蟲工場⑲


 「今日は此処までだ砂辺、片付けて帰るように」


 実験室の時計が終業の時刻をさし、赤又は傍で黙々と作業を続ける不機嫌な補助員に声をかける。


 「……」


 「仕上がったサンプルそのまま常温で置いて構わない」

 

 鳴海は、無言の返事をして箒を取って芋の皮の散らばる床を掃きラベルまで貼り終わったサンプルを避け実験台にエタノールスプレーを散布しキムタオルで拭いていく。



 「終わったらそのまま上がってくれ、後は私が引き受けよう」


 「……お疲れさまでした」



 そっけない返事と共に閉じるドア。


 廊下へと出た鳴海は、そのままサッとドアの真下にしゃがみ中の様子をうかがう。


 と言っても、見えるのはまた作業を続行した赤股のぽさぽさのポニーテールの背中で当然ながら鳴海がそんな風に覗き込んでいるとはつゆほども感づいてはいない。


 「……よし……」


 鳴海はまるで赤ん坊が這うように実験室を横切り、その灯りの当たらない場所まで行って物音を当てないようにそっと立ち上がる。



 「……証明してやる!」


 ぼそりと鳴海の口が呟く。


 鳴海のなかに渦巻くもやもやした疑念。


 赤又の言葉が指摘した矛盾が、そんなはずないと振り払おうにもこみ上げる気持ち悪さに胸やけを起こす。



 「……違いますよね? 玉城先輩……」



 その足は静まり返る廊下を足音を立たせないようにすり足で進む、帰る方向とは真逆の大量増殖コンテナの場所へ。

 


 薄暗い夕暮れの廊下を記憶を便りに進み、廊下の突き当りのぶ厚い扉を体全身を使って押し開けるとぎぃいいいいいぃっぃぃぃ……っと、嫌な音をたててようやっと開いたドアの向こうに広がる冷え冷えとした学校のグランド位はある巨大な倉庫のような空間にずらりと並ぶ船舶運送に使われる巨大コンテナ群。

 

 散布を前に蠢いていた筈の蟲どもは死に絶え、今は差し込む夕暮れも薄く闇に沈みそうなその場所はもはや蟲の墓場と言ってもいいだろう。


 「蟲って化けて出たっけ?」


 温度調節機器の全て停止しているらしいそこは、薄手の作業着しか身に着けていない鳴海にとっては震えるほどに寒く出来れば一刻も早く立ち去りたいところだがそうも行かない。



 鳴海は意を決して、コンテナ群の中に足を踏み入れた。



 「NO1コンテナ……NO2、3、4、5……」



 夕闇が迫る中、鳴海は天窓から差し込む薄闇を頼りにコンテナ群の中を歩く。


 コンテナのドアは全て開け放たれていて、その奥深くからむせ返るような独特の臭いとかび臭さが入り混じって鳴海の鼻から口に抜ける。


 この職場にで働き始めて一週間以上。


 ……嗅ぎなれた気になっていた臭いだが、こうも大量に濃縮されたものだと流石の鳴海もだんだんと気分が悪くなって思わず手で鼻と口を覆う。



 「うぷっ……玉城先輩はやってない……」


 

 鳴海は念仏のように繰り返す。

 

 この大量増殖施設は根絶宣言のされたウリミバエの増殖棟とは違って、あれほどまでに厳重に管理されていた訳ではなくこの施設に勤める自分くらい新人でも簡単に入る事が出る。


 ならば、小橋川や玉城が犯人と考えるのは早計ではないか?


 鳴海は一縷の望みにすがるように、薄気味悪いコンテナを一つ一つ見て回るが見たからと言って一体何が出来るのかなんてノープランである事に変わりはない。



 カタン。



 それは、丁度NO30のコンテナを覗き込んだ時だった。


 「誰かいるのか!?」


 聞き覚えのある声に、『上』の方からの鉄板のような固い物を踏む足音と懐中電灯の灯りが横切る。


 一瞬心臓の止まりかける程に驚いた鳴海だったが、その声の主に気づいて顔が緩む。



 「______たま______」



 カタン。


  カタン。



 増える足音。


 鳴海は口を押え、コンテナの中に飛び込みタッパーの並ぶ棚の影に隠れる。



 「誰かいるのかい?」


 「……いいえ、気のせいだったみたいです」



 玉城ともう一人。


 二人は鳴海入って来たのとは別の上のほうから鉄板の螺旋階段を下りてくるようだ。



 「玉城君、こんな時間まですまないね」



 優し気な声の主。


 近づく足音に鳴海は息を殺し聞き耳を立てる……いや、聞き耳を立てるまでもない。


 やはりであるが、その声は小橋川のものだ。



 「いえいえ~残業代出るんなら喜んで~」



 玉城はいつもの軽口で答え、その声はどんどん近づいてくる。



 「取りあえずこのコンテナからサンプルを取ろう」


 

 小橋川の指示と共に、鳴海のひそむ隣のコンテナがガタンと揺れた。


 ガタゴト。


 物音だけがすっかり暗くなったコンテナに響く。


 

 「取れたかい?」


 「はい、こんなもんでいいですか?」


 

 気づかれないように覗く鳴海の目が、コンテナから降りた玉城が何やら小橋川に渡すような懐中電灯のシルエットを捉える。



 「あのサンプルじゃ足りなかったんすか?」


 「いや、君があの子の所から持ってきてくれた分で十分さ……これは確認だよ念のためのね」



 二人の足音が徐々に遠ざかっていく。



 「……そんな」


 鳴海は唇を噛み膝を抱える。


 「……手伝ってくれたのは、死んだ蟲を小橋川さんに渡すため……?」



 何のためにとか、どうしてとか、頭の中でグチャグチャに入り乱れ吐き気がこみ上げ叫びそうになるのソレを鳴海は無理やり飲み込む。


 脳裏に浮かぶのはあの死神の『それ見た事か』と嘲る嘲笑。

 

 違う!


 そう思っても、今回の件に小橋川はさておき玉城も関わっているのはこの会話から明白でこればかりはどうしようもない。



 「……でも、まって……どうしてわざわざ?」


 まだ信じることが出来ない鳴海の脳裏に何かが引っ掛かる。

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