蟲工場⑭

 「小橋川……さん? あんなに怒ってるの初めて見た」

 

 ぼそりと呟く鳴海の肩を掴んでいた玉城が、軽くポンと叩く。


  

 「あーやっぱ、駄目だったか……」


 「え? 何がです?」


 「なんと言うか……ウリミバエとかミカンコミバエとかが根絶宣言されたのは知ってるよな?」


 「は、はい」

  

 鳴海もそれは玉城の説明と、見せられたDVDで周知している。


 では、小橋川は何に怒っているのか?


 首をかしげる鳴海に玉城は視線を外したまま、口だけを動かす。


 「根絶されたからとでも言うべきなのかな……回っていた経費、とりわけ国からの補助が最近めっき途絶たのさ。 おかげで予防として事業に支障が出るようになったんだ」


 「えっと……予防……そうそう、根絶がされたって言っても外から入って来るかもしれないから定期的に不妊蟲を散布してるってやつですよね?」


 「ああ、そのほかにもポイントにトラップを仕掛けてサンプリングして根絶状況が維持できているかも確認する業務とかも含まれる」


 「へぇ……それと、小橋川さんが怒っている理由って?」


 「あの電話はミカンコミバエのトラップに使われている人口フェロモンを製造している会社。 国からの補助金で作った人工フェロモンで特許を取ったが根絶宣言後それも打ち切りで、ついには特許維持の経費も出なくなったってとこだ」

 

 「?」


 更に首をかしげる鳴海の様子に玉城はげんなりしたように『はぁ~』っとため息をつく。


 「俺達にはこの維持事業を続ける為にも人口フェロモンが必要だが、製造会社にとっちゃ根絶宣言のされたマイナーな一部の種にしか使い道のない購入される客もうちしかいないそんな売り上げの殆どないような物を補助金なしに自腹で維持するのは馬鹿げてるから製造ももう受けない……ま、当然だわな」


 「え? でもそれじゃ、もし、外部から同じ蟲が入って来ても気づけないくなるじゃないですか?」


 「ああ、だろうよ。 だから小橋川博士が激おっこぷんぷんまる」



 あは♡ っと、ヘらつく玉城はぽんぽんと肩を叩いて立ちあがる。


 「博士ったら、今クソみてぇご機嫌斜めだからお前は出るな……この芋の山だ立たなきゃ気づかねーさ」


 玉城はひらひら手を振ると、携帯電話に怒号を飛ばす上司の元へと向い背中を押して実験室を後にした。


 「大変だなぁ~」


 鳴海は他人事のようにつぶやくと、また目の前の蛹びっしりの芋に視線を戻す。


 潰さないようにそっとつぶらな瞳と釣目に分けながら、鳴海の脳裏には赤又の言った『彼の上司に当たる人物に問題があるんだ』と言う言葉がよぎる。


 確かに、あの電話のとぐちでの怒りっぷりは面接で見た穏やかな印象とはかけ離れていたが事情を玉城から聞いていた鳴海は人間なのだから虫の居所の悪い事だってあると気にも留めず作業を続けようとした。



 バタン!



 「砂辺! 砂辺はいるか?」


 再び乱暴に開けられた実験室のドア。


 そこへ飛び込んで来た髪を振り乱した死神の如し赤又のすがたに、鳴海は恐怖のあまり弾かれたように立ち上がった!



 「うひゃい! 砂辺いまっす!!」


 「作業中すまないがついてきてくれ!」

 


 目の隈がどす黒く落ちくぼんだ死に絶えた魚の目が、ぎょろりと鳴海を手招きする。



 「はっ、はい!」


 

 鳴海は、赤又に引きずられるように後について実験室を後にした。





 「ど、し、あ、あのっ! 何かあったっすか?」


 「ああ、あった! 胸糞悪いことがね!」



 薄暗い廊下を鳴海は服の上からでもわかる赤又の肉の薄い背中について歩く。



 不機嫌極まりないといった様子の赤又は、廊下の突き当りのぶ厚い扉をその細い体全身を使って押し開ける



 ぎぃいいいいいぃっぃぃぃ……っと、嫌な音をたててようやっと開いたドアの向こうに広がる場所に鳴海は覚えがあった。



 「あ、ここ……似てるけど、すごっ、すごく……!」



 冷え冷えとした学校のグランド位はある巨大な倉庫のような空間に、ずらりと並ぶ船舶運送に使われる巨大コンテナ群。


 それは、この前鳴海が閉じ込められたあのコンテナと同じ型だ。


 「此処は、イモゾウムシの大量増殖用のコンテナを設置している増殖棟だ。 君が閉じ込められていた小スケールの実験スペースとは桁違いの広さだろう?」


 「こんなに沢山……って、事はあの中にも芋のタッパーが?」


 「そうだ、本格的な増殖計画のもと生産された記念すべき第一陣が明日散布される……筈だった……!」


赤又は言葉を詰まらせ、険しい表情を浮かべる。


 「『筈だった』って?」


 「飼料の問題を除けば、計画はいたって順調だった」


 赤又は、ずらりと並ぶコンテナの一つの前に立つと、その枯れ木のような細腕でレバーを引き重厚な扉を開ける。



 「うっ!」


 

 鳴海は、開けるど同時に漏れ出したあの蟲独特の臭いと息も詰まるような凄まじいカビの悪臭に思わず鼻と口を覆う。


 

 「この匂い……わかるか?」


 「ふぁい、ふごくくふぁいれす! (はい、すごく臭いです!)」 

 

 「見てみろ」


 

 ステップを上がりコンテナの中に入った赤又は、棚から取り出したであろうタッパーを外で待つ鳴海の足元に放り投げる。


 乱暴に放り投げられたタッパーの中から転がり出す芋が、鳴海のスニーカーに当たってベチャっと汁をつけた。



 「これも! これも! これも!!!」

 

 「うぉ!?」


 スニーカーのつま先をプルプルふり汁を払おうとする鳴海など目もくれず、赤又はヒステリックに次々とタッパーをコンテナから放り出していく!



 タッパーから転がりだす芋はことごとく腐敗し、カビと悪臭を放つ。

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