囲碁セット【モンブランと栗の甘露煮ドリンク】

「……あー、やっと終わったー」

 金曜の放課後。

 瑞穂が足を引きずるように歩き、何とかカフェに辿りつくと行き倒れのごとく畳へ突っ伏した。

 体力が尽きたらしい。

 週末はいつもこんな感じだ。

 明日は休みなのでまだマシな方だが。

 土曜授業のある日はもっとひどい。一言でいうなら生ける屍。

「……どうせ週休二日なら土日じゃなくて水日とか木日にすればいいのに」

「そうだな。さすがに金曜の放課後ともなると体がだるい」

 俺も解放感にひたりながらブレザーのネクタイを緩める。


「じー」


 瑞穂の視線を感じた。特に首回り。

 手だけでなく首や喉仏も好きなのか。

 好きなパーツの多い奴だ。

「暑いな」

 試しに肘まで袖をまくってみると、チラチラ熱い視線を送ってくる。

 更に二の腕までまくって上腕二頭筋を見せると、顔ごとこっちを向いた。


 ちょろい。


 たぶん鎖骨や腹筋にも釣られるだろう。

 好きなパーツが多いというよりも、もはや嫌いなパーツなど存在しないのではないか。


「おやつ食っていいから起きろ」

「おやつなに?」

「モンブランだ」

「やった!」

 むくっと起き上がる。

 現金な奴だ。

 冷蔵庫からモンブランを引っ張り出して栗の甘露煮をのせる。

「お茶はほうじ茶、紅茶ならウバ、コーヒーならコスタリカがオススメだ」

「じゃあほうじ茶」

「あいよ」

 煎茶の茶葉をフライパンで軽く炒り、茶を淹れる。

「ほうじ茶にしては渋いわね」

「浅炒りだからな」

 煎茶のコクと渋味を残しつつ、香りを高くする。

 渋くて香りのいいウバが合うように、浅炒りほうじ茶もモンブランにマッチするのだ。


「ん? 甘露煮が余ってるな。俺は甘露煮のジュースにするか」


「は?」

「結構美味いぞ」

 セロリを切って甘露煮とシロップ、牛乳と一緒にミキサーにかける。

「セロリってスジ取るんじゃないの?」

「それは昔の話だ。今のセロリは品質もよくなってるからスジがほとんどない」

「へー」

 あとはレモン汁で味を調えれば完成だ。

「あ、おいしい」

「だろ?」

 ちなみにパパイアでも美味い。

「さあ、今日は石の形を覚えるわよ!」

 モンブランの糖分で体が完全に起きたのか、瑞穂がドンっと碁盤を置く。

「形?」

「囲碁は一度置いた石を動かせないから形を覚えるのが重要になるの」


「いい手の形、喉仏の出方、筋肉の付き方、だな」


「違うわよ! 将棋は同じような形でも、駒は自由に動かせて持ち駒もあるし、段とか筋がずれてたら同じ攻め方は通用しないでしょ?」

「ん、そうだな」

「でも囲碁は将棋の駒と違って石の性能はみんな同じだし、ルールが単純だから結構通用しちゃうの。だからビジュアルで覚えるのよ。盤上にドット絵を描くゲームとも言えるわね」


「そういや将棋は左脳、囲碁は右脳を使うって聞いたことあるな」


「そうよ。左脳は20代がピークだけど、右脳は年齢関係なくどんどん伸びていくの。だから囲碁を打ってる人は呆けないんだって」

「ほー」

 呆け防止といわれても食いつくのは老人だけで、逆に囲碁は若者向きのゲームではないとイメージさせてしまうのが落ちだが、そこは黙っておこう。

「右脳は左半身を、左脳は右半身を司ってるから、囲碁と将棋で使う手をスイッチする人もいるわね。っていうか私だけど」

 たしかに囲碁を打つ時は左手で裸眼、将棋を指す時は右手で眼鏡をかけている。

 あれは囲碁脳と将棋脳を切り替えるためのスイッチだったのか。

「じゃあ形ね。たとえばこれ」


〇〇 → 〇〇

◆◆   ◆◆〇


二目の頭


「こういう形になったらとりあえずハネときなさい」

 ホワイトボードに『二目の頭は見ずハネよ』と書く。

「こっちは『二立三析にりつさんせき』」


◆ 〇   ◆ 〇123〇

 ◆〇 →  ◆〇


二立三析


「この〇みたいに石が二つ立ってる場合は、三間開いて打っていいの。一立二析、三立四析とも言うわね。それから……」


 ◆


コスミ


「これはコスミ。自分の石の斜めに打つこと。ただこんな風に」


◆   ◆

〇 → 〇◆


「相手の石がある状態で打つのはコスミとは呼ばない。でもたとえば、この〇がこちらのコスミに対して打ちこまれた石だとしたら」


◆◆

〇◆


「こうやればすぐにツゲるでしょ? つまりコスミは絶対に切られることがない形なの」

「なるほど」

「ただコスミとか前に教えたカケツギは、つい初級者が無駄に打っちゃう手筋なのよね」

「いい形なんだろ?」

「悪い形じゃないわ。でも一番強い形じゃない。石が二つ並んだ『鉄柱』には敵わないのよ」



鉄柱


「でも鉄柱って見た目が地味でしょ?」

「まあ、石を一つ伸ばしただけだしな」

「コスミだって斜めに打っただけなんだけど、『絶対に切られることがない』っていう特性が印象的で、鉄柱より気が利いてて発展性があるように見えるの。カケツギもそう」


◆〇〇     ◆〇〇

◆◆ 〇   ◆ ◆ 〇


カタツギ   カケツギ


「普通のツギ、いわゆるカタツギより格好いい形だから初級者は打ちたがるのよ。でもカケツギはカタツギみたいに完全に塞いでるわけじゃない。代表的な愚形に『空き三角』と『陣笠』があるんだけど」


 ◆        ◆

 ◆◆   →  ◆◆◆


空き三角     陣 笠


「空き三角を作るまいとしても、カケツギから陣笠になったりするから気を付けて。一ヶ所へ無駄に石を集中させている間に、相手に別の場所へ打たれるから」

「無難に守りたい時は黙って鉄柱とカタツギにしとけってことか」

「そういうこと。それから愚形だけど……」


◆〇

 〇◆


サカレ形


「サカレ形の典型的なパターンよ。この形だけは絶対に作っちゃ駄目」

 おやつをつまみながら復習する。


 二目の頭、二立三析、コスミ、鉄柱。

 空き三角と陣笠とサカレ形は厳禁。


 おやつを食い終る頃には日が暮れかけていた。

「あ、そろそろ帰らないと」

「そうだな」

 緩めたまま送っていくのはだらしないので、ネクタイを締め直す。

 その様子を瑞穂がじっと見ていた。

「ネクタイネクタイ……。あった!」

 瑞穂がバッグの中からネクタイを取り出した。

 うちの制服はブレザーだから、女子でもネクタイを締められる。

 実はリボンよりもネクタイの方が柄が豊富なため、女子の間では定期的にネクタイブームが来るらしい。

 一番ネクタイが多くなるのはバレンタインからホワイトデー(あるいは卒業式)までの間だという。

 学年によってネクタイやリボンの色は違うが、同じ学年ならお揃いのネクタイを締めることができるからだ。


 瑞穂がするっとリボンをほどく。


 本人は意識してないようだが、傍から見ているとドキッとする。

「えっと、これがこうしてこうなって……???」

 おぼつかない手つきでネクタイを結ぶ。

 案の定、わけのわからない絡ませ方をさせていた。

「貸せ」

「え、でも自分で結ばないと覚えられないし……」

「制服脱ぐ時にネクタイ緩めて首から抜けばいいんだよ。で、また制服着る時に頭から首に通して締める、と」

「そんな裏技が!」

 リボンでも同じことができそうなものだが。意外に毎日ちゃんと結んでいるのだろうか。

 瑞穂からネクタイを受け取って首に絡める。

「……ん?」


 結べない。


 自分のネクタイを結ぶのと、人のネクタイを結ぶのとでは勝手が違う。想像以上に難しい。

 悪戦苦闘していると妙案を閃いた。


「後ろから結んでみよう」


「後ろから?」

「自分のと同じ感覚で結べるはずだ」

 ただし俺の狙いはネクタイとは別にある。

 ネクタイ片手に背後へ回ると、やはり予想していた通りだった。


「ふわああ!?」


 肩越しに胸元を覗き込むような体勢。

 しかも顔が近い。頬と頬がくっつきそうだ。

 これ以上ない好形だ。

 打てる手は4つ。


 1ネクタイを結ぶ。


 2後ろから抱きしめる。


 3顔を横に向けて頬にキスをする。


 4全部。


 持ち時間はネクタイを結び終わるまで。余り猶予はない。


「結ぶぞ」

「う、うん」


 ただ一つだけわかっていることは、どんな手を打っても俺の勝ちだということだ。

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