蟲工場⑰


 その日は雨が降っていた。



 「あー寒っ……」


 夏だろうと冬だろうと気温が一定に保たれているはずの実験室は、本日はまるで底冷えするような寒さだ。


 作業着姿の上着が長袖とはいえ、座りっぱなしの鳴海は寒さに震えるが弱音何て吐いてられない。



 「う~……どこまでやったけ……?」



 鳴海は、目の前に広がる蓋のついた1ミリリットルのチューブ一つ一つにピンセットでイモウゾウムシを入れていく。



 コンテナ1つについて雄雌100サンプル、ソレを100。


 しかもただ入れていくだけじゃない、そこへ滅菌されたDWとやらを500マイクロリットル分注しそこで滅菌された爪楊枝でグチャグチャに潰し更には顕微鏡で観察しなくてはならない。



 気が遠くなる。



 「おい、ラベルは用意したのか?」


 

 不意に背後からする呆れたような声に、鳴海は弾かれたように振り向く。



 「え? いや、なんすかそれ……あ、おはようございます玉城先輩!」


 「おはようじゃねーよ、お前それ記録とか取るんだろ? だったらサンプルが何処の何なのか分からなきゃなんの意味もねーぞ?」


 「あ"」


 朝の挨拶もそこそこに、にこにこと自分を見あげる無知な後輩を前に玉城は頭を抱える。


 「……ラベルってのは、シールみてーなもんだそこにコレが一体なんのサンプルか記載する……別にマジックで書いてもいいけどよこんなにサンプル取んなきゃいけないならエクセルで表作ってワードの手差しで打ち出し……」


 「わーど? えくせる? パソコンは検索とかならしたとありますけど……」


 「はぁ……お前の上司は、きっとその位できると思って指示したんだろうなぁ~」


 既に頭に巨大な『?』を浮かべる鳴海に、玉城はがっくりとうなだれてそのまま実験室を出て行ってしまった。

  

 まぁ、そう何度も都合よく手伝って貰えるなんて流石の鳴海も思わなかったが冷え冷えとする実験室は独りぼっちだと更に冷え込むだような気がして大きく息を吐く。


 「頑張らなきゃ……」


 鳴海は視線をずらっと並べた小さなマイクロチューブに向けもくもくと作業を続ける。


 取りあえず、1コンテナ分イモゾウムシを詰めたら玉城に言われたとおり細いマジックで『1-1オス』と書いてみたがこれでいいのか鳴海には良くわからない。


 「……やっぱ、赤又さんに聞いた方がいいよな……」


 気は進まなかったが、分からないのだから仕方ない。


 鳴海は内線の受話器を取り、恐らく自分達の研究室で大量死の原因を探るべく資料に埋まっているであろう死神のようにやつれた上司に連絡を取るべくボタンを押す。



 プルルルルルルルル……。

     プルルルルルルルル……。 

 プルルルルルルルル……。 

     プルルルルルルルル……。 



 「……出ないな……」



 念のため一分ほど電話口で待機するが誰もでない。


 鳴海は、受話器を置き実験台の方へと戻りまた一つ一つイモゾウムシをチューブへと詰めコンテナのタッパー別に取りあえず識別できるようにマジックで数字を書くがコレが玉城の言う通りなかなか骨が折れ書いても書いてもキリがない。


 

 「まいったな……終わんないよ……」


 

 ……上手くいかない、自分はなんでこんなに要領が悪いのか。

 

 記入に時間が取られ作業が思うように進まない事に、鳴海は苛立ちを覚える。


 「全然遅い……もっと早く……」


 昨日見た玉城の無駄のない手さばきとくらべて、自分の動きは余りにぎこちなく不甲斐ない。


 ポコン!


 「うひゃっ!?」


 根を詰める鳴海の後頭部に、軽い衝撃が襲う。



 「雑にすんな、バカたれ」


 「た、玉城せんぱ_____」


 「ほれ」



 ポコン!


 

 振り向いた額にもう一発。



 「やるよ」


  

 額に乗るソレ。


 玉城の手に握られているのは、丸められた紙束のような物。


 鳴海がソレをおずおず受け取ると、それは紙と言うよりはもっと厚くて艶のあるもの。



 「これ……!」


 「ラベルシールだ、打ち出してきた」



 その言葉に、鳴海は顔を曇らせる。



 「……なんだよ? 自分で作ったんじゃないから受け取れません的な?」



 へらっと笑った玉城に鳴海は険しい表情を浮かべ、じっとその顔を見あげた。



 「……いいか? これは仕事だ試合じゃねぇ」


 「でも、」


 「手ぇ貸すのは、いつかお前の手を借りるからだぜ? タダじゃねぇしコレだっていつかは出来るようになってもらう……が、この仕事は急ぎなんだろ?」


 じっと、玉城に見すえられ鳴海は不甲斐なさに俯く。


 「はい……ありがとうございます」



 鳴海は、ラベルシールの束に視線を落としながら深々と頭を下げる。


 本来なら、学ぶためにも自分自身でしなければならなった作業。

 

 だが、鳴海には出来ないことが多すぎ与えられた仕事がこなせずにる。


 ならばどうすれば良いのか?


 答えは簡単だ、誰かの手を借りればいい。


 それが昨日の今日だけに玉城の手なら鳴海は余計にすがりたくもなるのだが、それだけに思う『この人にかっこ悪い所を見せたくない』と。



 「ぼさっとすんな! 俺、流石に今日はこれ以上手伝えないんだ、さっさとラベルをチューブに貼れよ!」



 玉城は『じゃぁな』と言って、実験実を出ようとドアノブに手をかけ_________がちゃ!


 

 「あ」


 押し開けようとしたドアが一人でに開き、つんのめった玉城は危うくぶつかりそうになる。



 「これはどういう事かな?」


 一歩下がった玉城の眼前に顔色の悪い死神。


 その生ける者の命を刈り取る勢いの青黒い隈をたたえる腫れた目が、がたいの良い玉城の肩越しに鳴海を睨む。



 「ぇ? あの……」


 「何故、彼がここに? まさかサンプルに触らせた訳じゃあるまいね?」



 死神が笑う。

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