04-3 仙狸と一夜

 その晩は、家族(?)三人で酒盛りとなった。飲むと毎度だらしなくなる父親を見ているので、伊羅将いらはただけは普通にお茶だ。別に飲みたくもない。


 父親とレイリィは初対面というのにウマが合うらしく、昔からの知り合いのように和気あいあいとなった。レイリィは、産まれたときは伶倫れいりんと呼ばれていたらしい。「漢字の画数が嫌」という理由で、勝手にレイリィと名乗ってるんだそうだ。


 根付に封印されながらも物部家の盛衰をすべて見聞していたようで、レイリィは父親に謝った。


「ごめんなさーい。私のせいで離婚させちゃって」

「いいさ。レイリィちゃんのせいじゃなくて、吉嗣がアホなせいだし」


 醒めた笑顔を、父親は作ってみせた。


「今の、どういう意味?」


 伊羅将は思わず食いついた。離婚原因は母親の浮気と聞いているが、子供の頃の話なので、あんまり具体的な理由とかは尋ねたことがない。


「物部の嫡男は、契約で生命力を吸い取られる」

「……それで?」

「なんて言うかな。若年性男性更年期障害というか……、要するに元気なくなっちゃうんだよ」


 伊羅将は子供時代を振り返った。能天気な父だけれど、たしかに元気さには欠けていた。


「母さんも辛かったんだ。高校のときは元気ハツラツ『熱血ーぅ』とかだった彼氏が、結婚後、どんどん辛気臭い雰囲気になっていったのが。……仕方ないことさ。これも運命だ」

「ごめんねー国光くん。その分これから、娘のように尽くしてあげるからさ。はい、どうぞ」


 焼酎のボトルを取ると、レイリィは、父親のグラスに優しく注ぎ、水で割ってあげている。それから自分のグラスにドクドク注ぐと、一気に飲み干した。


「ぷはーっ。おいしいー」


 観察していると、父親が水割り一杯飲む間に、ストレート「大盛り」三杯はやっつけている。物部家の酒類エンゲル係数が異様に高まるのは時間の問題だなと、伊羅将は思った。


         ●


 結局、父親はあっさり酔い潰されてしまい、伊羅将とレイリィで寝室に運ぶはめになった。


「こりゃ、明日は仕事休みだな。ま、よくあることだけど」


 伊羅将が呟くと、レイリィが微笑んだ。


「はあ。きっと私と会えてうれしかったのね。百五十年の時を超えた約束だもの」

「ちょっと違う気がするが。……それより、妖怪も夜は眠るのか?」

「うん。というか眠るのがむしろ本性でえ……」

「ふーん……。なら客間でいいか。いくらでも部屋あるし」


 古臭い平屋建ての木造家屋。腐るほど空き部屋がある。客間も本来は立派なのだが、もう何年も来客などないし、父親も伊羅将も不精なので、使わなくなった道具や寝具が無造作に散らかしてある。それをざっくり整理してやると、布団を敷いた。


「ボロくて悪いけど、ここでいい?」

「いいよ」


 にこにこしている。


「じゃあ、おやすみ」

「はい。またあとでね」

「あとで……?」


 顔が訝しげに陰ったのが、自分でもわかった。


「あとで会いましょ。夢の中で」

「……えーと」

「私は仙狸ですよー。夢で会うのがお仕事だし」

「そ……それって」

「うふん」


 絶句した伊羅将をよそに、レイリィは色っぽい笑顔を浮かべた。


 ――そうだよ淫魔だって話だし。契約にもたしか、復活後は精を与えるとかなんとか……。こっこれは、男にとって夢のようなシチュエーションが現出するってことでは……。


 挨拶もそこそこに部屋に取って返すと、普段の五割増しくらいていねいに歯を磨いて、伊羅将は布団に横たわった。しかし興奮しているせいか、こんな日に限って全然眠くならない。


「くそっ。授業中は死ぬほど眠くなるってのに」


 一計を案じて、教科書をひっぱりだしてみた。いちばん苦手な数学の奴。横になったままそれを読んでいると、狙いどおりあっという間に睡魔に引き込まれてゆく。情けない。

         ●


「はあー。これが伊羅将くんの夢の中ね」


 真っ白な夢の世界に、んぱっとレイリィが登場した。夢の中でもTシャツとジャージを着ている。伊羅将を発見すると手を振った。


「あっ伊羅将くんだ。ハロー。はろはろー」

「……。よ、よお」


 ぎこちなく、伊羅将は手を上げた。


「なんか変だな。自分の夢の中で人と会うってのは」

「本来の意味で出るのは、私も初めてだからねー」

「えっそうなの?」

「うん。それができるようになってすぐ、封印されたから。『やり方』がまだよくわからなくて」

「へえ……」

「でも伊羅将くんは契約で私に縛られるんだし、こうやって少しずつ練習していけばいいよね」

「お、おう……」

「なんか硬いなあ」


 レイリィは腕を腰に当てた。


「それよりお前、髪の色が違うじゃん」


 さっきは金色だったのに、今はピンクだ。瞳も炎のような赤に輝いている。


「うん。私、気分で色が変わるんだー」

「へえ……」

「では、そろそろ……」


 夢の中にソファーが出てきて、ふたり並んで腰を下ろした。


「わ、私は仙狸なんでぇ。その……エッチなことをですねえ……」


 汗をかいている。


 ――いよいよ来たかっ!


 伊羅将は思わず手を握り締め、小さくガッツポーズをした。


「まず夫婦生活の入門編として、とりあえずおままごとを……」

「お……ままごと」


 テンションが微妙に下がった伊羅将に構わず、レイリィは続けた。


「ねえ、あなたぁ。ご飯にする? お風呂にする? それとも、わ、た、し……」

「お前だろ、決まってんじゃん」

「だめ。そこは『ご飯』からって決まってるの」


 すねている。


「はあそうすか。……てか、なら尋ねるなよ」

「はーい。ご飯ですよー」


 ままごとみたいなプラスチックのお茶碗が出てきた。ご飯は盛られていない。


「はい。召し上がれ」

「……って、なにも入ってないけど」

「おままごとって言ったでしょ」

「本当のままごとかよ。十年ぶりだぞ、こんなん」


 愚痴をこぼしながら、食べるふりをする。続いて風呂だ。ただこれも、風呂に入っている「体」で、服を着たまま体を流すマネをするだけ。さっき現実の風呂に降ってきたときのほうが、はるかにエロい始末だ。


 それでもいよいよ待望の「わ、た、し」案件になる。レイリィはもじもじし始めた。


「そ、そろそろ……その。仙狸のあの……それだけど」


 歯切れが悪くなる。期待に満ち満ちたまま、伊羅将は黙って待っていた。


「……き、今日はなんかちょっと……恥ずかしいから。ま、また今度ね」

「えっマジ?」

「だ、だってまだ会ったばかりだし」

「でも淫魔って、知らない奴の夢にだって出るんだろ」

「淫魔じゃないもん。仙狸だもん。あんなデリカシーのない連中と一緒にしないで」


 ムキになった。


「そ、そんなわけで。さよなら~」


 手を振られた。文句を言おうとしたが彼女が残した終了の呪法のせいで、心地良い眠りの深遠へと引きずり込まれてしまう。くそ、初心者マークのくせに、仙狸の翻弄力恐るべし……。

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