蟲工場⑱

 その、行ける者の魂を狩りそうな微笑みに鳴海は一瞬躊躇したが玉城の背中に偽りを述べることが失礼に当たる気がして口を開いた。


 「いえ……玉城先輩は手伝ってくれましたからそりゃ触って_____」



 バン!



 半開きのドアが激しく叩かれ、青黒い隈が鳴海を睨んで白目をむく。


 

 「君はなんて事を!!! この男は、小橋川の補助員なんだぞ!?」



 赤又は、着ていた白衣のポケットにさしていたペンの尻でぐっと玉城の胸を押す!



 「あうち! OW! ごめんなそーりー髭そーりーぃ! スパイは去ります、去りますよっ!」



 ヘラヘラ笑う玉城は、軽口を叩きらひらひらと鳴海に手を振りながら赤又に突きつけられたペンをつまむ。



 「じゃぁな、砂辺がんばw」



 バタン。



 赤又によってドアが乱暴に閉じられ、静まり返った実験実に遠ざかる廊下からの玉城の足音が残響する。



 ようやく、足し音が聞こえなくなったところで押し黙っていた赤又が沈黙をを破った。



 「_____全く、君は___」


 「酷いじゃないですかっ!」


 言葉を遮った生意気な新人補助員の怒声に、死神の青黒い隈が深みを増す。



 「酷い? 何がだ?」


 「玉城先輩は、自分の作業を手伝ってくれただけです!」


 ギリギリのところで怒りを抑え、気丈に睨み返す鳴海を赤又が鼻で笑う。


 「手伝った? 可愛い後輩だからと? 君はソレが本当に『好意』だとでも?」


 つかつかと鳴海の眼前まで迫る青白い顔は憎悪を浮かべ、微笑みを絶やさない。


 「何が言いたいんですか?」


 「彼は、どこまでこの作業を手伝った?」


 「タッパーからのイモゾウムシの雄雌仕分けです」


 そう聞いた赤又は問う。


 「彼は何も聞かなかったのか?」


 「え?」


 首を傾げる鳴海に赤又は続ける。



 「私が彼で作業の補助に入るなら、真っ先に聞いたはずだ『このサンプルは何故全て死亡しているのか?』とね」


 「……死んでいると何が問題なんですか?」

 

 無知な新人に、赤又は頭痛を覚えながらため息をつく。

 

 「此処はこれら害蟲の大量増殖を目的とした施設で、その増殖用コンテナのタッパーからのサンプルが全て死亡していると言うのは異常事態だ、顕微鏡を覗いていれば優秀な彼の事だすぐに気付く……が、その様子じゃ何も聞かなかったんだろう?」


 

 その問いに、鳴海は言葉を詰まらせてしまう。


 この施設の蟲は基本的にみんな生きているのが前提だ。


 鳴海も何度かサンプルから蟲を採取した事があるが、前に一度集めた蟲を入れておくカップに炭酸カルシウム____解りやすく言えば石灰をその縁に塗り忘れて折角集めた蟲を逃がした事がある。


 炭酸カルシウムをカップにの縁に塗るのは、逃げようと這い上がる蟲がこれ以上登れな様に滑り落とす為。


 これを怠ると、鳴海のように蟲を逃がす事になる。


 が、今回その炭酸カルシウムは必要なかった。


 何故なら、蟲は全部死んでしまっていたのだから。


 確かに手伝ってくれた間、蟲がぴくりとも動かない事について玉城からは一言も質問がなかった。



 _____どうして?______



 「どうしてだと思う?」


 鳴海に浮かんだ疑問符を見透かすように隈の目が見下ろす。


 「ソレは、彼がタッパーの中のイモゾウムシが全て死んでいることを知っていたからだ」


 「そんな! それじゃまるで、イモウゾウムシの全滅に玉城先輩が関わってるみたいじゃないですか!」



 吠える鳴海に赤又の口が緩む。


 

 「関わらない筈がないだろう? 君の先輩は小橋川の補助で恐ろしく優秀だ」


  

 細い指が、鳴海の握るラベルシールの束を取ってめくった。


 

 そこには、1ミリリットルのチューブに貼る為の小さなラベルがA4のシートにびっしりと打ち出されていて赤又の短く切りそろえられた爪がその一つをさす。


 

 「見てごらん」



 促され、鳴海はその小さなラベルを覗き込む。



 【C1-1-雄】20××/×/×



 「これを見てどう思う?」



 更なる赤又の問い。


 こんな記号を見せられても、意味など分かる筈もなく鳴海は首をかしげる。

 


 「よく見ろ、この【C】というのはコンテナ【Container】の表記C。 その様子じゃ、このタッパーが大量増殖用コンテナから回収された事を君は彼に言ってはいないんだろう? なのに彼はどうしてラベルの頭に【C】と打った?」


 「そ、そんなのっ、偶然かも……そ、それに、蟲はコンテナで飼われてるのが殆どじゃないですか! もしかしたら言ったかもしれな_____」


 「実験用コンテナからのサンプルには【C】ではなく【TC】テストコンテナと記載するのがここのルールだ。 そんな分かり切った事を彼は間違えたりなんかしない」


 鳴海の腕が、こんなに細い腕と指なのにどこにそんな力があるのかと思うほどに強い力でがしっと掴まれた。


 「……いいえ、きっと間違えたんですよ……優秀って言ったって玉城先輩だって……!」

 

 「本当に?」



 苦しい弁護をする鳴海を、青黒い隈がじっと覗く。



 鳴海は、動けなかった。


 鳴海は、玉城にこのタッパーが大量増殖用コンテナから回収された事を話していない。


 それは誰であろう鳴海自身が一番よく分かってる。


 

 _____何故?_____


  ______どうして?_____


 _____違う!_____


  _____信じない!_____



 鳴海は、肉が沈むほど強くつかまれた腕をいとも簡単に逃れて見せた。



 「作業を続けます、時間が無いんですよね?」


 「ほう? 流石、元柔道部だね」



 赤又は弾かれた手をさすりながら不気味な笑みを浮かべ鳴海の隣側、昨日玉城の座っていた顕微鏡の前の席についた。

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