第34話 吐かせ役には山崎とジョニーウォーカー
個室にもどって、ここは池内君の家が経営しているバーらしいと報告すると、高坂さんはほっとしたように笑顔になった。
「よかったあ。私、いつ黒服の男がでてくるのかと・・・」
すると、すこし遅れて入ってきた池内君が、聞きつけて笑いながらいった。
「まさか。淳之介君を母さんに紹介してたんですよ。お待たせしました。なんでも無料ですから、好きなだけたのんでください」
「ほんと!?」
目をかがやかせて渡されたメニューをながめている高坂さんに、池内君はいった。
「女性は、このあたりのカクテルがおすすめです。―まあ最初は、ビールでもいいとおもいますが」
「は?何いってるのよ。せっかくこんな高級バーで飲めるのよ、このチャンスを逃がす手はないわ。―山崎18年のロックを、ダブルで。淳之介君にもおなじものを」
「え!?―は、はい」
「おつまみは、チーズプレートと、ふぐの唐揚げ。はやくね」
退出する池内君がやや顔色をかえていたようで、なんのことやら分からず僕はメニューを引きよせてみて、ようやく気づいた。高い。サントリーの山崎18年というのは、なかなかの高級ウイスキーなのだ。
「あの・・・お酒、詳しいんですか?」
「ん?うん、まあね。ほら、私のお父さんって、お酒大好きな人でしょう?」
「いえ、知りませんが」
「そうなのよ。毎日晩酌につきあわされてね・・・。私の名前だって、焼酎からとったんだから」
「―ああ、そういえば『穂のか』ってありそうですね。ちなみに、お父様のお名前は?」
「大五郎」
「嘘つけっ。・・・いまどきお爺さんでもそんな名前の人いませんよ」
「ほんとよ。代々ながれる酒飲みの血ね」
そこに池内君が、チーズプレートとウイスキー2杯をお盆にのせて入ってきた。
「ねえ、池内君はいっしょに飲まないの?」
「ええ、俺は仕事がありますから。何かあったら呼んでください」
「ふうん。―んっ?」
高坂さんは、僕のまえに置かれたウイスキーを目ざとく見とがめた。
「・・・どうしました?」
「色がおかしいわ、淳之介君のやつ。貸して。―ほら、ものすごく薄い。このお店は、こんなお酒を客に出すの?」
僕のウイスキーを奪いとって口をつけてみながら、高坂さんは険しい顔でいった。
(す、鋭いなあ・・・ほんものの酒飲みじゃないか)
僕は内心、愕然とした。
「淳之介君のお酒だけうすくしておくからさ。うまく彼女を酔わせて、話をききだすんだぜ」
お酒に自信のない僕に、そう池内君がいってくれたのだ。あわててお酒を替えて、そそくさと退散しながら、池内君はちらりと僕に視線をおくった。
(もうこうなりゃ仕方ない。がんばれ!)
その目は、あきらかにそう言っていた。
「二人っきりかあ。それも、いいかもね。淳之介君のこと誘惑したら・・・梓ちゃんに怒られるかしら」
高坂さんが顔を近づけてきながら冗談めかしていって、ドレスのV字に切れこみの入った胸もとから、形のいいおっぱいがみえた。
(―ほんとに・・・いろいろな意味で大丈夫かな?)
僕はちょっとドキドキしながらも表面上はにこやかに、キンとかるくグラスをぶつけて彼女と乾杯した。
大丈夫なわけがない。アルコール度数5%のビールで十分に酔える高校二年生が、いきなり43%のお酒を飲まされたのだ。
「淳之介君」
「・・・」
「淳之介君ったら」
「はい?・・・あっ、ごめんなさいっ」
ふだんなら理性というリミッターをかけてくれる脳をダメにしてしまうのだから、まったくアルコールは怖い。僕はいつのまにか高坂さんのムネの谷間を凝視していたのだ。
「女の人の胸をそんなにじろじろ見ちゃだめでしょう。まあ、かわいいから今回だけは許してあげるわ。―で、どう?お姉さんのおっぱいは」
「―すごく魅力的だと思います。けっこう大きいし、形もよくて」
「ふうん。梓ちゃんのおっぱいと比べて、どう?」
「やめてください、そういうこと言うの」
「あら?なに怒ってるのよお」
「・・・」
「あ。わかった。気高い梓お姉さまが汚されたようで、イヤなんでしょう」
「―知りません」
「ねえ、梓ちゃんでオナニーしたり、するの?」
「しませんよ。―怒りますよ、ほんとに」
「きゃははっ。君って、ほんとにかわいいね。でも、ちょっと腹たつなあ。人のおっぱいさんざん見ておいて、梓ちゃんは特別あつかいなんてさあ」
おまけに、アルコールは人を正直にする。まったく高坂さんの言うとおりで、僕は梓お姉ちゃんについて少しでもイヤらしいことを口にされると嫌な気分になる。ふだんなら笑ってごまかすこともできるのだけれど、直情的になってしまった僕は、まったく子どもっぽく高坂さんの手のひらのうえで遊ばれていた。
「妬けちゃうなあ。ねえ、お姉さんのおっぱい、さわってみる?梓ちゃんには言わないでおいてあげるから」
そう僕を挑発しながら、また高坂さんはウイスキーをあおった。まったく、高校生のくせにこの人はやたらとつよいのだ。僕が一杯でこんなになっている間に、ジョニーウォーカーブルーラベルだのバランタイン30年だの高そうなウイスキーをがんがん飲んで、しかも平気だった。
(まいったな・・・)
そもそもこの人に本音を吐かせなければならないのに、僕のほうが見透かされているようでは話にならない。逆転のチャンスをねらっていたところに、タイミングがいいのか悪いのか、ともかく電話が鳴った。見てみると唯からで、
「―唯?」
お酒で意識がもうろうとするなか電話にでると、
「あっ。妹さんね?貸して」
と高坂さんがかってに僕の手から携帯をうばいとった。
「ああっ。返してくださいっ」
「大丈夫よ。スピーカー機能で会話は聞かせてあげるから」
高坂さんはそういうと楽しそうに、
「もしもし?」
とかってに電話にでた。
「ニャふ?」
おまけにスピーカーから流れてきた声はシャムのもので、
(あちゃあ・・・)
と僕は頭をかかえそうになった。ことばがわかることをカミングアウトしてからシャムがはまったものは、漫画やラノベばかりではない。肉球をもつ体の構造上メールはあまり得意ではないらしいが、電話がもうあきれるくらい好きなのだ。僕、唯、梓お姉ちゃん、最近は弥生ちゃんや怜奈ともよく話しているらしい。しかもじぶんの携帯などもっていないわけだから僕や唯のを使うわけで、携帯代がかさんでしかたがないのだ。
「あら、あら。妹のくせにお兄ちゃんに猫語なんかつかっちゃってさ」
「どニャた?」
シャムを唯だとおもいこんでいる高坂さんと、高坂さんを僕だとおもいこんでいたシャムの会話は、とうぜんすれ違った。ところで人間のことばを話しはじめてからというものシャムはどんどん『猫っぽい人間語』に熟達してきて、やたらにいろんなところにニャがはさまる。最初は僕もわざとらしいからよせと注意していたのだけれど、最近はあきらめてそのままにしている。
「私?あなたや梓ちゃんから淳之介君をうばう女よ。ふふっ」
「ははあ。泥棒猫ですニャ」
高坂さんはむっときたようで、僕はあわてた。
「―失礼ね。なにが『ニャ』よ。甘ったれた声だしちゃってさ」
「これがほんとの猫なで声ですわ。じゃああなた、ジュン様じゃニャいんですわね?」
「ジュン様!?―淳之介君、あなた妹に『ジュン様』なんて呼ばれてるの?」
「やっぱりジュン様じゃニャいですわ。猫をかぶったニセモノですわ」
「うるさいわね、さっきから猫猫と・・・」
さらにあわてる僕をよそに、シャムは平然と世間話モードに入った。まったく、うらやましいかぎりの社交性なのだ。
「どニャたか知りませんけど、まあいいですわ。ご趣味は?」
「え?」
「漫画とか好きですかニャ?」
「?まあ、きらいじゃないけど・・・」
「それなら、面白いのがあったら貸してくださいませんこと?ジュン様にわたしてくださってかまいませんから」
「―な、なんだか淳之介君の妹のわりにずうずうしい子ねえ・・・」
「ほかに何かご趣味なんかはニャいですの?」
「え?―うーん・・・まあ、部活でやってるから趣味といえるかはわからないけど・・・走ること、かしらね?」
「駆けっこですの?いいですわね、それなら私も好きですわ。どのくらいでお走りになって?」
「タイムのこと?そうねえ、だいたい100mで12秒5ってとこかしらね」
(は、はやいなあ・・・)
素人からするとそれはものすごい記録におもえたし、高坂さんもあきらかにそういう反応を期待していたようだったけれど、シャムはがっかりした声でいった。
「遅いですわねえ・・・。それじゃあお魚くわえたドラ猫を追いかけても、逃げられるだけですわ。みんなに笑われますわ」
「な・・・なんですって!?―じゃ、じゃああなたはどのくらいで走れるっていうのよ?」
「そうですわねえ・・・まあ、7秒5ってとこですかしらね」
「7秒5!?」
一瞬の間をおいて、高坂さんはほっとしたように笑いだした。
「なんだ。びっくりさせないでよ。あなたのいってるのは50mでしょう?じゃあ100mなら15秒ってとこね。まあ、いいんじゃない?素人ならそのくらいでしょう」
(いや・・・)
シャムなら実際、そのくらいで走れる。猫の運動神経ときたらもうおどろくほどで、人間ではぜったいにかなわないのだ。シャムは高坂さんの勘ちがいはたいして気にもとめず、つづけた。
「まあ、人間ですからすこしは大目にみるとしても・・・部活に入っていてそれじゃあダメですわ。それでは姉様に勝てニャいでしょう」
「・・・姉様って?」
「もちろん梓お姉さまですわ。それにあの方には、そういうタイム以上の凄味がありますわ。あの方なら、お魚くわえたドラ猫が走りだすまえに首根っこつかまえられますわ」
身内自慢なのか、シャムは電話のむこうがわで明るく得意気にいった。しかし電話のこちらがわでは、もうなんというか・・・怒り、哀しみ、傷つき、ともかく体全体から高坂さんが強烈なマイナスのオーラを発散させはじめていて、ものすごいことになっていたのだ。
(こ、このバカ猫っ・・・。心の闇が見きわめられるんじゃなかったのかっ)
―まあしかし、意図したものではないにしても、シャムとお酒の力のおかげで高坂さんの心の闇のありかがはっきりしたのはたしかだった。ふだんなら高坂さんも、
「もう、梓ちゃんには何をやってもかなわないわね」
などと笑ってごまかすこともできただろう。でもなんというか、これはもうあきらかだった。そして、本気で怒ったひとの顔ほど怖いものもないし、彼女自身みられたくもないはずだ。僕は、ちょっとトイレ行ってきますねと怒りでかたまっている高坂さんに声をかけて、そっと席をはずした。
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