蟲工場㉙
「いや、ヘリには来てもらう。 きっと、彼女と玉城君はこうして僕と君が行動を共にするとは思っていないだろう……折角油断しているのだから下手に動いて気づかれたくはない」
確かにそうだと、鳴海は頷く。
「じゃ、何から手を付けますか?」
小橋川は、マウスをクリックしてモニターにこの建物の地図を表示した。
「この建物は、病害蟲防除技術センターのミバエ班の入っていいる棟なんだ。 君にはまず地下にあるウリミバエの製造区画へ行ってもらいたい」
「げっ! あそこかぁ~……」
ピックアップされた場所。
そこ場所は鳴海が以前に迷いこんだあの『蟲工場』で、画面を見るだけで鼻の奥に記録されたあの匂いが蘇り思わず顔をしかめる。
「そんな所でなにするんですか?」
「そこで、君に頼みたいのは製造プラントの真上にあるコバルト60照射済みの蛹の羽化室にあるミスト発生装置のタンクにこれを入れてほしいんだけどお願いできるかな?」
小橋川は、自分の白衣のポケットから何やら厚みが1cm程の名刺程の大きさの銀色の箱を取り出し鳴海に渡す。
「これ、なんすか? ソレになんでウリミバエの工場に?」
「通常、突然撒く予定の蟲が変わったらヘリの人間が不振に思うがそう思わないのが定期的に撒かれているウリミバエだ。 僕が彼女でウイルスや病原体を広めるつもりならアリモドキやイモゾウムシなんかより飛行力の優れているこの蟲を選ぶ……だからこの僕の作った遺伝子に直接作用する薬品を蛹に散布してほしい」
モニターの反射する小橋川の眼鏡が鳴海をみて、手渡した箱を開けるように促す。
中には青い液体の入ったガラス製の小さな容器が3本入っていて、鳴海はその一つを手に取ってモニターの光にかざしてみた。
「……ウイルス撒くって、マジで赤又さんはそんな事をしようとしてるんですか?」
小橋川に散々話を聞いた後でも、鳴海のイメージする赤又はどう見てもそんな事をするように見えない。
「最悪の事態を想定したまでだよ……僕だって彼女がそんな事をしようとしてるなんて考えたくはないんだ……けれど、残念な事に状況が状況だからね」
眼鏡がモニターを反射しているため表情はよくわからないが、その声はどこか上ずって感情が高ぶらせているだろう。
そんな小橋川を前に、鳴海は『まるで、今の自分と同じだ』と胸が締め付けられる。
「これ、ウリミバエにどう効くんですか? 死ぬとか?」
「いや、ウリミバエ事態には影響はないよ……死なない。 あの子たちに罪はないし、死なれては困るからね。 終わったらここに戻って来てくれ」
小橋川は、そっとモニターを撫でながら『宜しく頼むよ』と優しく気にほほ笑む。
鳴海は、その声に見送られ監視室を後にした。
◆
「さてっと」
薄暗い階段を鳴海は下へ下へと下る。
小橋川が見せてくれたモニターのマップによれば、今いるこの棟は主にウリミバエの大量増殖を行ている場所で今向かうべきウリミバエの工場はその地下にあってどうやら鳴海の所属する特殊病蟲班の入っている隣の棟とも繋がっている。
「確か、『蛹の羽化室』だったよな?」
あの悪夢の蟲工場は工程の一つにすぎず、今回の目的地がのすぐ上の階の蛹の羽化室。
鳴海は作業着の胸ポケットを確認する。
大丈夫だ、落としたりしていない。
これを成功させれば赤又の企みをとめる事が出来るし、そうすればきっと玉城だって救えるかもしれないと鳴海の中で希望が生まれその足取りは軽い。
『玉城を救う』
自分を傷つけた男に対してそんな風に思ってしまった自分に、鳴海は苦笑する。
妙な感じだ。
蟲とか増殖とかウイルスや放射線や芋とか遺伝子……あまつさえ男なんて、今までの鳴海の人生にとって全く関わりの無いことで自分に芽生えたこの感情に浮足立っていたのかもしれない。
だから、そこら中に漂う蟲臭さも気にならなかったし目的地の蛹の羽化室のカードロックのドアがいとも簡単に開いたことも全く気に留めなかったのだ。
「あ」
「あ」
出会い頭に固まる二人。
鳴海がドアを開けた眼前に、今まさにドアに手をかけようとした死神一人。
バタン!
あまりの事に、咄嗟にドアを閉めた鳴海は外に出すまいとドアを全力で押さえつける!
「マジか畜生!」
内側から出せとばかりにガンガン叩かれるドアに、半ばパニックを起こした鳴海だったが筋力では上回っているのを感じ取りあえず落ち着こうと呼吸を整え為息を大きくすう。
鼻を突き抜ける蟲臭さに吐き気がする。
_____ドアを開けたらそこに、死神が立っていたなんてよくある事ですよね?____
心に浮かんだ誰かさんにそう問いなんとか平静を取りもどした鳴海は、予定とはだいぶ違ったがここで赤又を捉える事が出来れば全てにかたが付くとそう思い直し激しく叩かれる扉に吠えた!
「もうあきらめろ! これ以上、小橋川さんを悲しませるな!」
すると、今まで激しく叩かれていたドアの反動が止み静寂が訪れる。
「あ、赤又さん……?」
反動の無くなったドアを開けるかどうか悩んだが、赤又を捕らえるためにも開けなければならない。
鳴海は、躊躇しながらもドアを開け中に入る。
パタン。
ジー……ガシャっ。
「え?」
ドアが閉じると自動的に自動的にドアのつまみが回り、驚いた鳴海はすぐにつまみを捻った。
ガシャ。
「あ、開いた……そうか、中からなら開くのか……」
ガサガサ……パキパキ……。
パラパラ……パラパラ……。
ドアに向かい、ほっと胸を撫でおろす鳴海の背後でガサガサパラパラと小さな音が……いや、それらの音が重なり耳障りなくらいに大きくなる!
立ち込める蟲のすえた悪臭と薄気味悪い音。
鳴海は、恐る恐る振り返り辺りを見回す。
そこは、『蛹の羽化室』と言う言葉から連想されるイメージからは拍子抜けするくらい理路整然と並べられた銀色のラック。
その中に見覚えのある学校給食のパンとか入ってそうなクリーム色の大きなバットが、びっしりと収納される。
ソレは、鳴海が迷いこんだあの蟲工場のレーンを流れていたもの。
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