第29話 美少女は、お熱いのがお好き

 僕らはいってみれば縦一列になったわけで、梓お姉ちゃん、そのあたらしい彼女をはさんで向こう側に、森崎正弘の顔がみえた。少しして怜奈と池内君がやってきて、僕らの右ななめ前、つまり森崎正弘たちのとなりのテーブルに腰かけた。唯と弥生ちゃんはもう近くに席がなかったので、すこしはなれた場所に座らざるをえなかった。ディズニーランドの混み具合をかんがえれば、これでも御の字だ。僕らは食事をしながら、いっしょうけんめいに彼らの会話に耳をかたむけた。

 最初のうちは、森崎正弘は謝りっぱなしだった。

(まあ、当然そうなるか・・・)

誰だって、ディズニーランドまで来てひとつのアトラクションにだけ乗せられっぱなしなら、怒りたくもなるだろう。それから、ようやく彼女の不機嫌がすこしはおさまると、今度は森崎正弘は絵の話題にうつった。絵の基本的な技法について。好きな巨匠の絵のすばらしさについて。いまの画壇の傾向について。そして、それへの批判・・・。

(へえ・・・)

僕はいつのまにか、口を動かすのもほとんど忘れてそれに聞き入っていた。それは、僕のような門外漢にとっても、十分におもしろい話だった。ほんとうに理解している人間のもつあの分かりやすさと、すこしの青くささ。まったく青くささのない人間なんて、僕は信用しない。冷めた理知だけで、なにかを理解できるはずもないのだ。

(それなのに・・・なぜだろう?)

それだけ熱っぽくておもしろい話なのに、かんじんの彼女の反応が、どうもかんばしくない。気ののらないような相づち。そっけない態度。そして、森崎正弘の現代画家たちへの攻撃(ここが僕にはいちばんおもしろかったのだけれど)が一段落すると、彼女はため息をついて、おもむろに話しだした。

「ねえ、何かを語るには、資格っていうものが必要なんじゃないかしら。それならさ、あなたはいま、どんな絵が描けるわけ?あなたが批判した人たちの、足もとにも及ばないんじゃないの?」

(うわあ・・・)

苦手だなあ、こういうの・・・。僕は顔をしかめた。黙りこくって、人にしゃべらせるだけしゃべらせておいて、最後のひとことで引っくり返す。これでは、しゃべり損のたしなめ得だ。そもそも、絵や文学やスポーツというのは、森崎正弘のように楽しむものなのだ。みんなで熱くなって、議論しあう。酒を飲みながら、シュートを外した選手を罵倒する。この女のような手合いはつまり、好きなものがないだけだ。そうして根っこがないやつほど、えらくなりたがる。いつも冷静に受け身でいて、人の失言を待っている・・・。

(すると、何かい?僕らは正座してサッカーを見なきゃいけないのか?選手がミスしても、『でも、僕らよりずっと努力している人たちなんだし・・・何もいえないよね』なんて微笑まなきゃいけないのかい?)

僕の内心の苛だちなどおかまいなしに、その彼女のお説教はなおもだらだらと続いた。

「結果を出していないんだったらさ、なにも言っちゃいけないんだよ。私なら、私より上の人を批判しているヒマがあったら、すなおにそこから吸収しようと努めるけどな。私のバイト先でもさ・・・」

向こう側にみえる森崎正弘の笑顔にさびしげな影がよぎるのを、僕は見逃さなかった。死んだ彼女は、こんなつまらないことは言わなかったのだろう。だまって興味深げに聞いてくれたのかもしれない。一緒になって盛り上がってくれたのかもしれない。熱く議論しあったのかもしれない。それはわからないけれど・・・。

(もうやめとけって、森崎正弘)

僕は痛々しくなって、心のなかで彼に呼びかけた。いま君の目の前にいるのは、死んだ彼女とは似ても似つかぬ女なんだよ。ただ、ヴィヴィアン・ウエストウッドの指輪をたまたましているだけなんだよ・・・。ところがそのときガタッと椅子の音がして、気づくと怜奈が腕組みをして、森崎正弘のテーブルの横に立っていた。

(れ、怜奈・・・。何をするつもりだ!?)

僕が固唾をのんで目を見開いて、梓お姉ちゃんの表情もこわばるなか、怜奈はお説教をやめてぽかんとしているその彼女に、いった。

「ねえ。アンタ、何なの?」

「あ・・・あんたこそ、何なの!?」

おどろいて思わず言いかえす彼女のことばに、

「―もっともね」

と梓お姉ちゃんは小声でつぶやいた。

(―まったくだ)

と僕も内心、梓お姉ちゃんに同意した。そうしてひそかに四面楚歌の状況になっているのも何のその、怜奈は森崎正弘を指さしながら、強気につづけた。

「アンタさ、こいつの彼女なんじゃないの?」

「そ、そうだけど・・・それがあなたと、何の関係があるの?」

気味悪いものでもみるように怜奈を見上げながら、彼女はいった。

「べつに関係はないけどさあ。私どうも、アンタみたいに中立的ニュートラルで、微温的な人って嫌いなの。となりで聞いてて、我慢ならなくなってさあ。耳もとでダサい演歌をがなりたてられたら、アンタだってたまらないでしょ?公害よ、こんなの」

「は・・・はぁ?・・・」

「アンタさ、じゃあこいつが立派な絵描きになったら、どうするの?」

こちらもあっけにとられている森崎正弘を指さしながら、怜奈はまだ動揺からぬけだせないでいるその彼女に聞いた。

「そ、そりゃあ・・・立派な絵描きになったら、ちゃんと認めてあげるわよ。決まってるじゃない・・・」

「つまりさ、アンタはこいつが売れる前は、『あなたには何を言う資格もない』みたいなこと言っといて、売れたら認めるってことよね?何それ。他人じゃん」

あっけらかんと怜奈は言い放って、梓お姉ちゃんがおもわずフッと唇の端で笑った。僕もフフと笑いかけて、あらぬ方をみてどうにかこらえた。怜奈は、ぽんぽんと畳みかけた。

「あのさあ。こいつが売れたら、こいつを認めるのはアンタだけじゃないの。世間一般の人すべてなの。『結果だしてから言え』って、そのへんの道歩いている人と言ってることおんなじじゃん。冷たいの。誰もみとめてくれない時期に『あなたならできるよ』って支えてくれるから、友達とか恋人ってありがたいんじゃない」

「あ・・・あのさ、さっきも言ったけど、それがあなたと、何の関係があるの?」

「私アンタみたいに中立的ニュートラルで微温的な人間って、我慢ならないの。さっきも言ったけど」

「―わかった。あなたは私に我慢ならないのね?わかったわ。でも、私はこういう人間なの。あなたとはべつの人間なの。世の中にはたくさんの人間がいるんだから、お互いのちがいを認めあってやっていくしかないんじゃない?」

怜奈は、舌打ちした。

「なんだか、テープレコーダーと話しているみたいねえ。じゃあ、『あなたにどうしても我慢ならない私』も認めていただけないかしら?お互いのちがいを認めあって、ねえ・・・。恋人すら認めてあげられない人間が、よく言うわ」

(さて・・・どうしたものかな?)

なんだかみょうな方向にヒートアップしている怜奈をみながら、僕は思案した。そろそろ止めに入りたいところだが、べつのグループを装っている以上、僕が出ていくわけにはいかない。

(ここは、おなじテーブルの池内君にまかせておくか・・・)

そう計算していたのだけれど、でも、ことは意外な方向にすすんだ。ガタッと立ちあがる音がして、何ごとかとあらためて見なおせば、いつのまにか森崎正弘が怜奈の手を熱っぽくにぎっていたのだ。

「あの・・・お名前を、教えてください!僕は・・・」

(な・・・なに!?)

僕は落ちつけた腰を、おもわずまた浮かしかけた。

「僕は、あなたのような人を探していたんです!ほんとうです。あなたは、まさしく僕の救世主です。あなたとなら、きっと・・・」

僕は、必死でじぶんに言いきかせた。あいつは、幼なじみの恋人を亡くしたばかりなんだ。同情の余地が十二分にあるんだ。いまあんな風にやさしくされたら、誰だってああなるじゃないか・・・。でも、ダメだった。殴りたい。怜奈の言うとおりだ。

我慢ならないものは、我慢ならないのだ。

しかし、僕が立ちかける前に、怜奈はもう行動していた。彼女はスマホを、森崎正弘の鼻先に突きつけた。

(・・・?)

森崎正弘もふくめ、僕らがあっけにとられて見まもるなか、怜奈はいった。

「これ、私の彼氏の写真」

「・・・え?」

森崎正弘は毒気をぬかれたようにスマホをのぞきこんで、声をあげた。

「・・・きれいな女の子だなあ。これが、彼氏?まさか・・・」

(チェッ・・・)

僕は心のなかで舌打ちしながらニット帽を目深にかぶりなおし、

「―まあ、彼氏ではないけどね」

と梓お姉ちゃんがつぶやいた。それから怜奈は、平然といってのけた。

「きれいでしょう。でも男だよ。美形だから、女にまちがわれやすいだけ。すっごくやさしいの。おまけに私たち、幼なじみなんだよ。ねえ、アンタこいつに勝てる自信、あるの?あるならその自信がどこから出てくるのか教えてよ、殺してあげるから」

(!〇×△□※?・・・)

たしかに、すごくほっとした。でもそれ以上に・・・・・・何やってるんだバカ怜奈、と僕は心のなかで叫んだ。これ以上傷つけたら、森崎正弘はほんとうにもう立ち直れなくなっちまう・・・。おなじことをかんがえたらしく、池内君が必死で止めに入った。

「怜奈ちゃん、落ちつけ」

「あ。この人、私の彼氏の・・・ジュンっていうんだけど、ジュンの親友。ジュンとは正反対のタイプだけど、これまたいい男でしょう。ジュンの友達に、ふさわしいわ。アンタなんかね、ジュンの位置にとって代わることはもちろん、ジュンの友達にすら値しないわよっ」

「よせっ、怜奈ちゃん。何だかだんだん、君のほうが悪者にみえてきたぜっ」

「だって気にくわないじゃん、こいつ。節操なさすぎじゃん。彼女のまえで私をナンパなんてさ、いい度胸してるじゃない。スーパー美少女怜奈ちゃんも、安くみられたもんよ」

しかし今回も、止めにはいる必要はなかった。

バシャッ

と水のかかる音がして、びしょ濡れになった森崎正弘をのこしてその彼女はひとり、レストランを飛びだしていった。

(・・・・・・まあ、そりゃそうか)

怜奈もまた、ふううとため息をついて、いった。

「―まあ、そりゃそうよね。あれだけ面子をつぶされたらさあ。アンタ、追わなくていいの?」

森崎正弘は、崩れるように椅子に座りなおしながら、力なく首をふった。

「そっか。ねえアンタさ、あの女のことそんなに好きじゃないんでしょう?なんでそんなやけくそになって、誰彼かまわず声かけたりするのよ」

「・・・いろいろ事情があってさ」

自虐的にわらう森崎正弘に、生徒会の仕事であることをようやく思いだしたのか、怜奈ははじめてまともなことを言いだした。

「ねえ、アンタさ。もしかして、好きなひとがいるんじゃないの?お互いに、しっかりと想いあっているようなさ」

「・・・・・・」

怜奈の鎌かけに、森崎正弘は沈黙でこたえた。もちろん、肯定の意味にしか受けとれない。

「あのさあ。私さっき、アンタにひどいこと言ったけどさ。私の彼氏が、アンタの彼女に声をかけても、結果はおなじだったと思うわよ?」

「・・・?」

いぶかるように顔をあげた森崎正弘に、怜奈はことばを継いだ。

「もしジュンが、あんたの彼女をナンパしたらさあ。きっと彼女は、こういうわよ。『ねえ、私のカレはね、将来りっぱな絵描きになる、天才なの。いま美術学校にかよっていて、将来を嘱望されてるの。おまけに、私にすっごくやさしくしてくれるのよ。あんたにどんな能力があるっていうの?このイケメン気どりの優男、あっち行きなさいよ。嫌らしいわね』ってさ」

(・・・・・・ふむ)

「あんただって、ほんとうはわかってるはずよ。『好き』なんて、そんなもん、必死になってあちこち探して歩くようなもんじゃないってさ。それは、気づいたら、自分のなかにあるのよ。いつのまにか、絶対的な、交換不可能なものになってさ。なんであんたが彼女のかわりを必死になって探しているのか、私は知らない。でも、そんなもの簡単にいるわけないじゃん。いたら、今までのアンタの『好き』が、嘘だったことになっちゃうわよ?」

(ふーん・・・)

僕は、心が痛かった。怜奈にそんなつもりはないのだけれど、ふらふらしている自分を責められているようでもあった。そうだ。怜奈のことばは、心にくる。たとえばさっきの女と、ちがいは簡単明瞭だ。あの女のことばは、じぶんの心とつながっていない。あいつらは、誰からも責められないように、とりあえずきれいなことばを周りに並べているだけだ。そしてそれを防風壁にして、じぶんはその後ろにゆうゆうと寝そべっている。だからあの連中のことばは、人をほんとうの意味で説得することができない。

(それにくらべて・・・)

僕は、なにやらかんがえこんでいる様子の森崎正弘をみながら、おもう。そうなのだ。怜奈のことばは、心にくる・・・。

「淳之介、退散するわよ」

おどろいて顔をあげると、梓お姉ちゃんがトレイをもって僕にささやきかけていた。僕はうなずくと、トレイをもどして、薄暗い店内から外へでた。ぱあっとまぶしい太陽の光に、僕はおもわず目を細めた。楽隊の演奏する音楽。人々の、幸せそうなざわめき。そうだ、ここはディズニーランドだったんだ・・・。

「まあ、これはこれでアリね」

梓お姉ちゃんがつぶやいた。そして僕がそちらをみると、気をひきたてるように笑っていった。

「遊びましょうか、淳之介」

うん、と僕も微笑みながらいった。

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