蟲工場㉖

 ガッ!


 恥ずかしい死にたい。


 朦朧とする瞼を閉じた闇の中で、鳴海は壁に自分の額を思い切り打ち付ける。


 油断した。


 相手が二人で来るとは全く予想が出来なかった自分が情けない!


 さしでなら勝てたと悔しさと歯がゆさがこみ上げて、鳴海は更に壁に額を打ち付ける。


 「どのくらい寝てたんだ……? ここはどこだよ……?」


 打ち付けた額の激痛で意識ははっきりしたものの、まだ目は開かず自分が一体どこにいるのかが把握できない。


 「あ、あれ? おかしいな……」


 鳴海は、自分の体が小刻みに震えている事に違和感を覚え思わす自分の肩を抱く。 


 「なんだこれ? どうした……砂辺鳴海……どうして震える? まさか」



 言葉を飲み込んだがもう遅い。


 _____『恐いのか?』______


 頭に浮かんだ言葉が体を震わせる。


 「目が……暗い、寒い……嫌だ……だれかっ……!」


 普段の自分からは考えられないような情けない言葉が次から次へと、口からこぼれ止まらない。


  今の今まで鳴海は自信があった。


 柔道の辛い練習や厳しい寮生活なんかで、これでもかと鍛えた自分に恐いものなどないと自負していた。


 だが結果はこれだ。


 油断して、柔道技なんて披露する間もなくこんな所に放り込まれて目も開かない恐怖に怯え震えがとまらずしみる目から生理的な涙がとめどなく流れ続ける。


 まるで、そこらの女みたいだと悪態をつくが現状は変わらない……ひどく惨めな気持ちになり鳴海は部屋の隅と思われる場所で膝を抱えて蹲った。



 どのくらいそうしていただろう?



 ピッ。


  ガチャ。


 

 不意にドアが開いたのを感じ、鳴海は身を固くする!


 キュ。


  キュ。


 床を擦るような足音。


 鳴海にはそれが、自分のすぐ目の前で止まったのが分かった。


 大きなため息と服の擦れる音。


 見えなくても、息遣いと威圧感から相手が自分の前でしゃがんだらしい事に気が付いた鳴海は更に身を固くし膝を抱え顔をふせる。

 

 得体がしれない相手に恐怖のあまり声すら出せずただ震える鳴海は、もはや呼吸すらままならくなって_______すぱーん!



 「ぐぎゃっつ!???」


 伏せった後頭部にかなり強めの一撃が襲い、鳴海はまるで絞めれた鶏のような悲鳴をあげた。


 「ぷはははっw ガチでビビりかw テラワロスww」



 戸が開いたような音と、浴びせられる人を小馬鹿にしたような嘲笑と、女にしては短い鳴海の髪をがじがじとさも大きな犬でも撫でるように扱う大きな手。



 「う" あ"っ……だま"ぎぜんばい……?」


 「げっ、きったねぇ~鼻水パラダイスか? ぎゃははははwww」


 まるで腹筋が崩壊しそうだとばかりに腹を抱える玉城を前にしても、鳴海には怒りも羞恥心もわかず只あるのは恐怖から解放された安堵。


 玉城が来てくれた。


 ただその事が嬉しくて、涙と鼻水があふれ出す。



 「なになに? 顔面崩壊してんぞ? ……しゃーねーなぁ~」


 「ふがっ!?」



 突如、薄い消毒液の匂いのする濡れた感触が鳴海の鼻をつまむ。


  

 「ぶひゃっ!? な"っつ??」


 「ウエットティッシュだ、怪しいものじゃない……鼻かめ鼻をよ……あと……」



 乱暴に鼻をかませた玉城は、新しいウエットティッシュを取り出すと今度は鳴海の目の周りにあてがう。



 「いでっ!?」


 「動くな、拭かないと目が開かねぇぞ?」


 拭きとられるたび瞼やその周辺が異常なくらいしみるが、玉城の低い声に鳴海は抵抗をやめじっと耐え忍んだ。


 「よし、こんなもんでいいだろう……後……上向け」


 鳴海は、命じられるまま顔を真上に向ける。

 

 「いいか? これから目薬を差すからな動くなよ?」


 「いひゃっ!」



 固く閉じた瞼をこじ開けられ、差される滴。



 「……! ……!」


 「これで痛みが引く……それまでここでいい子にしてな」



 玉城は鳴海の手に目薬を握らせると、そのまま立ち上がってこの場を去ろうとした。



 「まって! まってください!!」



 伸ばした鳴海の手が宙を彷徨う。



 「玉城先輩、一体なにが……何が起こってるんですか? 赤又さんは何をしようとしてるんです? 小橋川さんに恨みがあるにしてもコンテナの蟲を見殺しするなんて……!」


 鳴海の問いに玉城は足をとめ、何やら考え込んでいるのかため息をつく。


 「おいおい、砂辺~この件が単純な研究員同士の嫌がらせ合戦だってそう思うのか?」


 「え? だって、小橋川さんは赤又さんの研究の邪魔をして……」


 「ああ、そこはその通りなんだけどね」 


 へらへらと笑った玉城は、自分を探して宙を彷徨う鳴海の手を取った。



 「聞け、砂辺。 目の痛いみが引いたらお前はここから出て県警の青沼って人の所へ行け、俺の名前を出せばすぐに会える」


 「玉城先輩?」


 「目薬は、目の痛みが引いても完全に良くなるまで使うんだぞ」


 「まって、待ってください!」



 痛む目を無理やり開けて見上げた玉城の顔は、ぼやけてどんな表情をしているのかよく見えない。



 「いでっ!!」


 「まだ閉じてろ」



 無理やり開けた目はまだ焼けつくように痛み、鳴海はすぐに目を閉じたが自分の手を取った玉城の手首を全力でつかみにかかる。


 しかし、玉城は自分を逃がすまいと掴んだ鳴海手をいとも簡単に外し立ち上がって踵を返す。



 「ドアは開けておく、ちゃんと青沼さんのとこ行けよ? くれぐれも妙な気は起こすな」

 

 「玉城先輩!」

 


 玉城の足音はあっと言う間に遠ざかり、しんと静まり返る。


 

 「うそ……なんだよ、それ」


 だんだんと痛みの引いてきた目を薄く開けた鳴海は、足音の消えた方向を睨みつけた。


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