第32話 女王様と妖精はいつだってワンセット
次の日の朝、僕は梓お姉ちゃんの教室をたずねた。ひとりで先輩の教室にはいるのは勇気がいったし、実際いろいろなところから飛んでくる視線に僕はどぎまぎした。でも声をかけて、
「あら。淳之介・・・」
と微笑みながらふりむいた梓お姉ちゃんの顔をみると、それはいつものように溶けていった。それから僕は小声で、つぎのターゲットがお姉ちゃんの友だちの高坂穂のかさんであることを告げた。ほんとうは梓お姉ちゃんもだったけれど、それをすこしでも感づかれようものなら僕ら全員の命がない。とりあえず高坂穂のかに照準をあわせて、そのなかでお姉ちゃんの問題とやらがあるのなら探ろうという僕らの作戦だった。
「穂のかが?・・・まさか」
話をきいて、おもわず眉間に皺をよせる梓お姉ちゃんに、僕はたずねた。
「高坂穂のかさんに、なにか最近・・・変わったところはなかった?」
「うーん・・・なかったこともないと言えなくもないかもしれないけど・・・」
「ん?えっと・・・」
「―すくなくとも私には、ふつうの穂のかにおもえたけど。でも、もともといつでも明るくふるまう子だからね・・・」
そうして僕らがこそこそ話していると、さっそくむこうから渦中の高坂さんがやってきて、僕の肩に手をおいた。
「ふーん。この子がうわさの梓ちゃんのナイトね。近くで見たのははじめてだけど・・・やっぱりカッワイイわねえ。梓ちゃんのお眼鏡にかなうだけのことはあるわ」
(きたっ・・・)
これをねらって、僕はこの教室へ来たのだ。高坂さんの問題に梓お姉ちゃんが気づいているなら、とっくにじぶんで解決している。なにか、第三者でないとわかりにくい原因があるのかもしれない。なんにしても、まずはこの高坂穂のかさんとお近づきにならないことには話にならない。
「ふーん・・・」
それから高坂さんは僕の肩においた手をそのまま下にずらして、背中やら胸やらをなでまわした。
(?・・・?スキンシップが好きなタイプなのかな?)
「キミ、細いねえ。あんまり運動してないでしょう」
「は、はい。本のほうが好きです」
「だめよ、そんなの。梓ちゃんが悪漢におそわれたら、どうするの?」
「大丈夫よ。そのときは私が淳之介をまもるわ」
「きゃははっ。まあ、そうよね」
(そうか、陸上部だったっけ・・・)
僕はきのう生徒会室できいた情報をおもいだした。そして健康的に日焼けした、いかにもスポーツ女子といった雰囲気で、高坂さんはいった。
「ねえ、淳之介君、陸上部に入部しない?ウチはかわいい子あんまりいないから、みんなよろこぶとおもうわ」
「ちょっと穂のか・・・」
僕はここだ、とぴんとひらめいた。
「―でも、運動部がなにをやっているのか、興味はあります。生徒会役員としてですけど・・・。今日あたり、見学に行ってもいいですか?」
「あ。来る?」
高坂さんは目をかがやかせ、梓お姉ちゃんもさすがに敏感に感づいた。
「そうね。生徒会は、運動部とのやりとりも多くなるから・・・見ておいて、損はないわ」
「もちろん。どんな理由であれ、ウェルカムよ」
じゃあ今日おうかがいします、と僕は頭をさげた。
「へえ、淳之介君、知らなかったのかい?けっこう人気なんだぜ、高坂穂のかさん。まあ、生徒会長ほどじゃないけどさ。『小麦色の妖精』なんていって・・・そういうのにうとい俺でさえ知っているのにさ」
「ふーん・・・」
「まあ、その人気ナンバーワンの女王様がいつも近くにいるんだものな」
放課後、グラウンドにむかいながら池内君はわらった。一人でいくのもつまらないので、僕が彼をさそったのだ。練習風景を一望できる木陰のベンチに腰をおろすと、気づいた高坂さんが笑顔で手をふってきた。なるほど、小麦色の妖精らしい、お日様のような笑顔がまぶしかった。僕も会釈をかえした。僕らはそうしてしばらく、陸上部だけでなくいろいろな部活の練習をながめていたのだけれど、
「―いやあ、たいしたものだねえ。こんなに追いこむんだねえ」
と僕はおもわず途中で嘆声をあげた。運動部に所属したことのない僕としては、しんじられない練習量のようにみえた。しかし池内君は、首をふっていった。
「―そうかい?俺は逆に・・・レベルが低すぎるっておもったけどな」
「そうなの!?」
僕がおどろいて池内君をみると、彼はうなずいてつづけた。
「うん。ちょっと見ただけでえらそうに言うなっていわれそうだけど・・・でもね、ちょっと見ただけで判断できることって、じつはたくさんあるんだよ。形は中身、中身は形だからね。形をはなれた中身なんて存在しないんだ。これだけフォームがわるいなら、中身もたいしたことないって断言してもいいね」
「あ。それはちょっとわかるかもしれないなあ。下手な文章ですばらしい思想をかく作家なんて、見たことがないものね。結局文体そのものが思想なんだなって、よく本をよみながら思うけど」
「うん。おなじことを言っているんだろうね。俺の場合、親父が武術家でさ。理にかなった人間の動き方というものを、小さいころから体にたたきこまれたんだ。それがよかったんだろうね、どんなスポーツもその延長線上でこなせるよ」
「ふーん・・・」
たしかに池内君の運動能力は図抜けていた。体力測定なんかでも、ハンドボール投げをやらせればハンドボール部にも野球部にも余裕で勝つし、長距離走をやらせれば陸上部をぶっちぎる。それでいて、運動部からの勧誘はゼロだ。
「あんな協調性のないやつがいたら、部全体にしめしがつかない」
となぜか息巻いていった運動部の顧問の先生もいると聞く。池内君はそんな部にまったく興味がないのだから、お笑いだ。結局みんな、池内君がこわいのだ。
「大事なのは、第一歩目なんだ。いい師について、ただしい方向に第一歩目を踏みだすこと。みんなさ、じぶんが階段の何段目にいるか、そればっかり気にしているじゃないか。オマエは俺の二段下にいるから俺には何もいう資格がないとか、あの人は俺の一段上にいるから従わなければならないとかさ。まあたしかにスポーツではかなり有効な考え方ではあるんだけど、でも、こういうこともあるんだよ。かんがえられないようなすごい人が上にいて、でも、そもそもその人は、じぶんとおなじ階段の延長線上にはいないってね。じぶんの階段をいくらのぼっていっても、その先にはなにもないこともね」
「ふうん・・・」
僕は池内君の話をききながら、まったく飽きずに放課後の部活動をながめていた。
陸上部のトレーニングがおわると、高坂さんが笑顔でこちらに近寄ってきた。
「どう、淳之介君?陸上部にはいる決心はついた?」
いたずらっぽく聞いてくる彼女に、僕はいえ、その逆ですねと苦笑してこたえた。それから高坂さんは、
「へえ、あなたが池内君か。有名よ、あなた。進学校のチンピラなんてふつうはたかが知れてるけど、あなたの場合ほんとの武闘派らしいものね。それにしても、これだけ正反対のイケメンコンビもめずらしいわね・・・」
とつくづくと僕らをながめた。今度は池内君が苦笑する番だった。
「いえ、武闘派というか・・・武術家なんですよ」
「ふうん。ねえお二人さん、お姉さんとお茶しない?私も梓みたいに、歳下のイケメンふたりをしたがえて遊んでみたいわ」
高坂さんがそう誘ってきて、よしっと内心ガッツポーズをつくる僕をよそに、でも、池内君が言いだした。
「それなら・・・お酒でもどうです?あしたは休みだし、さっき監督も休養日だっていってたじゃないですか。いいお店知ってるんですよ、俺がおごりますから」
「・・・池内君、いちおう僕らは高校の生徒会役員なんだよ?先輩なんて大会もあるんだし・・・」
さすがにおどろいて僕がいうと、池内君は親指をたててみせた。
「大丈夫、絶対ばれないから。淳之介君、俺はたしかに優等生じゃないかもしれないが、君を変な方向にひきずりこむようなマネはしないよ」
つぎの瞬間、僕はいつのまにか応じていた。
「そうか、それもそうだね。―先輩、いかがです?」
聞くと、高坂さんはうれしそうにのってきた。
「いいじゃない。ステキだわ、そういうの」
僕が拍子抜けして、
「―ほんとにいいんですか?」
たしかめると、
「うん。淳之介君がその彼のことをものすごく信頼しているのが伝わってきて・・・なんだか自然に大丈夫だろうなっておもえるもの」
と彼女はうなずいた。
「とりあえずいったん家にもどって、それらしい服装に着がえてきてください。場所は、またメールしますから」
池内君がそういって、じゃあまたあとでね、と走り去っていく高坂さんのうしろ姿をながめながら、
「どうしてお酒なの?」
と僕は池内君にきいてみた。
「本音を吐かせたいときには、昔っからこれって決まってるのさ」
当然のように、池内君はいった。
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