蟲工場⑨
ザー……。
ザー……。
「隅々まで洗え! 皮がはげる程に!」
「鬼か!! つか、何で見張ってんですか!?」
底冷えするような冷水のシャワーを浴びながら、サッシのドアの向こうからのくぐもった玉城の指示に鳴海は怒声をあげる。
「うるせぇ! 俺だってお前の裸なんぞ興味はねーんだよ! ったく、面倒ばっかかけやがって!」
「すんません……って、自分が謝るんっすか?? つか、何で冷水ってクソ寒いっす!」
「……黙れ! 次は青い洗浄液で洗い流してソレで終いだ、着替えは俺の替えを貸してやる」
「……それ、パンツは____」
「あ"? 知るか!」
『チッ!』っと、忌々しいとばかりに舌打ちした玉城の影がサッシのすりガラスから遠ざかり鳴海は取りあえず指示に従って体を洗浄しシャワーで洗い流す。
あの悪夢の区画から玉城に連行された鳴海は、問答無用でこの白亜のタイル張りのシャワー室に放り込まれ全ての衣服を脱ぐように指示された。
それこそ、下着から靴に至るまで全てを備え付けられた緑色のゴミ袋のようなものに回収され指示されるまま手順に従って体を洗浄する。
ガタン!
洗浄が終わり、全裸で震える鳴海の背後の洗面台とガラスの傍のダッシュボックスのような場所からビニール袋に包まれたバスタオルが勢いよく転がり出す。
「マジかよ……」
まるでよくあるSF映画のような展開に、鳴海は思わず吹き出しそうになる。
「ぷっ、まるで隔離されたみてぇー……」
「されてるみたいじゃなくって、洗浄できるまで隔離してんだよ」
再びサッシのすりガラスの向こうに現れた玉城が、呆れたように言う。
「うぇっ、なんでっすか??」
「なんでも、クソもあるか! お前が居たのはウリミバエの製造プラントだ、あそこはコバルト60……分かりやすく言うと不妊化前の『幼蟲』を扱ってるんだぞ? ソレを防護服もなしで入りやがって! もし、お前の服とか髪とかに幼蟲や卵なんてついて外に出てみろこの地域のウリ科の植物は即時輸出停止だ馬鹿野郎!!」
玉城の言う事はもっともである。
『8mmの悪魔』と呼ばれたウリミバエは1993年にこの県から根絶が確認されたが、それは決して『この世』から駆逐されたわけではない。
この国の外。
とりわけ、この県にもっとも近い海を隔てた隣国にはウリミバエやミカンコミバエと言った既に根絶宣言のされた種の多くが生息しており検疫などの水際の努力があってもそれがいつ台風や人の行き来によって侵入するとも分からない。
その為、この施設では定期的に『不妊蟲』を製造しソレを空中散布してきた。
鳴海が入り込んでしまったのはその『不妊蟲』を製造するプラントの一部、不妊化前の幼蟲を扱う場所。
もし、その服に靴に髪に幼蟲もしくは卵が付着し外に持ち出され繁殖してしまえば根絶宣言は取り消されまたウリ科の植物の輸出は一切できなくなる。
ウリ科の植物くらいと思われるかもしれない。
だが、1993年以前ウリミバエが猛威を奮っていたときには立ち行かなくなった農家が首を吊った事例さえあり決して笑い話ではないのだ。
「はい、すいませんでした……」
尻すぼみになる鳴海の声に玉城はまたもやため息をついて、苛立ったようにばりばりと頭を掻く。
「どうせ、意味なんて分かってねーんだろ? お前の上司は誰だ? なんにも教えてねーじゃんか!」
から返事の鳴海に頭をかかえながらも玉城は少しサッシの戸を開けて、これまたビニールに厳重に包まれた着替えを素早く放り込む。
「さっさと着替えろ! 靴も俺の貸してやる! 遅刻については俺が連絡しといたからじき誰か迎えがくるだろうよ」
「む、迎え?」
「ぐずぐずスンナ!」
鳴海は急いで玉城に渡された黒いツナギを袋から取り出し着るが、ぶかぶかで余った手足の裾を三重ぐらい折る羽目になった。
「まだか!」
「お、終わりました!」
サッシのドアからおずおすと出てきた鳴海を、むすっとした顔で仁王立ちの玉城が迎える。
「あの、すいませんでし____」
バン!
鳴海が例のごとく玉城に頭を下げた所で、勢いよく更衣室の戸が開けられ白衣に般若の形相を浮かべた赤又が踏み込んできた!
「す~な~べ~」
「ヒィ!?」
大股3歩で迫った赤又は、その形相に引きつる鳴海の首根っこをまるで猫でも掴むように引っ掴み連れ去ろうと引きずる。
「待ってくださいよ、赤又博士」
既に戸に手のかかっていた赤又の背に玉城の低い声が咎めるように制止した。
「あんた、コイツにろくにこの施設の説明とか業務についての指導とかしてやってないみたいじゃないですか?」
咎める玉城に、赤又の眉間に皺が寄る。
「……小橋川の補助の君に関係ないだろう?」
「おおありですよ、現にコイツはバイオハザードマークの意味も知らずのこのここんな所まで入り込んであわや大惨事を招くところだったんですが?」
ごもっともな玉城の言葉に、眉間にしわを寄せた死神が黙り込む。
「……」
「まぁ、それより俺が気になるのはカードもパスコードもしらない人間がこの区画まで来れた事なんですけどね」
「……」
顔は笑っているのに、目に殺気に近い物を浮かべる玉城を目の当たりにした鳴海は冷え切った背中に嫌な汗をかく。
「……行くぞ、砂辺」
「は、はい!」
鳴海は玉城に一礼する。
「今日はありがとうございます! 靴も作業着も洗って返します……えと、それと、あの」
「お前の服なら、48時間熱処理してからしか渡せねぇな」
「は? 熱?」
「なんで必要かは、その親切なお前の上司に聞けばぁ~?」
まるで小ばかにした玉城の言葉に、振り向かなくても赤又の空気が変わった事に鳴海は戦慄を覚え慌てて更衣室から出ていこうと思い切りドアを閉じようとした。
___あれ?___
勢いよく閉じる瞬間。
戸の向こうで鳴海は玉城が微かに笑ったのが見えたきがした。
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