蟲工場⑫
「馬鹿者が!」
ばしっつ!
鳴海の左の頬に衝撃が走り視界がぶれる。
「へ? あ、赤又さ?」
「馬鹿め! 馬鹿め! 馬鹿め! 何故、携帯で連絡を取らない?!」
ツナギの襟首をつかまれガクガクと揺らされた鳴海は、余りの事に持ち前の柔道的反応さえ忘れ固まる!
「じ、自分は……携帯もってません」
辛うじて受け応える鳴海の言葉に、襟首を掴んでいた赤又は一瞬だけ泣き出しそうに顔を歪め俯くと乱暴に襟を放し背を向けた。
「……仕事を舐めるな……ここは実験施設なんだぞ? 少しの気の緩みが重大事故につながる事だってあるんだ!」
「す、すみません! 蟲を死なせ____」
「……そこじゃない馬鹿者! もし、体が無事ですまなかったらどうするつもりだったんだ……!」
赤又は押し殺したような声をあげ、床に落ちたタオルを手に取ると玉城が用意した氷の入った洗面器につけ絞ってから簡易ベッドに呆けたようにへたり込んだ鳴海の額に押し当てる。
「あ、え?」
「……君があまり裕福でないことは感じていた……が、社会に出る以上は必要最低限として通信手段くらいは確保しておくべきだ」
いつも疲労困憊で顔色も能面のような死神は、うっすらと涙を貯めながら硬直する鳴海の額や首筋に噴き出した汗を絞ったタオルで拭いていく。
この仕事を始めてから4日。
『今まで』と語るには浅すぎるが、赤又の意外な行動に鳴海は面食らったように動けなくなる。
「どうして?」
「なにがだ?」
「どうして、自分にこんなに優しく?」
「は?」
鳴海の問いに赤又は眉をひそめた。
「こうやって採用された以上は君は私の補助員だ、何かがあれば心配するし君のミスの責任は私の責任だ」
「……」
『あまり心配をかけるな』と、タオルを首元にあてがってくれる赤又。
優しい。
怖いくらいに。
______もしかしたら、自分を閉じこめたのは赤又さんじゃないのか?_____
自分を閉じ込めたのがほぼ赤又で間違いないと確信していた鳴海は、喉が詰まったような不快感に言葉を飲み込む。
「……今日、やっと学会資料が完成してね」
「え?」
呆然となすがままになっていた鳴海は、赤又の言葉に我に返った。
「今まで単純作業でつまらなかっただろう? 明日から室長の実験補助をしながら本格的に指導に入ろうと思うんだけど……この騒ぎの後だがやれそうか?」
「へ? 何がです??」
「何って……こんな目にあって、明日から大丈夫かときいているんだけど?」
女の子が立て続けにこんな恐怖体験まがいな目に合えば、もしかしたら明日から仕事に来ないかも知れない。
おそらく赤又はそう思ったのだろうが、今まで無骨な体育科で女扱いなどされた事無い鳴海はその気遣いが自分に向けられている事にこそばゆさと少し嬉しい気持ちが入り混じる。
「うぇ!? はは、こんくらい平気ですよ! つか、今までって仕事……」
「ああ、今日までそっちの準備で君の指導に時間が割けなかったんだよ」
赤又は色の悪い顔で微笑んで見せる。
「ほっておいた私も悪かったが、全く……今日は肝が冷えたよ」
「す、すいません!」
「おっと、急に動かないでくれ。 水分は十分に取れているか?」
反射的に頭を下げた鳴海に、赤又は苦笑しながら持参したミネラルウォーターのペットボトルを手渡したが次の瞬間その表情は真剣なものへと変わる。
「砂辺」
「は、はい!」
「君、あの玉城圭とはどんな関係だ?」
「へ? 玉城先輩ですか?」
親し気に玉城を『先輩』と呼ぶ鳴海に赤又は眉を顰めた。
「先輩?」
「はい、玉城先輩と自分は同じ高校の体育科を卒業しているんです!」
「そうか……それだけなんだな?」
少し低い声で訪ねる赤又の表情は少し堅い。
「ぇ、ぁの、玉城先輩がどうかしたんですか?」
当然とも言える鳴海の問いに、表情を堅くしたままの赤又は少し考え口を開いた。
「君に言うべきか悩むところだが仕方ない……まぁ、なんと言うか玉城君がどうと言うよりは彼の上司に当たる人物に問題があるんだ」
玉城の上司。
そう聞いて鳴海の頭に浮かんだのは、思い出すもの恥ずかしい面接会場を間違った時に言葉を交わしたあの眼鏡に白衣の優しげな笑顔の研究員。
小橋川。
確かそう名乗っていたな……と、鳴海は思い返す。
「あ、えと、もしかして眼鏡の白衣の人ですか?」
「そうか、君は面識があったんだったな」
なら話は早いと、赤又は言葉を続ける。
「小橋川のミバエ班と私たちの特殊病蟲班は犬猿の中だ、詳細は事情があって伏せさせてもらうけどね」
「はぁ……」
よく分からないのか首をかしげる鳴海に、赤又ははっきりと言う。
「完結に言うなら、今後なるべくミバエ班には関わって欲しくないと言う事さ」
「は?」
そう言いい放った赤又は、鳴海を拭いたタオルを氷水の入った洗面器に沈めた。
「少し終業時間には早いが、今日はもう上がるといい……明日から作業を教えていくからそのつもりで」
「え? あの、関わるなって玉城先輩ともってことっすか!?」
タオルの入った洗面器を抱え、ドアに手をかけた赤又の無言の背中が肯定した。
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