蟲工場⑪


 鳴海はドアを閉じてなどいない。


 考えられるのは一つ。


 閉められた。


 外から。



 「けほっ、けほっ」



 鳴海は、急に肺の中がざらつくような違和感と息苦しくなったよううな気がしてせき込む。


 せき込みながらも、助けを呼んでドアをたたき声を荒げるがドアはびくともしない。



 「けほっ! 暑い?」

 


 息苦しい。

 

 汗が滝のように流れる。


 明らかにコンテナ内の気温が上がっていると感じた鳴海は、さらに狂ったよう鋼鉄のドアを叩くが開く気配はやはり無い!

 


 「……!」



 鳴海は、壁の側に掛けられていた温度計に目をやった。



 「32度?!」



 滝のよう汗に冷や汗が混じる。 

 

  

 「くそっ!」


 

 ビクともしない鋼鉄のドアに蹴りをいれ、頭を掻きむしる!



 「なんだよ! なんなんだよ?! 禁止エリアに迷い込んだ挙句先輩同伴で全身洗浄で、今度はコンテナ監禁かよ!! なんつー日だ! しかも今、ノーパンノーブラだぞど畜生おおおお!」



 悪態をついても状況なんて変わらないが、叫ばずにはいられない。


「あー……もう……」



 かび臭い湿気と蒸し風呂のような暑さの中、意識すら朦朧として鳴海はその場に座り込もうとした。



 「熱っつ!?」



 が、鉄板の床は傷心の心に安息すらも許さないとばかりに鳴海の尻を焼く!



 「……ホント、何やってんだ……!」



 社会に出て4日。



 引き起こした数々の失態が走馬燈のように鳴海の脳裏に駆けめぐる。



 ほんの4日前、暢気に寮生活とか柔道の練習が辛いなんて思っていた甘ちゃんな自分に状況が予想出来ただろうか?


 まるで地獄のような辛い練習や寮生活で培ったものが、これほどまでに役に立たず途方に暮れるなんて信じたくないし納得なんて出来ない。


 高校にいた約三年間、自分は懸命に愚直なまでに努力し続けていた。


 だがここでは、必要なものが違う。


 本来なら全てが無駄ではないのだろう。


 おそらく鳴海の場合、場所さえ間違えなければきっと柔道も寮生活で培ったモノだって生かすことができたはずだ。


 だが、経済的事情でソコへの道は閉ざされた。


 そこへ進めない以上、別の道で生きるしかない。


 泣いても喚いてもソレが紛れもない事実。




 0。



 社会の荒波に漕ぎ出した愚かな子羊の手の中には何もない。



 何も知らない。


  何も分からない。


 自分が当たり前だと思っていた世界とはあまりに違う『社会』。


 それでも、家で自分の稼ぎを待つ弟妹達の為にも自分が逃げ出す訳にはいかない。


 俯いたまま固まっていた鳴海は、顔をあげ肺いっぱいにカビの漂う湿気た熱い空気を吸い込み目を見開いた。


 パニクっている場合ではない。


 こんな所で死にたくはないし、なによりようやく任された仕事らしい仕事だ。


 果たさねばならない。



 鳴海は、壁一面にずらりと並ぶタッパーの蓋を片っ端からはずした。

 


 「お前ら、絶対に死なせないからな……!」



 今、自分に出来る事をする。



 鳴海は腹を括った。

 





 ガコン!


  ギィイイイ!



 1時間後、コンテナ付近で気温上昇を知らせるアラームに気が付いた玉城は不審に思ったので管轄外ではあったがその鉄のドアを開けた。



 「す、砂辺!?」


 

 ドアを開けた玉城が目の当たりにしたのは、芋の詰まったタッパーをその蓋を使い一心不乱に扇ぐ年の離れた後輩の姿だった。




 「馬鹿かよお前! なんで携帯で連絡しないんだ!!」


 「けほっ……もってません……」



 医務室に運ばれた鳴海は脱水症状からくる頭痛と吐き気の中、玉城に説教をくらう。


 「よ、ようちゅ……」


 「……大分、死んだがまだ数は残ってるっぽいぜ?」

 

 

 玉城の言葉に鳴海の目に涙が浮かぶ。


 

 「はぁ? 泣くやつあるか、拭け! みっともねぇ!」


 鳴海の顔面に、中途半端に絞られた冷たいタオルがベチャっと乗せられる。



 「DVD……見ました……この施設がどんな場所か、ここの蟲達がどれほど重要か……なのに……」



 死なせてしまった。


 そればかりか、折角任せて貰った仕事をこなすことが出来なかった。


 滅多に泣くなど、ましてや人前で泣くなどしたことがない事が自慢だったのにその悔しさやるせなさから人目をはばからず涙がこぼれる。 


 ぐすぐすと鼻を鳴らす鳴海の姿に、玉城はまた深くため息をつく。


 「確かにお前は、そこら辺の奴と違って世間知らずで要領も悪いわ融通きかねぇわ目の前の事しか見えねぇし、ホント見てて気がかりでしかねぇけどよ……どんな奴だってノーミスで来れる訳じゃねーんだ気ぃ落とすな……って、ま、無理なんだろうがな」


 玉城はそう言うと、鳴海の手に冷たい物を握らせてその場を立ち去って行った。


 戸が閉まり、足音が遠ざかるのを聞きながら鳴海は顔に乗せられたビシャビシャのタオルを退け手に握らされた冷たいモノを見る。



 ソレは、玉城のよく飲んでいる450mlのミルクティーのドリンク缶。



 「ぐじゅ……」



 鳴海は、タオルで顔を拭い体を起こしてミルクティーの缶の蓋を開けると一気に飲み干した。



 誰しもミスをせずに来れた訳ではない。



 年こそ離れているが同じ学校を出た先輩としての言葉に感謝の気持ちがこみ上げてにむせび泣きそうになるが、ソレと同時に浮かんだもう一つの感情が鳴海に疑問を投げる。



 「ミス……?」



 確かに玉城の言うように自分は世間知らずで要領も悪く今の今まで言われるままに作業をこなしてきた。



 考えなしに。

    

 従順に。


 なんら疑問すら持たず。



 確かに今日は、たまたま指示無いことをして迷惑を掛けた。


 迷宮のような施設内で遭難したことがそれだ。


 けれど、コレは違う。


 あれは明らかに外から閉められた。



 「誰が……?」

 


 ふらつく頭を回転させて鳴海は『考える』。


 カードもコードもなしで入れてしまった立ち入り禁止区画。


 背後から閉ざされたコンテナ。


 誰がなんの為に自分を?


 いいや、それともこれは単なる事故なのか?


 鳴海の沸騰する頭に過る疑わしい顔の中で、止まるのはやっぱり彼女。


 

 赤又楓。


 鳴海の所属する『特殊病蟲班:新規事業『イモゾウムシ撲滅事業』通称:イモゾウ班』において研究員サブリーダーで今回の新人研修においての指導者。


 つまり、鳴海の教育係だ。


 直属の上司にあたる彼女は、面接当初から鳴海を良く思ってはいないのは明白だがしかし。


 まさか、彼女が自分をこの職場から追い出すために?


 思考はするけれど、大人の世界こそ幼稚だと言う事をまだ知らない鳴海は『常識的』に考えて学生じゃあるまいしまさかこんな事をする大人がいるのかと首を振る。


 だがしかし、赤又以上に鳴海を疎ましく思っている存在は一向に思い当たらな______。



 バタン!



 「砂辺!」



 鳴海の思考は乱暴に開けられたドアと、噂をすればなんとやらの声に中断される。

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