蟲工場㉝


 ピッ。



 カードを読ませ重い戸を押し開けると、そこには凍りつきそうな空気と朝焼けに白んだ空。


 目の前のオレンジ色のヘリコプターの傍には倒れた人が一人、恐らく操縦士だ。



 「へぇ、まさか君が来るなんて思ってもみなかったよ砂辺さん」



 白衣に狂気の笑みを浮かべたマッドサイエンティストが、眼鏡越しに意外な妨害者を見すえる。


 

 「小橋川さん……! あんた正気か!」


 

 吠える鳴海に小橋川は更に狂喜の笑みを強める。



 「砂辺さん、この世界はね愚かな人間によって荒廃している。 人間は自分達たった一種が生き残る為なら平気で他の生き物を滅ばす」


 「だからって!」


 「信じられるかい?! たかだか農家と貿易商品の一部を救うが為に一部地域からとは言え人はこの子たちを根こそぎ滅ぼしたんだ!」


 小橋川は、ヘリコプターの後部から見える白い発泡スチロールの箱にそっと触れる。


 「けど、だからってウイルスをウリミバエに運ばせて人類滅ぼそうとか何系の発想ですか!?」


 「滅ぼすなんて……選ばれた人間による新世界の再建だと言ってほしいな」


 身構える鳴海を見すえ、小橋川はヘリコプターを指さす。


 「見てくれ! あのヘリに積まれているのは新世界への希望だ! それがなぜわからない______」



 ______ああ、基地外がなんか言っている______



 終末思想的な新世界論は、体育馬鹿には届かない。


 鳴海にしてみれば、この頭のイカレたマッドサイエンティストの新世界論などとんだ戯言で高校を卒業して放り込まれたこの世界こそ新世界だ。


 慣れ親しんだ汗臭さと苦痛の果てに突きつけられた現実こそ世界だ。



 「考えても見てくれ! 種を滅ぼすなど、許されない! もしもソレで産業の一つが無くなったとしてソレは『神』の意思だ! 何人たりとも犯してはならない! だから僕は全てを正す為もてる知識を使い粛正する! ああそうさ! コレは許される行為なんだ!!」


 鳴海は自分にの思想に酔いしれ、悦に入った哀れな男を見すえゴキッと手首を鳴らし軽くステップを踏む。

 

 「ま、待ってくれ! この崇高な行いが何故分からない?! そうだ! 君にこのワクチンをあげよう! これさえ摂取していれば君は生き残れる! 何なら君の家族の分を提供してもいい! どうだ? 共に新世界を創ろうじゃないか!!」


 「はぁ、玉城先輩……こんなののどこが面白かったんすか? ……いや、見ようによっては馬鹿らしくて笑えるのか?」


 鳴海は浅く息をし____ザッ!

 

 

 地面を蹴る音が聞こえた。



 小橋川がそう思った時にはその眼前に鳴海が迫る!



 「ぎゃああああああああああ!!」



 あっと言う間に腕が捩じ上げられ、その体は地を這う。


 「は、大げさだな……感謝しろ、玉城先輩に言われて無かったら投げ技で地面に叩きつけているとこっすよ?」


 恨めしげに睨みつけてくるマッドサイエンティストの腕を更に絞め上げなら鳴海は低くうなる。


 「っち……ああ、くそっ!」



 頭のおかしい科学者を捕まえた。


 しかし、こみ上げるのはここら辺一体のピンチを救った高揚感などではなく玉城の手のひらで踊らされていたと言う悔しさ。



 ブブブ。



 鳴海は開いた方の手で、作業着のポケットからスマホを取り出した。


 それは、最近入れたばかりのコミニュケーションアプリの通知。


 「え? メッセージ?」


 親指でタップすると表示される。



 玉城圭<けーさつ、もうつくからよろしく。 またな鳴海~w



 初期設定のブルーの画面の左側に表示される吹き出しが踊り、鳴海は慌てて打ち返すも【このユーザーはみつかりません】の文字が虚しく突き返される。



 けれど、打たれた『鳴海』の文字に胸が熱くなるのを感じた。 





 



 「県警本部刑事課の青沼だ、砂辺鳴海さんだね? 君に、にさん聞きたいことがある。 いいかな?」


 駆けつけた警察と救急車で騒然となる現場で保護されパトカーの中で休む鳴海の前に、年は30代後半の黒のスーツに茶色のコートに身を包んだ青沼と名乗る刑事が現れた。


 「……あなたが青沼さんですか……やっと会えましたね……」



 憔悴しきった鳴海の言葉に青沼は眉を顰める。



 「私を知っているのか?」


 「電話で一度……それと、玉城先輩から……警察にいったら貴方を訪ねろと……」



 青沼は、『彼がね……』と短く呟くと今度は黒い革のメモ帳をとりだした。



 「君と玉城圭の関係は?」



 唐突な質問に今度は鳴海が眉を顰める。


 何故、いきなり玉城との関係を聞かれるのか?


 ここはまず小橋川の事を聞かれるのが先じゃないのか?


 っと、疑問が浮かんだが鳴海は取りあえず答える事にした。


 「同じ学校で同じ部活の出身ですが……?」


 「ずいぶん年が離れているようだが、いつから知り合いに?」


 「ぇ……あ、この職場に来てからです……それまではお互い知り合いではありませんでした」

  

 「ここで出会ったのが初めてと言う事だね?」


 「はい……一体何なんです? この質問??」


 鳴海は青沼に問うが、青沼は問いを黙殺する。

 

 「続いては今回の被疑者のことだが______」


 「ちょっと! こっちの質問にも答えて下さいよ!」


 ギッと、睨む鳴海に青沼はじろりと睨み返す。


 「此方がその質問に答える必要はない」


 「なら自分も答えません!」


 噛みつく鳴海の顔を青沼がじっと見てため息をつく。


 「……玉城先輩は、小橋川さんみたいに逮捕されるんですか……?」


 「いいや、『今回も』彼はあくまで何も知らない補助員として作業に従事していたに過ぎない……証拠不十分だよ。 大変残念なことにね」



 青沼の言葉に鳴海はほっと胸をなで下ろすも、その口振りに引っかかる。


 「『今回も』って、どう言う事ですか? 前にもこんな事が?」


 「……彼と私には少しばかり因縁があってね……まぁ、これ以上は話せない……が、もし君が私に協力すると言うなら教えても構わないと思っているよ」


 一瞬、青沼の目がまるで蛇が獲物をとらえるようにねっとりとした視線で鳴海を舐めたがそれに気づける程鳴海は長くは生きていない。


 「協力……? 自分が?」


 「ああ、無事な所を見るにどうやら君は彼にとって少しは特別な存在なんだろうからね」



 もう一度、彼に会いたいと思わないか?



 差し伸べられた手。


 蛇が舌を舐めるような甘い誘惑が鳴海の耳をくすぐる。



 「会いたいです……もう一度」


 「なら___」



 鳴海はその手を払いのけ、青沼をじっと睨む。



 「けど、あんたの手は借りない、会うだけじゃ足りないもの!」


 ぬるりとした蛇の目は、口惜しそうに視線をそらし差し出した手を引っ込め背を向ける。


 「わかった……残念だ、では今回の聴取を署の方で行う___出せ!」



 青沼が、バタンとドアを閉めるとパトカーは走り出した。

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