蟲工場⑯


 

 「こうやって分けるなら、雄・雌・オカマの3つ分シャーレ用意しとけよ」


 「はい! あざっす!」



 こうして、玉城にアドバイスを受けながら鳴海はどんどんイモウゾウムシを仕分けていく。



 「にしても、赤又さんも無茶言うな……この量を一人でやれってか? 鬼畜~つか、いくらウチのボスと仲悪くてもさぁ流石にヘルプ呼ぼうぜってなぁ?」


 「え? 研究室が違っても手伝うとか出来るんですか?」


 「あ"? 出来るに決まってんじゃん? 俺とお前に関して言えば『補助員』って括りじゃ仲間なんだぜ?」


 「そうなんですか? てっきり……」



 互いに視線は顕微鏡に落としたまま会話するのだが、手慣れた玉城と違って鳴海は次第に口数が少なくなる。



 「ああ、だから仕事なれたらお前も俺の作業手伝えよな~」


 「……」


 「つか、奇形が多いな」


 「……」


 「おい、雄と雌シャーレ間違えてんぞ?」


 「うぉ!?」


 顕微鏡をのぞきながらヘラヘラ笑う玉城の横顔をちらりと見た鳴海は、この件について相談すべきがと喉元まで出かけた言葉を飲み込む。


 きっと、玉城自信は信用に足るのだろう。


 だが、玉城に話せばきっとその上の小橋川にまで伝わってしまうかもしれない。


 そう思うと、鳴海は口をつぐみ視線を顕微鏡に落としもくもくとピクリとも動かないイモゾウムシの硬直した6本の足を両手に構えたピンセットで丁寧に開いていく。


 

 「ほい、俺の分終わった」


 「早っ!?」



 玉城は鳴海の分のタッパーを引き寄せ、がんがん処理していく。


 「ほれほれ~おせぇな~」


 「あ、くそっ!」

 

 玉城の嘲笑に、持ち前の負けず嫌いが首をもたげた鳴海は悔しいとばかりに手を動かす。


 そうこうしている間に、実験室の時計の針が18時をさした頃にはすべてのタッパーからサンプルを回収するのが終了していた。


 「いえーい! 俺の勝ぃ~!」


 「あーもーーーー!」


 流石、体育会系と言うべきかなのかいつの間にか勝負と化していたらしく玉城はガッツポーズを鳴海はがっくりと肩を落とす。


 「さー終業だ、とっとと片して帰っぞ」


 そう言って、すっかり仕分けたイモゾウムシのシャーレに番号を振ったものに更にプラスチックのバットに並べた玉城はガチャガチャと顕微鏡とその周辺を片付け始める。

 

 「お疲れ様です」


 「おい、お前も帰るんだよ! なに仕事しようとしてんだ?」


 

 何やらもそもそとし始めた鳴海の頭を、大きな手がスッパーンと叩く。


 「でっ!? え、だって」


 「残業するように言われてんのか?」



 鳴海は首を振る。


 確かに、赤又からはサンプルを回収するように言われたが残業しろとは言われてはいない。



 「え、と……聞いてきま_____」



 プルルルルルルルル……。

     プルルルルルルルル……。 



 そこに、狙いすましたように実験室の内線が鳴る。

 


 「出ろよ、多分お前の上司だぜ?」


 

 玉城に促され、内線の受話器を取った鳴海はおずおずと耳にあてがう。


 

 「あ、え、はっ、はい?」


 『君は電話の応対もできないのか?』



 受話器の向こうの赤又は、うっかり採用する羽目になった余りにも常識知らずなゆとり世代に頭痛を覚えながらため息をついた。





 「______はい。 分かりました、明日……はい、今日はこれで……お疲れさまです」



 カタン。



 鳴海が受話器を置くと、玉城は手早く実験台を片づけながら『なんだって?』と聞く。



 「今日は時間だからあがるように言われました……続きは明日でいいそうです」


 「へぇ、続きあんのこの作業?」


 「ええ、まぁ」


 「ふぅん……あと、なにすんだ? 時間があけば手伝うぜ?」


 「なんか、すいません。 今度ミルクティーおごります……」


 「はは、楽しみにしてるよ」



 背を向けたまま、今度はガチャガチャと器具を洗浄し始めた玉城は泡のついた手をひらひらとさせ鳴海は玉城の背に一礼し自分は床のタッパーを隅に積んでモップをかけていく。



 流れるような一切無駄のない阿吽の呼吸。



 同じ高校の体育科という年の離れた先輩と後輩はまるで、学生時代に戻ったかのような連携の取れた動きで実験室を片付けていく。



 「よし、こんなもんでいいだろう」


  

 パシン! と手を打った玉城が本日の作業の終了を宣言する。


 「お疲れさまでした!」


 「俺も帰るからちゃんとお前も帰れよ? 頑張り屋なのはいいけどさ」



 深く下げた頭を大きな手の平がペシペシと、まるで小動物でもこづくように叩いてから去っていく。



 顔を上げた鳴海は、ぽりぽりとその部分を掻きながらその背中を見送った。

  


 ほっとする。



 初めての社会で柄にもなく弱気になっていた自分。


 初めての面接。


 初めての仕事。


 初めて味わった社会人としての挫折。



 もう、学生のようにただ部活に明け暮れ試合に勝つことだけを考えればよかった頃とは違う。



 頼りにならない両親。


 下の弟妹達はまだ小さい。


 弟妹には、金銭苦で進学を諦めなくてはいけなかった自分と同じ目には合わせたくは無いのだ。


 後には引けない。


 その為には何でもしよう。


 そう思って、頑張った。


 だが、それは寂しい。


 鳴海にとってこの社会というのは、今まで培ったものなど一切通用しない未知なものだ。


 例えるなら、異世界と言っても過言ではない。


 そんな中で、同じ学校の同じ体育科を卒業したという年の離れた先輩に出会えた。


 それも、ただ同じ学校を卒業したと言うだけではなく高校を卒業してすぐに社会に出たという経緯までがまるで同じ。


 進学率のほぼ100%のあの高校の体育科。


 そこに籍を置きながら進学できなかった悔しさ虚しさ自分だけが取り残されるような疎外感に加えて周りの哀れむような蔑むような視線。



 この人も同じ思いをしたのだろうか?

  

 この人なら今の自分の気持ちを理解してくれるのかもしれない。


 この人はきっと分かってくれる……恐らく自分の進むであろう先にいるこの人になら。




 そう思うと、不思議と鳴海の胸が熱くなる。




 「……早く、明日にならないかなぁ……」



 無意識に呟いた自分の言葉に気付かないまま、鳴海はモップを消毒液につけ実験室の電気を消しその場を後にする為廊下に出た。


 ひんやりとする廊下は、緑と白の非常出口案内の灯りが照らすのみ。


 いくらまだ施設の外のはまだ明るいとはいえ、就業時間には節電の為消灯されるのはただえさえ閉鎖的で薄暗い廊下印象では心もとない灯りが更に暗さを感じさせる。






 その廊下を少し鼻歌を歌いながら去りゆく鳴海の背を眺める視線が、冷たく弧を描いて鼻で笑った。

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