蟲工場㉗

 「ちっ、くそっ……!」


 小一時間ほどして、ようやく何とか目を開けられるようになった鳴海はのろのろと古びた照明が点滅する廊下を壁伝いに歩きだした。


 それは勿論、玉城に指示された刑事の元へなどではなく玉城の後を追って。


 「う……!」


 まだ本調子には程遠い霞む目に目薬を差しながら、鳴海は怒っていた。


 許せなかった。


 玉城の優しさが。


 玉城にしてみれば、鳴海は年の離れた後輩以前に女だ。


 この非常事態において、いくら格闘技経験があって運動神経が良かろうとも男である自分が気遣い守るのも当然の事だと判断したのは無理からぬことでだったのだろう。


 だが、鳴海にはそれが許せなかった。


 玉城は、自分一人でこの状況を何とかしようとしている。

 

 それは、鳴海にしてみればそれは遠回しに『お前は足手まといだ』と言われたような物だからだ。


 

 「舐めんな……自分だって役に立てます!」


 自分は、そこら辺の女みたいに守られるほど弱くないと自負していたのに。


 尊敬する先輩に役立たずだと思われたのが、ただただ情けない。


 悔しい。


 鳴海の中で、玉城への好意の分だけ腸が煮えくりかえる。


 取りあえずあのへらへら笑う余裕顔をとっつ構えて、『舐めるな』と一言言ってやりたい!


 その思いが、先程まであった鳴海の中の恐怖心を凌駕しこの薄気味悪い廊下の先へと足を進ませる。



 「つか、っこ、ここって一体どこなんだろう……?」



 鳴海は独り言のようにつぶやく。


 この病害蟲防除技術セインターに勤めて一週間と少し立つが、こんな場所に来たことはない。


 恐らくまだ自分の訪れた事のない区画だと察した鳴海は、研究室に張り出されていたこの施設の見取り図を思い出そうと必死に頭をフル回転させるが見当もつかず自分の方向音痴っぷりにがっくりと肩を落とした。



 「兎に角……玉城先輩はこっちに行ったは______」



 ガン!


  ガン!



 突如、鳴海が手をつく壁側のドアが内側から突き上げられたように激しく音をたてる!


 

 「うわっ?!」


 「だ、誰か! 誰かいるのか!? 頼む! ここを開けてくれ!!」



 ドアの向こうから懇願する男の声。


 鳴海は、その声に聞き覚えがあった!



 「こ、小橋川さん? 小橋川さんですか!?」


 「その声は砂辺さん? ああ、助かった! 閉じ込められたんだ、ここを開けて欲しい!」


 「わかりました! えっ、と……」


 ドアのレバーを掴んだ鳴海だったが、何やらロックされているようで動かない。



 「小橋川さん! これ内側からは開かないんですか?」


 「済まない……いま手足が拘束されてて、此方からでは無理なんだ……」


 鳴海は、掴んだレバーをガタガタと言わせてみる。


 どうやらカードロックされているようだが、このドア自体は先程まで鳴海が放り込まれていた場所ほど頑丈ではないらしい。


 鳴海は、ゴキゴキと手首を鳴らし軽くステップを踏む。


 「小橋川さん! 今からこのドアを蹴破ります! 離れて下さい!」


 「え? ちょっと待ってくれ!」



 ドアの向こうからゴトゴトと何か遠ざかる音を確認した鳴海は、少しドアから距離を取って呼吸を整える。



 「おらぁあああ!!!」



 バン!


 

 見事な鳴海の前蹴りがヒットしたドアは、派手な音をたてて内側へとくの字にへしゃげて飛び込んでいく!


 

 「大丈夫ですか!?」


 「ああ……何とかね……」


 部屋に飛び込んだ鳴海が見たのは、全身を粘着テープでぐるぐる巻きにされミノムシのようになって地面に転がる小橋川の姿だった。




 

 「いや~助かったよ~! ありがとう砂辺さん! 本当に助かった!」



 鳴海の手を借り粘着テープから解放された小橋川は、ひび割れた眼鏡をかけ直しやっと動けたと背骨を鳴らす。



 「一体何があったんです?」 

  


 その問いに小橋川の表情が曇る。



 「彼女にね……」


 「やっぱりそうだったんですか……」


 少し沈黙が流れたが、鳴海は思い切って小橋川に聞いく。



 「今一体何が起きてるんですか? コンテナの蟲の全滅は小橋川さんとは無関係で、それに……」


 「そうだね……少し話が長くなるかもしれないけど砂辺さんも知っておいたほうが良いかもしれないね」



 小橋川は着ていた白衣を整えながら、すたすたと閉じ込められていた部屋から廊下へとでる。


 

 「話は移動しながらにしよう、実は結構時間がなかったりするんだ」


 「え? は、はい!」


 鳴海は、足早に歩き始めた小橋川の白衣の背中に付き従う。

 


 「僕と彼女は大学時代からのライバルでね、その頃から互いに論文や研究でぶつかって来たんだ」


 小橋川はまるで懐かしむように、口火を切った。


 「……仲悪かったんすね」


 「いや、そうじゃない……あの頃の僕らは若くて情熱があった……意見を戦わせていたのも純粋に研究が好きだったから互いに譲れなかったんだよ」



 足早廊下を進む白衣の背中は、どこか寂し気に揺れる。



 「彼女は才能にあふれ研究に対しても実に情熱的で攻撃的だった……その姿はまるで遺伝子に恋しているようだとさえ思ったくらいに」


 「いでんし……?」


 「ああ、彼女の専攻は遺伝子。 全ての生物の設計図を示すあの螺旋に心奪われてしまったのさ」



 とりとめのない話に首をかしげる鳴海の様子などお構い無に、小橋川は言葉を続ける。


 

 「けれど、いつの頃からだっただろう……彼女は、そのあまりある才能と頭脳を持て余しソレをひけらかすように危険な実験にばかり手を出すようになったんだ……」


 「危険……どんな事です?」


 「病原体の遺伝子組み換え、有害ウイルスの開発、違法な生物培養……あげれば限りがない」


 「え、あの、そんな事して今まで良く捕まりませんで_______」



 そう言いかけた鳴海の脳裏に、『研究を小橋川に妨害された』と言う赤又の言葉がよぎる。

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