04-2 ルーレットが止まるとき

 根付の話を終え手早く晩飯をかっこむと、風呂に入った。万が一サミエルと鉢合わせすることを考えると、男子寮のシャワールームを使うわけにはいかない。


 それにいくらなんでも数日帰らないとなると父親にも心配をかけるし、自分の家事分担がある。体育のあった日とか燃えるゴミの日の前日は、最低でも家に戻ることにしている。徒歩ですぐだし。


 手早く体を洗うと、土間に置かれた古臭い木の風呂桶に体を沈めた。いくら古い家屋とはいえ風呂が不潔だとさすがに気持ち悪いので、風呂掃除では磨きに磨く。そのため檜の風呂桶はすっかり削れてしまい、子供の頃に比べるとずいぶん薄くなった気がする。


 それでも風呂は最高だ。体が温まると気持ちいいし、リラックスできる。檜のいい香りもするし。こう、天井の裸電球すら、なんだか風情あるものに感じられる。そう、電球の隣に現れた、この放電が緑にまたたくく謎の光点ですら……って、おい!


「きゃあああああーーーーっっっ!」


 光点が広がるとなにかが通り抜け、降ってきて風呂桶に着水する。なにか柔らかいものが。なにか……女子の形をしたものが。……てか、女子だし。裸だし。スタイル、バリいいし。


 派手に水しぶきが上がった。


「いやーっ!」


 腕の中にすっぽり抱かれる形で収まると、降ってきた「もの」は、伊羅将いらはたの裸身を見て悲鳴を上げた。


「は、はだかーっ。あっやだあ。私もだぁーっ」


 バシャバシャとお湯を飛ばして大騒ぎしている。


「いい、いやーっなのはこっちだ」


 驚きのあまり、伊羅将の声が裏返った。


「お前、誰だよ」

「そっちこそ誰さ。出てって」


 大きな胸を手で隠したまま、もう片方の腕で、入り口を指差す。


「えとあの……」

「バカバカバカーッ」


 そこら中のものをぶつけられ、伊羅将は叩き出された。


「……えとあの」


 脱衣所代わりに使っている板張りの部屋に、放心状態で突っ立つ。


 状況を整理しようとしたが、わけがわからない。屋根を破って素っ裸の女怪盗が降ってきたとか? 風呂の中からは、「痛かったあ」とか「それにしてもあの男」とか「お肌に擦り傷ができちゃった」とかなんとか、愚痴る声が聞こえてくる。


 頭をかくと、バスタオルに体をくるんだまま、居間にとぼとぼと向かった。


「どうした伊羅将。びしょ濡れじゃないか。ちゃんと拭いてから上がってこい。そもそもお前はガサツでいかん。父さんが高校生の頃は――」


 ビールからすでに焼酎に移行中の父親が、説教モードに入った。


「たたたた大変だ」

「落ち着け。父さんが高校生――」

「はは裸の女怪盗ががが」

「なんだ。父さんと付き合う女子が決まったのか。できれば巨乳の娘がいいな」

「……なに言ってるんだよ」


 まだたわごとをほざいている。アホらしくて少し冷静になった伊羅将は、今しがた起こった出来事を、父親に告げた。


 意外なことに、天井から裸の女子が降ってきたと聞いても頭から否定せず、父親は冷静なままだった。


「そうか……。もう来たか」


 上を向くと、感慨深げに深呼吸した。


「もっと何十年か先になると思ってたがなあ……」

「知ってるの?」

「ああ。出てきちゃった以上、お前にもきちんと話しておかんとならんな、全部」


 顎をさすると、父親は語り始めた。百五十年前の、物部家と根付の物語を。




 百五十年前、幕末――。


 黒船来航に始まる混乱は、激しさを増すばかりだった。その最中に、運命の出会いがあった。桜田門外の変に揺れる江戸で、物部家の惣領そうりょうが偶然、謎の根付を手に入れたのだ。


 出入りの骨董商から買ったのではない。吉原で居残り、遊び呆けていた惣領・吉嗣よしつぐが、ついには金策尽きて屋敷に戻る折、吉原大門の根元で拾ったのだ。


 大声を上げながら走り逃げていた男の一団が落としたものだ。なにかのいさかいのようで、男女入り乱れての集団が、彼らを追っていたという。


 その夜、幾夜にも及んだ遊びですっかり疲れ切って眠りについた吉嗣の夢に、女生にょしょうが現れた。女生は自らを仙狸せんり皇女おうじょと名乗り、陰謀で今朝方根付に封印されてしまったと説明した。復活のためと述べ、仙狸は取引を申し出た。



 ひとつ。根付を握り願いを唱えれば、仙狸が九度くたび願いを叶えること。

 ひとつ。物部家惣領は、末代まで命の力を根付に吸われること。

 ひとつ。物部家は、元服を迎えた惣領に根付を伝え渡すこと。

 ひとつ。願いをすべて叶えしときより、皇女の蘇りが始まること。

 ひとつ。皇女復活後は、惣領が伴侶となり助け、また精を与えること。



「――そして能天気にも吉嗣は、その取引に応じたというわけだ。老いては江戸を離れ山深い多摩に隠棲いんせいして、庵の裏山に仙狸を祀る神社を建立した。それが物部の氏神、南部神社だ」

「生命力を末代まで吸われるって……。だから短命なんだ、物部は」

「そういうことだ」


 あっさり認めると、父親は焼酎の水割りを口に運んだ。


「いくら願いを叶えてくれるったってさあ、なんでそんな危険な取引に応じたのさ」

「吉嗣は遊び人だ。というか物部は遊び人の血筋だ。どいつもこいつもテキトー野郎で、長生きなど望まん。父さんもお前も、そんな感じだろ。……それに相手が仙狸と聞いて、その気になったんだろうさ」

「仙狸って、なに」

「仙狸とは猫又だ。南部神社の狛犬がネコなの、知ってるだろ」

「猫又……」


 脳裏に花音の顔が浮かんだ。ネコネコマタは猫又の一種と聞いた。名前が違うから、仙狸はきっと別種族なんだろう。


「しかも、ただの化け猫ではない。古来、男子の夢に出て精を求めるという」

「……それって」

「そう、淫魔だな。西洋風に言えば。早い話、吉嗣は淫魔一族との契約に惹かれたわけだ。なにかいいことがないかと思って。……スケベな野郎だな、ご先祖様だが」

「実際にいいこと、あったの?」

「ないない」


 大声で笑い出した。


「だってそうだろ。皇女は封印され、能力が極端に制限された。淫魔の力は使えないらしい。仙狸の一族だって、物部のことなんか知るすべがない。結局物部は、生命力を与える一方ってことさ。まあ、誰かは願いを叶えてもらったんだろうが」


 言葉を切ると、焼酎を口に運んだ。


「父さんだって皇女の夢すら見たことがない。吉嗣のエッチな欲望のために子孫一同、どえらい迷惑ってわけさ。……ただ」

「ただ?」

「最後の願いを使ったろ、お前が。だから皇女がいずれ復活を遂げるとはわかっていた。物部の惣領から代々奪い取っていった生命力を、用いてな。契約だから。ま、伝説が事実であればだが」

「うん」

「でも百五十年も寝てたんだ。起きるのにまだ数十年はかかるだろうと思ってたが、たったの七年程度とはな」

「なるほど……」

「出てきちゃったんだー。そうかあ……」


 妖怪出現というのに、ものすごくお気楽な感想を述べた。


「災難だったな」

「へっ?」


 父親はニヤニヤしている。


「根付はすでにお前の管理下にある。責任取って命の力を与えてやれ。復活した仙狸の皇女に」


 肩をぽんぽん叩かれた。


「くじ運悪いな、伊羅将。ルーレットがお前の代で止まるとは」

「えとその……」

「――と、いうわけなんですよ」

「うわわわっ!」


 いきなり後ろから抱きつかれて、伊羅将は飛び上がった。さっきの女だ。伊羅将が脱ぎ捨てたジャージなど着て、脇から顔を覗かせている。てか、最近、飛び上がってばかりの気が。


「おっお前……いつの間に……」

「はあ。国光くんが話してくれて、助かりましたー。説明するの面倒臭かったから」


 改めて、伊羅将は仙狸「らしき」女子を観察した。胸が大きくて、十八歳くらいに見える。金色の髪の毛は跳ねて膨らんだロングで、胸が大きい。瞳は濡れるがごとくで虹彩の色も金。それで胸が大きい。まとめるとつまり、伊羅将のTシャツを突き破らんほどに、胸が大きい。


「お、お前……」

「あなたが物部の嫡男、惣領だったのね。そういや見覚えあったわ。てへっ」


 ぺろっと舌を出した。いかん、かわいい。


「私はレイリィ。仙狸の皇女よ。契約に従い、あなたを拘束します」


 腕をぐっと掴まれた。


「あなたには黙秘権があります。あなたの発言は、契約に照らして不利な証拠となり得ます。あなたには弁護士を付ける権利はありません。ついでに言っとくと、基本的人権も認めません。私はあなたの飼い主であり、すべてにわたり命令できる権利があります」


 刑事ドラマのようなセリフを口にすると、しばらく上を向いて考えていた。


「うーん。あとなにがあったかなあ。はあ……」


 伊羅将の瞳を覗き込んできた。


「忘れちゃったわ。ずいぶん長いこと経ったから。ねえあなた、なにか知ってる?」

「なんで俺が知ってるんだっての。仙狸との契約だって、今聞いたばかりなのに」

「あはっそうか。……まあいいや。最初の命令ね。とりあえずコップ持ってきて、伊羅将くん。これから国光くんと一杯やるから」

「……」

「ほら早く。もう百五十年も禁酒してたんだから、辛くて辛くて。はあ」

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