金魚すくいセット【りんご飴】

「魔法の秘薬にりんごを浸けよう、永遠(とわ)の眠りがしみ込むように」


 『白雪姫と七人の小人』のフレーズを口ずさみながら、割り箸に刺したりんごへ飴(アメ)がかけられる。

 なにやらメルヘンに感じるが、しかしそれだと毒りんごだ。

 第二次大戦でドイツの暗号器『エニグマ』と激闘を繰り広げた天才アラン・チューリングも、白雪姫の映画を観て同じフレーズを口ずさんでおり、間もなくりんごに青酸を塗って自殺している。

 決して胸躍るフレーズではない。

 だが、

「美味しそ」

 隣りのお姫さまは何も疑問を抱かず、魔女というには若すぎる屋台のお姉さんからリンゴ飴を受け取った。

 作り立てのものは熱いし、飴が固まっていないので、店頭で冷やされていたものである。

「ん、甘い」

 まあ、本人が幸せならそれはそれでいいだろう。

「あんたも食べる?」

「ああ」


「あーん」


「……」

 さすがにあーんというのは躊躇われたので無言でかぶりつく。

 飴の甘味とリンゴの酸味がいい塩梅だ。

 ただ一人で食うには少し多い。

 やはり二人で一本のリンゴ飴を齧りあうのがベストだろう。

 決してイチャつきたいわけではない。

「さて……」

 リンゴ飴を咀嚼しながら屋台を物色する。

 次は綿あめか、チョコバナナか、タコ焼きか。

 狐のお面も買わなければいけないし、浴衣の帯に挟むうちわも必要だ。

 射的や型抜き、輪投げといった遊びも外せない。

 どれにしようか迷っていると、妙な絵が目に入った。

「なにあれ?」

「国芳(くによし)だな」


 金魚すくいの屋台に歌川国芳の浮世絵が飾られていた。


 あまり浮世絵には詳しくないが、国芳は現代にも通じる個性的な画風が好きなので他の絵師よりは知っている。

「たしか『金魚づくし』とかいうシリーズだ」

「へー」

 金魚が擬人化され、コミカルに描かれていた。

 腹ビレを足に、尾ビレを尻尾のようにして立ち、胸ビレを手にして仲間と手を繋いだり、酒を飲んだり、こちらをにらんでいる猫を武器で威嚇していたりする。

 なかなか面白い絵だ。

 機会があれば一枚買いたい。

「おっちゃん、2人分」

「400円だよ」

 金を払ってポイを選ぶ。


 ポイとはラケット状のフレームに和紙の張られている、金魚をすくう道具だ。


 金魚すくいは1回200円だが、ポイは2枚選べるらしい。

 実質1回100円か。

 比較的良心的な価格と言える。

「なにしてんの?」

「光で透かしてる」

 ポイに屋台の灯りを当て、和紙の状態を観察する。

 紙がたるんで、シワのよっている物が多い。

 このように波打っているポイではすぐ破れてしまう。

 しかもここにあるポイはほとんど6号だ。


 ポイは数字が低いほどやぶれにくい。


 公式の大会で使われている5号なら初級者でもすくいやすいのだが。

 6号はちょっと厳しい。

「これを使え」

 数少ない5号や、しわがなくピンと張っているポイを選んで渡す。

 これなら初級者でもすくえるだろう。

「あ、かわいい」

 瑞穂が水槽を泳ぐ一匹の金魚に目をつけた。

 尾ビレをゆらゆらと揺らし、何とも優雅に泳いでいる。

 ただ上から見る分には綺麗だが、横から見たらどうだろう?

 昔はガラスが普及していなかったから上から見ることが多かった。

 だから上から観て美しいものが好まれていたらしい。

 これはたぶん古いタイプの金魚だ。

「これすくえる?」


「やめとけ。こいつは『かみごろし』だ」


「神殺し!?」

「神さまじゃないぞ。ポイの和紙を殺すってことだ」

 この金魚は他のやつより一回り大きい。

 一筋縄ではいかない。

 客寄せであると同時に、客から金を巻き上げる怪物だ。

「ポイのフレームに引っかければすくえるかもな。ただ金魚が怪我をする可能性があるし、なにより邪道だ」

 フレームに尾ビレが触れるのは仕方ない。

 だが金魚の重心にフレームを合わせるのは反則技だ。


『枠(わく)ですくうな、粋(いき)にすくえ』


 あくまで和紙ですくう。

 それが金魚すくいの醍醐味である。

 そもそも金魚を飼うなら一匹か二匹で充分。

 上から観てどんなに綺麗でも、売り物になるような金魚をこんな場所で泳がしているのも不自然だ。

 たぶん傷ものだろう。


 金魚すくいは紙が破れるまでに何匹すくえるかが楽しいのであって、枠ですくっても何も面白くないし意味がないのだ。


「じゃあ小さいのすくうわ」

「ならあっちの水槽にしろ」

 屋台には水槽が2つ並んでいた。

「なんで?」

「向こうの方が金魚が多い」

「数が多いとすくいにくそうだけど……」

「多い方がすくえそうなやつを見つけやすい」

「なるほど」

 水槽を移動する。


「それからポイは紙の張られてる方を上にしろ。そっちが表だ」


「ポイに表と裏があるんだ」

 瑞穂がポイをくるっとひっくり返す。

 裏でもすくえないことはないが、紙の張られてる方が下にくるので、裏面ですくおうとすると水が溜まってしまう。

 表よりも破れやすいのだ。


「金魚は暗い場所に集まる習性がある。自分の体で陰を作って金魚を誘(おび)き出せ。ただ陰を作っても動けば逃げられるから、金魚が来るまで無駄に動くな」


「……注文が多いわね」

「それだけ奥が深いんだよ」

 光源の関係で、普通に金魚をすくおうとしても陰を作りにくい。

 なので水槽を回り込み、灯りを背中にして陰を作ると金魚が集まってきた。

「体が小さくて、動きの遅いやつを狙え」

「OK」

 狙いを定めてポイを入水させた。

「あれ?」

 あっけなく和紙が破れる。


「ポイは斜めに入れろ。それも一気にだ。半端に水につけた状態で動かすと破れる。それと……」


「こうね」

 続きを聞かずに瑞穂がポイを入水。

 そして、

「あ、来た!」

「バカ、待て!」

 金魚の下にポイを移動させた瞬間、一気に引き上げた。

「あれ?」

「……上下に動かしたら、紙に思いっきり水圧がかかるだろうが」

「あ、そっか」

 金魚の下にポイを移動させた瞬間、あるいはポイの上に金魚が来た瞬間、上に動かしてしまってポイを破くのは初級者がよくやる失敗だ。


「ポイは斜めに入れて、斜めに引き上げろ。水の中では水平に動かせ。傾けたまま動かすと簡単に破れるぞ。追いかけすぎるのも厳禁だ。無理だと思ったら素直にポイを引き上げる」


「はーい」

 ある意味野球のバッティングにも似ている。

 かのミスタータイガースはダウンスイング、つまり上から下にバットを振り、インパクトの瞬間にはレベルスイング、水平軌道に変え、アッパースイングで押し込んでホームランを量産したという。

 俗にいう『Uの字打法』だ。

「次はこの子ね」

 新たなポイを補給し、小柄な獲物に目を付ける。


「浅い場所にいるな。あんまり角度をつけない方がいいぞ。なるべく金魚に近い場所からポイを入れた方がいい」


「浅い角度で近い場所からね」

 逆に深ければ角度をつけた方がいい。

 なるべく遠い場所からポイを入れ、引き上げる。

 深い位置に金魚がいるほどUの字に近くなるわけだ。

「そー」

 ポイを慎重に近づけていると、狙いをつけていた金魚が水面から顔を出した。

「今だ!」

 瑞穂が水を切るようにポイを走らせ、一気に引き抜いた。

「やった!」

 だがしかし、

「あー!?」

 すくった金魚を入れる左手のおわんを動かしておらず、あっけなく金魚に逃げられ、しかもポイの上半分が破れてしまった。

「……こんなに破れたらもうダメね」


「いや、金魚すくいはむしろ半分破れてからが本番だ。上半分と下半分じゃ紙の強さが違うからな。下の方が破れにくい」


「そうなの?」

「経験則だがな。しかしまあ、お前にはきついかもしれん。交換しよう」

「ありがと」

 破れたポイを俺のと交換する。

「……というか、最初に手本を見せておくべきだったな」

 さっと金魚をすくって見せる。

「え、今の金魚泳いでたしょ? なんでそんなに簡単にすくえるの?」


「泳がせたんだよ。どんな動物も目の前に壁が出来たら向きを変えるだろ? だからポイを横切らせて、金魚を自分のすくいやすい向きに方向転換させてから、さっとすくいあげる」


「……なんか難しそう」

「壁の傍にいる金魚を狙ってもいいぞ。これならどっちに動くか予想しやすくなる」

「なるほど」

 瑞穂が陰を作り、金魚を壁際に誘い出す。

 そしてポイを入水させるものの、なかなかタイミングが合わずポイを戻した。

「ん?」

 すると、すくおうとしていた金魚が水面から顔を出した。

「今だ!」

「えいっ!」

 浅い角度で近い場所から、ポイで水面を切る。

 今度はポイにおわんを引き寄せていた。


 ぽちゃ


 無事に金魚をおわんに移動させることに成功する。

「やった!」

「運がよかったな」

「でもなんでこの子、水から顔出したの?」


「酸欠だよ。この水槽は数が多いからな。金魚はエラ呼吸だが、酸欠になると顔を上げて呼吸する。大会ではエアポンプを止めて、すくいやすくすることもあるらしい」


「へー」

 それから金魚すくい勝負になったものの、むろん俺の圧勝で幕を閉じた。

 さすがに20匹も飼えないので、2匹をビニール袋に入れて残りを水槽に戻す。

「うふふ、仲良し」

 二匹ともオス、あるいはメスの可能性もあると思うのだが。

 そこは触れないでおこう。

「人が増えてきたな」

 はぐれないように手を繋ごうかと思っていたら、先に腕に抱きつかれた。

「……くっつくな、暑苦しい」

「仕方ないでしょ、そういう習性なんだから」

「は?」


「陰の中が一番落ち着くの」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る