蟲工場②
「君は誰かなぁ?」
年は30代前半と思われる白衣の男は、開いたノートパソコンを閉じ眼鏡の奥の目をしばたかせながら鳴海に問う。
「え あ、砂辺っ今日、面接の砂辺鳴海ですっ!」
「あ~君かぁ~うん、聞いてる聞いてる~10分前だねぇ~そこの椅子に掛けてなさい」
白衣の男はそういうと、ノートパソコンの乗っていた場所をガチャガチャと片づけ始めた。
その場に固まるばかりの鳴海だったが、ようやく息を整えデスクの内側からガチャガチャと用意されるパイプ椅子をじっと見る。
___ど、どうしよう___
鳴海の頭に渦巻くのはもはやその一言だ。
これから問われるであろう志望動機や業務内容についての事を考えると、務める場所の事を調べもせず求人票の内容の確認すら怠った鳴海にとってこれは拷問でしかない。
こんな輩と一緒に働きたくない、『つか、ググれカスw』と言う玉城の言葉も無理はないと、鳴海は死んだ魚のような目でため息をついた。
「は~い、それじゃ砂辺さん? こっちにおいで~」
「ひゃっ! げふん! げふん! はっはい!」
のんびりとした口調に鳴海の心臓が跳ねる。
「はいはい、かけて下さいね~」
「しっ、しつれいします」
雑多に物の避けられたデスクの向かいに用意されたパイプ椅子に、鳴海はまるで今から試合にでも臨むような表情で腰を落ち着ける。
___こうなった以上、恥でも何でもいい!____
___かくだけかいて最後までやり通す!____
___もう逃げられない!___
鳴海は腹を括った。
「初めまして~僕は、このミエバエ班を統括するサブリーダーの小橋川で~す……えと、砂辺さんだったね? 履歴書をとハローワークの紹介状を貰えるかな?」
「はっ、はい!」
優し気な声にすらビビりながら、鳴海はわたわと持参した履歴書と紹介状の入った封筒を小橋川と名乗った白衣の男に差し出す。
「ふーん~……どれどれ~」
小橋川は相当目が悪いのか、白衣の胸ポケットに入れていたケースから別の眼鏡を取り出すと今かけているものと掛け替えてまたポケットに戻した。
「高校卒業が最終学歴……職務経験は……無し……高校新卒かぁ~……ん?」
履歴書を近目で眺め文字を指でなぞっていた小橋川は、ふと指を止め顔をあげると鳴海から視線を外して手を振った。
「おーい! 玉城く~ん!」
『玉城』と聞いて、緊張のあまり下を向いていた鳴海はばっと顔あげて小橋川が手を振る方を振り向く。
と、そこには『ちっ!』と言う舌打ちが聞こえてきそうな不機嫌極まりない目つきの悪い顔があからさまに愛想笑いを浮かべならこちらに向かって歩いてい来た。
「何でしょうか? 小橋川博士」
「この子、砂辺さんって言うんだけどね~卒業した高校が君と同じでしかも同じ体育科なんだって~凄い偶然だと思わない?」
何やらはしゃぐ小橋川に、玉城は失礼なくらいあからさまに大きなため息をつきただ得さえ目つきの悪い眼光がじどっと伏し目になる。
「だったら何だって言うんです? 同じ高校だからって……ん? 体育科?」
玉城は、小橋川が差し出してきた鳴海の履歴書を手に取りまじまじと見て少し驚いたような顔をした。
「おい……あの高校の体育科と言えば、ほぼ100%大学進学のはずだろ?」
その問いに、鳴海は唇を噛む。
「お前、なんかヤバい事でもしたのか?」
「違います! そんなんじゃありません!」
噛みつくように吠えた鳴海に、玉城は眉を釣り上げる。
「じゃぁ、何だってんだ? どうせろくな理由じゃないんだろ?」
「違います……自分は___」
鳴海は、自分の生い立ちやこれまでの経緯をかいつまんで玉城と小橋川に話した。
『へーふーん』っと言った表情の玉城と『何だか聞き覚えのある話だねー』っと、微笑ながら玉城を見る小橋川を鳴海はちらちらとみる。
「……聞いといてなんだが、お前の事情は気の毒だとは思うけどそれとこの面接とは無関係だ、世の中そんな情け話じゃ_____」
「おk! 採用! 取りあえず、行きつけの病院とかあったら健康診断を受けて書類を_____」
「なに言ってんすか!? 小橋川博士!」
「え? だって、もともと経験不問って出してるし~君の仕事ぶりを見るにその後輩なら問題ないでしょ? てなわけで明日からよろ_____」
その言葉に玉城が『をぉい! マジか!?』と、天然な上司に突っ込みくれようと口を開こうとした瞬間『え? ちょっと』っと鳴海のハローワークの紹介状を確認した小橋川が固まる。
「え? ……何か?」
採用の言葉に内心ほくそえんていた鳴海は、さっきまでの笑顔を失い固まる小橋川とどうしたのかと覗き込んだ玉城が全く同じ顔で固まったのを見て嫌な予感がした。
「……君、この紹介状さ隣の棟の研究室のものだ」
ゆっくり顔をあげた小橋川の言葉に、今度は鳴海が岩のように固まる番だった。
◆
「ごめん」
真っ白に燃え尽きた生ける屍のようになってしまった年の離れた後輩に、玉城が馴れない謝罪をする。
「俺も悪かったけどさ、お前だってちゃんと紹介状を確認しないのも悪かったんだぜ?」
玉城の案内で本来の面接場所である研究室へ向かう鳴海の足取りは、まるで餌を求めて徘徊するゾンビよりも鈍い。
初めての面接。
初めて買って戸惑いながら書き上げた履歴書。
初めて関わった社会。
初めて尽くしだったとは言え、全てが失敗に終わってしまった……予定の面接時間だって30分もオーバーしている。
これも一重に、自分自身の無知と不運が招いた事だと鳴海は玉城を恨むまいとしてただ俯く事しかできない。
「諦めんなって! ほら、もうすぐ着くぜ? 多分のどうにか……なんくるないさ?」
「ソレ、死ぬほど嫌いな言葉っす。 玉城先輩」
玉城の言葉に、死霊のごとく押し黙っていた鳴海はようやく口を開く。
「『なんくるなさ』って、ハクナマタタ的な『深く考えるなんて止めてほっておけば何とかなるさ』って意味でしょう? でもそれって問題を放置して先送りしてるだけでなんの解決にもなってないって事じゃないですか?」
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