-1 あと十日で花音は……

 花音と別れて家に戻ると、興味津々の父親とレイリィをスルーして自室に直行し、伊羅将いらはたは布団を敷いて横になった。


 ――花音が……サミエルと。


 その言葉だけが、頭の中をぐるぐる回る。「あなたは私のものですからね」とサミエルは花音に言っていたが、そういう意味だったのか……。


 日向のネコのように穏やかで純真な花音が、あんなクズのものになってしまう――。それだけは許すことができない。


「くそっ」


 頭を振ると、花音から聞き出した情報を、もう一度まとめて考えてみた。


 ネコネコマタ王家は、代々、王位継承者が人間と結ばれてきた。主人であるネコと従者であるヒト、その永遠のつながりを確認する象徴的婚姻として。人間の世界を知るために神明学園に留学し、人間である副理事長の一族と縁戚となる。


 しかし花音は反抗した。自分を救ってくれた「お兄ちゃん」に憧れていたから。何代にも渡り副理事長だった行縢むかばき家が事故で断絶したこともあり、それは受け入れられた。ただし、「十五歳までに見つかれば」だ。


 十五歳になると、王家の決まりで結婚しなくてはならない。相手は、新しい副理事長に収まった鷹崎家のサミエル。花音の誕生日は五月一日。今日は四月二十一日の日曜日。何度数え直しても、あと十日しかない。


 いても立ってもいられなくなった。自分が花音の「お兄ちゃん」なのかどうか、自信はない。頭を打ったせいだと思うが、助けたどころか、女の子と会った記憶すらない。しかしとりあえず王家の珠さえ見つかれば、サミエルの魔の手に花音を奪われることだけは避けられる。


 むくりと起き上がると、部屋をダッシュで飛び出した。昼間っから父親とビールなどやっつけているレイリィの手を取ると、自分の部屋に引きずり込んだ。


「……なに、伊羅将いらはたくん」


 壁を背に、レイリィが警戒したように呟く。


「真っ昼間から布団なんか敷いちゃって。まさかわ、私を……その……」


 口ごもっている。


「き、急に迫られると、ちょっと怖い……。でも、ど、どうしてもって言うなら、条件つきで……」

「違うし。とりあえず座れよ」


 布団にふたり並んで座った。


「根付を持ち出した八つのときから、レイリィは俺を物部の惣領として認めたんだろ」

「そうだよ。だって伊羅将くんが最後の願い事を使っちゃったし。仕方ないじゃん」


 けろっとしている。


「その願いの話を聞かせてくれよ」

「はあ……そうねえ」


 レイリィは上を向き、唇に指を当てて考えた。


「最初のお願いは、初代の吉嗣くんだったかしら。たしかそう……吉原の大店おおだな花魁おいらんに会いたいって話だったわね、はあ。大店には普通の人は入れないから」

「……」

「ふたつめは、二代目の公春くんだったわ。エッチのときに長持ちするようにしてほしいって。三つめの願いは三代目の実仲くん。エッチな病気になったから、治してほしいとか。……でも、私にも叶えられる願いとそうでないのがあるからさあ。病気はお医者さんに行くといいよって教えてあげて。それで四つめのエッチな頼みは――」

「もういいよ」


 あきれて口を挟んだ。


「どれもこれもエッチ関連ばかりじゃないか」

「はあ。物部家では、殿方の願いはみんな同じなのね。私も感心しちゃったのよ」

「それじゃなくて、俺の願いだよ。助けてくれって頼んだじゃないか、あのとき」

「うーん……そうそう。虎縞の妖怪に襲われてたのよね、伊羅将くん。あれネコネコマタだと思うけれど。もう背中とか咬まれちゃってて痛そうだったから、よく覚えてるわ」

「助けてくれたんだろ」

「もちろん。現身を顕現したのよ。ひさしぶりにバトルしたから楽しかった。仙狸は数が圧倒的に少ないから総合では押されてたけど、一対一ならネコネコマタなんかに負けやしないもん。妖怪が出てくるなんて、向こうは思ってもいなかったんだと思うわ。顕現して相手が唖然としてるところをどこか遠くに飛ばしちゃったから、瞬殺ね」


 誇らしげな口調だ。


「そのとき、女の子はいたか?」

「何人かいたかも。連中の仲間だと思うけどさ」

「花音はいたのか?」

「彼女? あの頃、七つくらいでしょ。いたかなあ……そんな小さい子」

「覚えてないのかよ」

「うーん。ずいぶん昔だし。連中と一緒に飛ばしちゃったのかしら、はあ」

「なら珠は?」

「タマ?」

「そう。それがいちばん重要なんだ。ピンポン球くらいの大きさの。花音が、俺に渡したって」

「私は退治してすぐ根付に戻ったし。――なんたってほら、封印されてるから。いくら契約の請願だって言っても、出てこられる時間に限りがあるからねー」

「そうか」

「伊羅将くんを手当てする時間すらなかったくらいで。でも、それがどうかしたの」


 眉を寄せた伊羅将の厳しい表情が気になったのか、レイリィが訊いてきた。


「あれを証拠として示さないと、花音がサミエルと結婚するハメになりそうなんだ」

「サミエルって、あの蛇みたいな気味悪い男?」


 伊羅将は経緯を説明した。


「ネコネコマタも大変ねえ……。まっ仙狸を滅ぼした罰かも」

「……」

「そうそう。ちゃんと根付持って歩いてよ。あれ持っててくれたら、伊羅将くんが経験するすべてを、私も共有できるし。なにかあったら、アフターサービスで助けてあげるからさ」

「……ありがと」

「伊羅将くんは、私に生命力を今後も捧げてくれる大事な人なんだから。心も精も……」


 首に手を回してきた。


「お前、のんきでいいな」


 伊羅将は手を振り払った。レイリィは横を向いてむくれてみせる。


「伊羅将くんったら、花音、花音……。ネコネコマタばっかりヒイキして。連中、私の一族を根絶やしにしたんだよ。私と契約している伊羅将くんが仲良くするのは、あんまり気持ち良くはないよね。伊羅将くんの飼い主として、花音ちゃんと会うのを禁じたっていいんだけどね」

「それは……気の毒とは思うけどさ。花音はまだ十四だ。百五十年前の諍いに責任はないだろ」

「なにさ偉そうに。あーあ……。これが仙狸の契約者とはね」


 布団に倒れ込んで、溜息を漏らしている。


「……ねえ、さっきの話みたいに、たまにはリアル布団でイチャイチャする? 夢の中だけでなく」

「さっきは嫌がってたくせに」

「急だったから驚いただけだもん」

「それにお前、夢の中だって、手も握らせてくれないじゃないか。おままごとして、あとはデートの予行演習とか言って歩くだけとかさ」

「少し反省してたりして。伊羅将くん、意外と真面目だってわかったし、彼女になってあげてもいいかなあって。だってそうしないと、革のボンデージで迫ってくるネコネコマタに、私の大事な『命の素』、伊羅将くんを取られちゃいそうだもんね」

「そういうとこだけは、しっかり見てるんだな」

「あたりまえでしょ。私は仙狸。伊羅将くんを契約で縛っている妖怪だもの。根付さえ持っててくれたら、それを通じて、全部見えてるし」


 レイリィは、楽しげに笑った。


「とにかく、思い出したら教えてくれよなっ」


 伊羅将は、続いて父親を爆撃した。ビールを取り上げて座布団をひっぺがし、倒れたところを叩き起こして、ひと晩中、家捜しを手伝わせる。


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