06-4 王家の珠

 社務所でうどんでも……と吉野さんに誘われたが、断った。花音がお弁当を作ってくれたからだ。


 本殿の高床に腰を下ろして、ふたりで弁当を広げた。花音の弁当は、華やかな幕の内だった。小さな俵型の握り飯に、ひと口大に揃えられた卵焼きや焼き魚。小さな筍の煮物まで収められている。


 質実剛健で大ぶりなリンの弁当に比べると、しっとりした落ち着きを感じさせる。それぞれ性格が出るもんだと、伊羅将は感心した。


「なんか豪勢だな」

「そう? 昨日作ったんだよ、晩御飯を兼ねて。それを詰めてきただけだから」


 そう謙遜する。ふたりでひとつの弁当をつついた。


「おいしいよ」

「本当? うれしい」


 花音が目を細めた。お茶を飲みながら、ぽつぽつと会話する。


「なあ、きれいだろ」


 伊羅将は風景を指した。


「そうだね、イラくん」


 本殿正面に座ったふたりの前には、山の下に広がる街並みと、さらに向こうの山々が広がっている。


 鳥居の両側には欅の大樹が枝を広げ、神域を守護するかのように街を睥睨している。寝転んだ狛犬よりは効果がありそうだ。


「その……いつまでもイラくんと……こうして眺めていたいかも。ずっと未来まで」


 恥ずかしそうに口にすると、花音は付け加えた。


「あったかいね、ここ。陽が射していて」


 ふたりはしばらく静かに佇んでいた。やがて、伊羅将があくびをひとつする。


「ごめん。ちょっとだけ昼寝させて」


 そのままごろんと横になった。毎晩夢にレイリィが出てくる。夢なんだから寝ているはずなのに、なぜだか寝不足になってしまう。仙狸の夢は睡眠とは別なのかもしれない。


 ――それにしてもレイリィの奴。「精を求める」どころか手も握らせてくれないんなら、夢に出てこなくてもいいっての。それより睡眠をだな……。


 脳内でツッコんでいるうちに、本気で眠くなってきた。花音が話しているようだが、もう頭に入ってこない。


         ●


 なにか素敵な夢を見ていた。夢の世界から意識が戻って目を開けると、鳥居が横倒しに見えている。伊羅将の頭は、温かく柔らかいものに乗せられていた。


「……花音」

「イラくん……起きたの?」

「膝枕してくれたのか」

「うん」


 花音の頬は、わずかに上気している。


「……夢見てた」

「どんな?」

「なんか、幸せな夢。新緑の山道に黄色いたんぽぽが咲き乱れてて、俺と父さんと母さんが三人、手をつないで歩いてて。……昔の記憶なのかな。すごく……幸せだった」

「良かったね」

「ああ、花音が膝枕してたから見られたのかな」


 伊羅将は起き上がった。


「もっと膝枕してていいよ」

「いや……悪いし」


 そうは言ったが、このままでいたかった。膝枕してもらったのなんて、十年ぶりくらいか。早くして母親がいなくなったから触れ合いに飢えているのだと、今さらながらに自覚した。


 ――なんて言うのか、すごく心休まるものなんだな。


「イラくん、かわいいなあって見てた」


 なんだか恥ずかしい。


「赤ちゃんみたいな寝顔だった。花音の太ももに手を置いて、なでなでしてたよ。お母さんでも思い出してたのかな」


 というか、どえらく恥ずかしい。なんだろこの、「恥ずかしいところを全部見られた」気分は。


「そ、そろそろ行くか」

「うんっ」


 花音はぴょこんと立ち上がった。


「すごーく元気が出たよ。この神社にいて」


 自然に手をつないでいた。参道の階段へと向かう。途中の踊り場に着くと、花音は手を引いて、伊羅将をベンチに座らせた。参道脇に、夢で出てきたようなたんぽぽが咲いている。


「ねえイラくん。イラくんが倒れてたのは、このあたりなんだよね」

「うん、そうみたい」


 記憶にある場所を、伊羅将は指差した。


「多分、この踊り場の少し下かな。夢かもしれないけど化け物に遭遇して、階段を転がり落ちて怪我して。……あれ以来、猫アレルギーになったんだよな」


 急に真剣な眼差しになると、花音は伊羅将の瞳を覗き込んだ。


「化け物に襲われてから、アレルギーになった。……咬まれたんだね」

「そんなことあるのかな。よく覚えてないしさ」


 伊羅将は、空を見上げた。


「……ねえ。花音も昔、ここに来たことがあるんだよ。一回だけ」

「へえ……。このあたりに住んでたのか?」

「うん。もう神明学園の関連小学校に通い始めてたから。でも、自分の意志で来たわけじゃないの。誰かに欺かれて連れて来られた。逃げようとしても放してくれなくて、泣き出した。洗脳されそうになったんだよ。飛び込んできた男の子が花音の手を取った。助けてもらったの」

「それって……」


 陽芽に聞いた情報を、急に思い出した。たしか幼少の頃さらわれて、「運命のお兄ちゃん」に救われたって……。


「洗脳されかかって記憶があいまいになったから、花音も全部を覚えてるわけじゃないの。男の子が来て助けてくれたって……それだけしか。助けてくれた子……、イラくんじゃないかな」

「俺が……花音を……」

「だって、いろいろ合っているもの。時期、場所、そして怪我。猫アレルギーの理由もはっきりした。闘鑼トラに咬まれたからだよ。闘鑼は敵と間違えて咬んだって弁明してたけど」

「闘鑼?」

「ネコネコマタ戦闘部隊一の猛者なの。花音を警護してたんだ」

「まさかそんな……」


 ――そうか。そのとき花音と触れ合った感覚が、この間の既視感デジャヴの原因だったのかも。でもそれなら、その願いが原因で、母さんを呼び戻すことができなくなった。俺のせいで……。


「イラくんっ」


 考え込んでしまった伊羅将に、いきなり花音が抱きついてきた。


「花音の……『お兄ちゃん』。うん。そうに違いない。花音……うれしい。いつか会ってお礼を言おうって思ってた。そして……」


 伊羅将を求めるかのように、潤んだ瞳で見上げてくる。


「イラくん。花音と……」


 言いかけて、口をつぐんだ。伊羅将の胸に顔をうずめ涙を服に吸わせると、顔を起こして笑顔を作った。


「……ごめんね。びっくりしたよね、急に」


 体を離した。


「なんだよ。言ってみろよ」


 花音は黙っている。


 ――母さんのことで俺が動揺したの、見て取ったのかな。それで言いたいことを引っ込めたのか。


「ほら」

「ううん。いいの」

「……そうか」


 無理に言わせても仕方ないか。


「でも……きっとそうなんだよ。そうであってほしいと願ってる。……あのとき助けてくれた男の子には、とっさに王家の珠を託した。あの珠はね、王位継承者の力を強めてくれるの。その代わり、敵に呪法をかけられてしまうと、心を弱めたりもできる。あのときも洗脳に使われそうになった。だから預けたの。イラくんがそれを持っていてくれれば、確実な証拠になる……」


 すがるような瞳で見つめてきた。


「お願いイラくん、探してみて……。だって……あれがないと、花音は……サミエルくんと結婚しないといけないから。花音の誕生日は、十日後。その日に結婚するの……」

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