第33話 吟遊詩人は居酒屋のトイレで唄わない
できるだけ大人っぽくという池内君の注文をおもいだしながら、僕はすこしのあいだクローゼットのまえで悩んだ。そして結局、白いワイシャツのうえに、ネイビーとモスグリーンのタータンチェックのジャケットをはおった。スーツはすこしやりすぎのような気がしたからだ。それからすっかり長くなった髪をグリースで濡れたかんじにまとめた。そうして洗面台の鏡のまえでぐずぐずやっていると、唯が好奇心にかられたように近づいてきて、どこに行くのかとたずねた。それから僕のこたえを聞くと、
「あ。唯もいく。唯も・・・」
と騒ぎたてた。僕はじいっと唯の顔をみつめてから、しずかに首を横にふった。この童顔を二十歳以上にみせることは、どうしたって不可能におもえた。
「ああっ。薄情者っ・・・」
という声を背中にうけながら、僕はそそくさと外にでた。
池内君にメールで指定された場所につくと、ワイン色のドレスを着た高坂さんが待っていた。小麦色の引き締まったボディにその服はぴったりで、メイクの力もあって、いまや『小麦色の妖精』というより『小麦色の小悪魔』というところだった。すくなくとも、高校生にはみえない。僕が声をかけると、ふりむいた高坂さんは
「うーん。宝塚みたいねえ・・・」
とうなるようにいった。どうやら僕は僕で髪型をいじくったり、フォーマルな私服に着替えただけの効果はあったらしかった。ねらったとおりの効果だったのかはともかくとして。するとそこに、
「あ。あれ、池内君じゃない?」
と高坂さんがいって、みるとたしかに通りのむこうから、白シャツの上にスーツ用のベストを着た池内君が、栗色のポニーテールを揺らしながらこちらにやってきていた。
「―どうみてもホストにしか見えないんですが・・・」
「―うん。ワルの匂いがぷんぷんするわね」
そしてやってきた池内君は、まず僕らをながめてから、
「大学生の美女二人、って感じだな。まあ、これなら大丈夫かな」
といった。それから僕が抗議の声をあげるまえに、
「こっち」
としめして、僕らを店に案内した。
店の前にたった僕は、でも、たちまち不安になった。
「ねえ、池内君。ここ・・・高いんじゃないの?店構えが、あきらかにさ・・・」
「大丈夫。ついてきて」
池内君が平然とわらってまだ開店前のそのバーに入っていくので、僕らもついていかざるをえなかった。しかしその薄暗い店内は、内装といい雰囲気といいあきらかに高級バーのそれで、とてもじゃないけれど僕ら高校生の行くようなところではなかった。おまけに池内君は、ある個室のドアをかってに開けると中に高坂さんを入れて、ちょっと待っていてくださいねといった。それから、
「淳之介君は、こっちに」
と僕をさらに奥へとつれていった。そして奥のカウンターの中には、白シャツを着たものすごくきれいな、まさしく大人の女性がいて、なにやら書類のようなものをながめていた。
その女性は僕らの姿をみとめると、はっと息をのんで書類をとりおとした。それから、深々とため息をつきながら言った。
「―そう。とうとうこの時が来たのね。もう少しママのそばに置いておきたかったけれど、薫ももうスーパーサイヤ人・・・りっぱな大人だものね」
いろいろとつっこみたいところはあったけれど、とりあえず僕は小声で、いちばん気になったことだけを聞いた。
「・・・スーパーサイヤ人?」
「ああ。髪を染めたら泣きわめくものだから・・・そうやって言いくるめたんだ」
よく言いくるまったなと思いながらも、僕はあらためてそのどうやら池内君の母親らしき人を見なおした。なるほど、このイケメンは母親からの遺伝のようだった。
「清純そうで、きれいなお嬢さんね。ひさびさに元ヤンの闘志がかきたてられるわ。式はいつ?結婚式場で、どっちが男性の注目をあつめるか勝負よ。いっておくけど、爺さんも男性のひとりとしてカウントするのよ」
「―あさましいこと言うなよ。母さん、日本の法律って知ってるかい?俺の年齢じゃそもそもまだ結婚できねえんだよ」
「ははあ。さては、できちゃったのね。私、もうお婆ちゃんになるのかしら・・・ととのいましたっ」
「・・・?」
「若くしてお婆ちゃんになった女の気もちとかけまして」
「ああ・・・」
「お母さん二人分とときまする」
「・・・そのこころは」
「もう少しママのままでいたいです・・・お粗末さまでした」
「あのさ母さん、どこから説明したらいいかわからないんだけど、この人はさ・・・」
池内君は、僕の肩に手をおきながらいった。
「ああっ、肩に手なんかのせてっ。―ととのいましたっ」
「うむ・・・」
「息子を恋人にうばわれた母親の気もちとかけまして」
「・・・」
「つらい気もちが八個分とときまする」
「―そのこころは」
「これがほんとのやきもちでございます・・・お粗末さまでした」
「なるほど、八と書いて『や』と読ませるわけですね」
「解説ありがとうございます・・・あら?」
「え?」
はじめて口をはさんだ僕に、池内君のお母さんはおどろきの目をみはった。
「―あなた、男?」
「―もちろんです」
「ああっ。さては、薫がいっていた友だちの淳之介君って、あなたね?かっわいい顔して、同時にいろんな美少女に何股もかけてるんでしょ?やるじゃない、このヤマタノオロチ」
「・・・・・・」
非難のまなざしを向けると、いや、そんな言い方をしたおぼえは、などとぶつぶついいながら池内君は目をそらした。そこに、
「ととのいましたっ」
とまた池内君のお母さんが声をはりあげた。
「ええっ」
「淳之介君とかけまして」
「はあ」
「ストライプのシャツを着たしまうまとときまする」
「そのこころは・・・」
「見た目と逆に、中身はよこしま。―お粗末さまでした」
「うう・・・」
「ねえ、あなた薫といっしょにここでバイトしない?高いお給料だすわよ。あなたなら、男性客からも女性客からも人気でそうだし」
「でも僕、まだ高校生ですから・・・」
「あら、薫だってそうよ。そんなの、二十歳以上っていえばすむことじゃない。客商売に大事なのは臨機応変さと、思考の柔軟さよ。でも嘘だけはつくなって、薫にもいつも言ってるの」
「はあ・・・」
「まあ、かんがえといてね。ところでさ薫、うちもお酒出すとこなんだし、トイレにポエムでも貼っとこうかなとか思うんだけど」
「ああ、そういえば居酒屋ってかならず貼ってあるよな、そういうの」
「そうでしょう」
そこで池内君は僕のほうをむいて、説明してくれた。
「最近母さんがやたらと詩だの俳句だのに凝っててさ。いろんなところに投書してるんだ」
「ああ、それで『ととのいましたっ』なんてやってたんだね」
「だって、仕事も軌道にのってるし、子育ても一段落したし・・・薫ったら、最近ぜんぜん私のオッパイ吸ってくれないんだもん」
「当たりまえだっ」
「だから、詩でも書こうかなって。一回でも雑誌に掲載されたら、名刺に『吟遊詩人』って入れてやろうとおもってるんだけど。なかなか載らないのよね」
「・・・」
「候補作がふたつあるの。淳之介君も聞いていてね」
「はい、よろこんで」
「では居酒屋調で・・・」
池内君のお母さんはコホンと咳払いしてから、さっき書類だとおもっていた紙をとって、朗々とよみあげた。
「あんたのきらいなあの人にゃ
たしかに足りないとこがある
けれどほんとはあんたにも
きっと足りないとこがある
人はみんなが三角形
角度の足りない三角形
けれど三角ならべれば
いつかきれいなまるになる
だからみんながあつまれば
そこにまんまる笑顔咲く」
「居酒屋だなあ・・・。わるいけど、俺そういうの大っ嫌いなんだ」
池内君がそっぽを向くように言って、僕もつづいた。
「僕も苦手です。せっかくのおしゃれなバーにこんなのあったら、気もちが萎えちゃいますよ」
「そうお?『円満の秘訣』っていうんだけど・・・。かわいい顔してなかなか厳しいのねえ。じゃあ、次のやつね」
池内君のお母さんは、また七五調でリズムをとりながら、きれいな声でよみあげた。
「じぶんの尻尾に鼻うめて
子犬を抱いて眠る犬
愛するひとの背を抱けば
その手はきれいな輪をえがく
大事なひとを守る手は
いつもちいさな輪をつくる
机に水滴落とすよに
ちいさくきれいなまるつくる
和と輪を想うこころから
まんまる笑顔咲かせましょ」
「却下だ。―なんなんだよさっきから『まんまる笑顔』って。俺、そういう自足しきった笑顔見てると、蹴り入れたくなるんだ」
「右に同じ、です。なんかどこ向いても『小さくなりなさい』みたいなメッセージばっかりで・・・わりとうんざりです」
「あ。わかる、わかる。私も昔っからわかったような顔でそういう説教してくるヤツ、大の苦手でさ。じぶんが大きくなりゃいいのにねえ。他人を小さくする努力ばっかりして、みみっちいたらありゃしない。もうみんな、やたらと嫉妬深くてやんなっちゃうわよね」
「―わかってんじゃねえか。じゃあ、なんでこんなのつくるんだよ?」
「居酒屋風につくったら、こんなことになっちゃって。やっぱり、人真似はだめね。―淳之介君、きょうは好きなだけ飲み食いしていってね。ウチはいいお酒そろってるわよ」
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