報告②
カタタ……ピ。
私は、報告書を送信し終えてノートパソコンを閉じました。
すると、コトリと私のデスクにミルクティーの缶がおかれます。
「お疲れさんっす! クリプトン室長!」
にっこり笑うこの作業着姿の少女は、砂辺鳴海。
本件の調査対象者一人でである。
背は低く。
聞けば150cmしかないという彼女は、女性らしからぬ短髪の髪をまるで大工のようにタオルで覆いその額にうっすらと浮かぶ汗を軍手の甲で拭う。
研究室の移転の為、当たり障りない荷物をまとめた段ボールを何往復もして運ぶ彼女は非常にパワフルだ。
流石、学生時代部活動で柔道をしていたと言うだけはあるが、その小柄な見た目ではよく分からない。
見かけでは細く見えるその腕からいかにあのようなパワーを引き出しているのか……筋肉の質が違うのか?
しかもまるで、エレメンタリースクール(小学生)かと思う見た目なのに年は18歳で間もなく19になろうと言うのだから面接で履歴書を受け取った時は年齢偽証ではないかと疑ったものだ。
「どうしたんっすか? クリプトン室長? ずっと、パソコンなんてしてたから疲れたんじゃないっすか?」
無邪気に微笑むこの少女は、恐らく本件とは無関係だと推測されるが念には念を入れなくてはならない。
「じゃ、自分はあの段ボールを下に運んだらいいっすね?」
小さな体の何処にそんな体力を隠し持っているのか、少女は廃棄書類のぎっしり詰まった段ボールを軽々と肩に乗せ研究室を出て行く。
もう殆どの電気の供給がストップされているこの施設は、既に搬入搬出の為のエレベーターすら使えなくなっていると言うのにもう何往復目だとうか?
バタン。
少女が出て行くと、先程まで賑やかに感じていた研修室はまるで火が消えたようにもの寂しくなる。
あの少女の笑顔は、まるで太陽の様だ。
私は、サンプルの廃棄され掃除のすんだ段ボールだらけの研究室でふと思う。
【Messiah計画】
それは、この混沌とした不条理で不平等な世界を創った愚かな人類を抹殺し選ばれた人類のみで新たな世界を創造するための救済。
我が組織は、この計画を完遂するため全世界に私のようなものを送り選定された研究者を本人も気が付かぬ間に陰で操り人類撲滅のためのウイルス【Messiah】の研究及び大量培養をさせる。
そして、この度初めて昆虫を介した増殖を経た【Messiah】の試作品をその地域で試験散布を経て全世界へと転用させるはずだった。
今回のような妨害さえなければ。
私は、重要データのエクスポート作業に移ります。
このデータは、この病害蟲防除技術センターでの昆虫を使った【Messiah】の増殖・散布法についての重要なものだ。
このデータがあれば、今後の世界展開に大いに役立つことだろう。
私は、ザーバー内からファイルを選択た。
カチッカチッ。
【delete】
【yes】 or【no】
カチッ。
が、ガガガガガ______ピ。
【指定されたデータのdeleteを完了しました】
私は、眼鏡をはずしまだ埃の少し残った天井を見上げ目を閉じた。
瞼には、あの少女の笑顔が浮かびます。
選ばれし人類の理想の世界。
その中にあの笑顔はありません。
彼女のように、学歴も低く生産性に欠ける人物など【Messiah計画】の人類選定基準には遠く及びません。
あの元気な足音も。
慣れない元素記号を覚えようと必死になるあの小さな背中も。
【Messiah計画】のもたらす美しい世界にはないのです。
ならば、そんな世界など本当に理想郷だと言えるのでしょうか?
いいえ、彼女だけじゃなく選ばれなかった人々全てが本当に不必要な存在だと言えるのでしょうか?
「まったく、お前様の言う通りだですね。 玉くん」
私は、deleteしたデータの代わりにコンピューターウイルスのデータを上書きします。
コレが送信されれば、着信と同時に相手のネットワークに感染しメールを開けば即座に侵食されるでしょう。
ファイアウォールの対策は万全ですし、まさかこの私がこのようなデータを送信するなど向こうは誰も思わないですからね。
タタン。
ピッ。
【エクスポート及びメーラーへの送信が完了しました】
「さぁ~て、これからクリプトンさんどうするかよ? なるちゃんち玉くんのデータも偽物ですだね、ガチでヤバいね! 哀れなクリプトンさんに、めちゃ追手がくりすますね~♪」
さ~て、あと48時間以内にこの国から脱出し適当な国に潜伏後に司法取引と亡命を希望するのが一番の安全策でしょうか?
そう言えば、私の知り合いが職場を退職し養女を迎えて故郷の国でバルを開いたとか……彼の料理は絶品ですから一度そこへ赴くのも良いでしょう。
まぁ、その前にこの近所の行きつけの店で食事をしたいものです。
ガチャ。
「段ボール持っていきました~」
「おー、なるちゃんご苦労でござるよ!」
彼女の太陽のような笑顔が眩しい。
これで良かったのだ。
私は、この笑顔を守ったのだ。
「おっと、もう昼だよなのだよ! なるちゃんお昼メシはもってきたかよ?」
「いいえ、コンビニ行こうかと」
「なら、最後の晩餐ついてにクリプトンさんごちそうさまするよ! マジヤバい蕎麦屋にレッツラゴーなのよさ!」
「え? 『マジヤバい』って、どんな蕎麦屋っすか??」
「はい! 蕎麦屋ですが、蕎麦を使ってない蕎麦屋だですね! 驚きなのだよのね!」
「へぇ……」
少女は、『多分それ、ここら辺じゃ珍しくはねぇっす』と言うが嬉しそうに私の後ろについてきた。
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