06 ボンデージの「お寝巻き」
06-1 咬み痕ってなんだよ
「ねえ
ドーナツ屋で、リンが言い出した。
「あれか……」
「あたし、来年はCA進学希望だからさ。しっかりチェックしておきたいんだ」
神明学園では、ゴールデンウイーク直前に「コンパニオンアニマル祭」という一種の学園祭がある。
ざっくり言えば、あんまり世間に知られていないコンパニオンアニマル科を知らしめるためのオリエンテーションで、同科の生徒がそれぞれ工夫を凝らした展示やイベントを行う。
なにせかわいい犬猫から小鳥やフェレット、ハムスター、果てはアナコンダの類の巨大爬虫類まで揃うので、進学希望の中学生が全国から視察に来るだけでなく、近隣の住人にも毎年大人気。とはいえ伊羅将には猫アレルギーがあるので、ほとんど行ったことがない。
「でも俺、猫アレルギーだし」
「平気だよ。だってあたしといても、ほら……」
伊羅将の頭を抱き寄せて、自分の首筋に押し当てた。
「なっ、これだけ寄せてもアレルギー出ないじゃないか」
「……お前は人間だろ」
「あっ忘れてた、その設定……」
額に汗をかいている。リンはもちろん、その正体を伊羅将に明かしてきてはいない。
――心のありようが、本当にネコと同じなんだな、ネコネコマタって。
人類を滅ぼそうとする、いわば「敵」であるのに、伊羅将はほのぼのとした気持ちになった。
目の前のことに一所懸命でいじらしく、でも思慮が足りずに間抜けな姿を晒す。それでもせいいっぱい前向きで楽天的だから、そばにいて癒される。
そんなリンのことが、伊羅将は好きになっていた。シリアスな恋愛感情とは少しだけ違う気はするが、少なくとも「異性への愛しさ」の範囲内にある感情なのは確かだ。
――こうなると、花音や陽芽の思慮深さが際立つな。さすが王族は違うってところか。まあ陽芽のヘンタイ趣味は置いておいて。
リンの正体については、本人の「自爆」や花音たちとの会話を通じ、もうほぼわかっていた。人類殲滅派でも過激なほうの、ネコネコマタ貴族の娘だ。
人類殲滅派はネコネコマタの世論をほぼ制圧し、あとは王家に首を縦に振らせるのみ。神明学園に入ったリンは花音への説得を続けたがかなわず、現在は花音の「工作」を妨害する方向で、人類殲滅実現へと動いている。
ちなみにネコネコマタのそばにいても、猫アレルギーは出ない。相手が発情するとかで「ネコ成分大増量中」になると危ない。
「……ところでこの娘、なにさ」
視線の先にいるのは、チョコレートクランチをおいしそうにくわえ込んでいるレイリィだ。伊羅将の父親にねだった「かわいい服」(本人談)を着ている。
たしかにちょっとロリータ入った清楚なブラウスとスカートだが、胸の破壊力がハンパないので、ロリータというよりチアガールにすら思えてしまう。髪は「偽装茶髪」だ。
「さっき説明したろ。従姉妹のレイリィ」
「そういう意味じゃなくて。非常識じゃない、デートにくっついてくるなんて」
「はあ……。あなたこそ誰でしょうか」
にこにこしながら、レイリィは最後のひとかけらを口に放り込んだ。
「名乗っただろ。あたしは……。ええっと……そ、そう。彼女だよ、こいつの」
リンが伊羅将の頭をはたく。パコーンと小気味いい音が、店内に響いた。
「彼女さんねえ。へえーっ……」
しげしげと見やる。
「な、なんだよ……」
「ならキスしたことあるのかなあ。はあ」
リンの頬が急速に熱くなった。
「キキキキス……。するわけないじゃないか。発情してないし、好きでもないのに。……あっ」
「ふーん。好きでもないのに彼女なんて、ねえ……」
にっこり。
「う、うるさいっ。ニンゲンの世界は複雑なの。ネコとは違うんだから」
「でもそれなら、私のほうが彼女っぽいけどなあ」
「……どういう意味よ」
「だってお風呂に落ちたとき裸で抱き合ったし、夢の中ではままごととはいえ夫婦生活を――」
「な、なんだってえーっ!」
リンの髪の毛が逆立った。
「伊羅将あんた、あたしという彼女がいるくせに。そ、それに姫様ともお付き合いしてるってのに、う、浮気したのねえっ。――んがあっ!」
腕に噛み付いてきた。
「いたっ。たたたたたっ。こら放せっ」
目の色を変え、夢中でしがみついている。ようやく振りほどいたが、伊羅将の右腕にはくっきり歯型がついていた。……って、この調子だと体中噛み痕だらけにされそうだ。少なくとももう五か所くらい噛まれまくってるし。てか獣の咬み跡だな、これもう。
「とにかくあんたは、あたしと行くの。来なかったら殺すから」
腕を抱いてぎゅっと胸に押し付けた。ふにゃんと、花音に比べはるかに控えめな感触がする。
「ふーん……。なら私もついてこっと。伊羅将くんが心配だから」
「か、勝手にすればいいだろ」
「――もういいだろ、ふたりとも。仲直りしようぜ。俺がドーナツおごるからさ」
「きゃあー。伊羅将くん、男ね。じゃあ私、いちばん高いの上からふたつ」
「……くそ」
契約により「飼い主」として命令権を持つレイリィには逆らえない。
「リンは?」
「ならあたしは、安いのから五つだけ。彼女なら、彼氏のお財布の心配ができなくっちゃね」
レイリィを睨んで勝ち誇っている。合計金額で、レイリィの注文より、はるかに財布を傷めるんだがなあ……。
さんざんタカられてドーナツ屋を出ると、伊羅将の家に行くことになった。
「だって彼女なら、お父さんにご挨拶しないと」
「はあ。私は同居中だけどー」
「従姉妹なんだからあたりまえだろ。女子で伊羅将の家に上がるのは、きっとあたしが初めてさ。――そうだろ、伊羅将」
「そういやそうだ。……考えてみると、暗い青春だな、俺」
「へ、平気さ。あたしが幸せにしてあげるから。人類が滅ぶまでの間だとしても」
「……なんだよ。こないだまでは、勝手に彼女探せとか言ってたくせに」
「気が変わったんだよ。こんな女がいるんじゃ、あんたが心配で目が離せないもの。あ、あたしがほ、本物の彼女になってあげる」
恥ずかしそうに横を向いた。
「わあ、意外にウブ」
レイリィが笑う。
「バ、バカッ。そんなんじゃないし」
●
肩をつついたりして笑いながら歩く三人の姿を、じっと見つめる男がいた。鷹崎サミエルだ。
「あいつ、たしか花音と一緒にいた男。女なんか連れ歩きやがって生意気に。神明学園で女をハベらせていいのは、このサミエル様だけだ」
憎々しげに顔が歪んだが、ふと真顔になった。
「……いい女じゃないか。学園のガキ女と違って色気があるし。それに神明の生徒じゃないようだから、自殺したって問題にはならない」
レイリィの体のラインに、舐めるような視線を注いでいる。
「あいつにはもったいないな。学園の支配者、そして近未来、人類を支配するこの私の人形にしてやるか。……ちょっとやりすぎて親父には『なにをしてもいいが、表沙汰にはなるな』と注意されてるから、女をしばらく切らしてるしな。いい体だし頭弱そうだから、例のクスリを使ってうまく俺様のものにして、あいつの目の前でヤリ捨ててやる」
伊羅将の後ろ姿を睨みつけた。
「いい気味だ。俺様の花音に近づきやがった罰だな。花音の奴、バカのくせに意地を張って結婚を嫌がるからな。力を見せつけてやらんと」
薄い唇が、すーっと裂けるように広がった。笑っているのだ。
「婚礼さえ済ませてしまえば、こっちのものだ。ネコネコマタの王になれば、殲滅派を取り込んで人類を陥落させ、この
くるっと踵を返すと、サミエルは歩き始めた。
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