第27話 額縁の中のヴィヴィアン・ウエストウッド
「―ねえ、わかってたの、ジュンは?」
まおみちゃんの家から出たときには、もうすっかり暗くなっていた。
「うん?」
「あの子が死んだこと。森崎正弘と彼女がお隣同士で育った、幼なじみだったこと。反応がさ、なんか・・・予想していたみたいだった」
「まあ・・・もしかすると、っていう感じだけど。いやな予感はしてたよ」
「なんで?なんでそう思ったわけ?私はぜんぜん・・・気づかなかった」
むんとあたたかい春の夜風も、きれいなまるいお月様も、僕らの気をひきたててはくれなかった。僕は、鬱々とした気分で説明した。
「あの公園の絵の角度さ。空がみょうに強調されてたやつ。あれはべつに芸術ぶったわけでも何でもなくて、じっさい森崎正弘が見たままを描いたんだよ。ブランコから、ジャンプした瞬間の風景をさ。さっきやってみて、気づいたんだ。ああ、これを描いたのかって」
「―そうなんだ。でもそれが、どうして彼女が死んだことに結びつくわけ?」
「ぜんぶさ、二人でやることなんだよ」
「ん?」
「怜奈がタイヤの山の上で気づいただろ?なんか、小さなくぼみみたいなところに座って見た風景だって。あれ、子どもならちょうど二人分くらいのスペースだったよね。そもそも、子どもがふつう一人であんな所に座ってじっとしていられる?幼なじみの二人はさ、きっと小学生のころ、いっしょにあそこに座ってあの風景をみながらよく話しあってたんだよ。帰る途中には、あの公園に寄って、ブランコこいでさ。それで、ブランコからジャンプして距離を競いあったりしたんだ。僕らだってよくやったじゃないか、飛行船に石投げるのだってさ。図書室も、さっきの卒業アルバムに写真がのってたね。きっと二人で中学生のとき、よく通ってたんだろうね」
怜奈は図書室はあまり好きではなかったので、その話になると否応なしに弥生ちゃんが思いだされたけれど、もちろんそれは言わないことにした。
「―そっか。そういえば、ぜんぶ一人でやることじゃないね。私たちもよくやったよね、そういうこと」
怜奈が、ぼそっといった。
「うん。森崎正弘の絵はさ、ぜんぶ彼女と結びついているんだ。べつに意図的にそうしていたわけじゃなくて、彼がなにかを額縁のなかに切り取っておさめようとすると、自然にそこには彼女がいるんだろうね。いってみれば、彼の絵に色彩をあたえていたのは彼女なんだ。僕らがなんとなく感じとっていた彼の絵の温かさとかそのよさも、ぜんぶそこから生まれているんだよ。それなら、彼が絵を描くのをぴたっとやめて女狂いをはじめた理由なんて、ひとつしか考えられないじゃないか。彼女が、いなくなったのさ。まあ、そりゃそうだよね。そもそも彼が絵を描く理由は、彼女だったはずだから。―っていうかさ、怜奈、君が泣くなよ」
「だって・・・」
怜奈は僕の腕をひっぱって道ばたの電柱のあたりに連れていって、僕の肩あたりに顔をおしつけて泣きはじめた。そこは住宅街でちょうど食事のはじまる頃あいだったので、シチューの匂いやら、食器の触れあう音やら換気扇の振動音やら、生活のしずかな存在感が漂っていた。僕は、怜奈の頭をなでてやりながらいった。
「ただ、あの女狂いについては・・・はっきりと理解しているとはいえないんだけどね。あの校長からもらった写真のあたらしい彼女と、あの死んだ女の子と、共通点はまったくなさそうだものな。まあ、やけくそってことか・・・」
「ヴィヴィアン・ウエストウッド・・・」
「ん?」
ぐずぐずと怜奈がいって、僕はよくわからなくて聞きかえした。
「ヴィヴィアン・ウエストウッド。さっき、気づいた。卒業アルバムの写真でも、あの絵の中でも、死んだ女の子はヴィヴィアン・ウエストウッドの指輪してた。あのあたらしい彼女も、写真のなかでヴィヴィアン・ウエストウッドの指輪してた・・・」
僕の肩に顔をおしつけたまま、もぐもぐと怜奈はいった。
「すると・・・その女の子がヴィヴィアン・ウエストウッドの指輪をしてたっていうだけで、森崎正弘は声をかけたってわけ?」
僕はしんじられない思いで聞きなおした。
「たぶん。ちょっとでもあの彼女をおもわせる女の子がいたら、次から次へと声をかけてるはず。だから、どんどん別れることになる。彼女と、ちがうから」
「―ねえ、そのインディアンみたいな細切れの話し方、なんとかならないの?」
怜奈はそれにはとりあわず、涙にぬれた目で僕をみあげた。夜の闇を背景に、彼女の白い顔がぼうっと浮かびあがった。
「ジュン、死なないでね」
「―え?」
「死んじゃイヤ。森崎正弘にとって彼女がいなくなったのは、私にとってジュンがいなくなるようなもの。そうかんがえると、気もちはよくわかる。私だって、やけくそになる。かわいそう」
死なないよ、大丈夫さ、などと彼女のシャンプーの香りのする髪をくしゃくしゃとなでてやりながら、僕はこの活発な小動物みたいな美少女が本気で愛しくってたまらなくなってきた。しかしそうなると、―待てよとほかの女の子たちの顔が自然と思いだされてきて、また自己嫌悪におちいるのだ。ただ・・・。
(もしかして僕が今回、森崎正弘の絵のうしろに、一人の女の子の存在を感じとることができたのは・・・)
怜奈といっしょに彼の絵の原風景を共有したからなんじゃないのか。いや、彼の絵の原風景のようなものを、僕も怜奈と共有しているんじゃないのか。だからこそ、僕は森崎正弘の絵に共鳴できたのではないか。すると、僕にとって怜奈は・・・。とりあえず僕は頭をふってそんな考えを払いのけて、泣いている怜奈の背中をさすった。
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