第19話 シャム猫のいない猫カフェで

 次の日はちょうど土曜日だったので、僕は弥生ちゃんに教えてもらった猫カフェに、愛内さんを誘った。僕らはさんざん猫とあそんだ後で、コーヒーを飲みながらいろんな話をした。その日の愛内さんは僕がうながすままに、あれこれ打ち明け話をしてくれた。ようやく心を開いてくれたようで、僕はうれしかった。ただ、転校の経緯をたずねていく中で、とうぜん過去のいじめの話になって、それはあのボーイッシュな先生から聞いていたのよりさらに陰惨だった。愛内さんは、心配そうに聞いてきた。

「ねえ高梨君、ほんとにこんな暗くてつまらない話題、聞きたいの?私の場合、どうしてもこういうお話が多くなっちゃうんだけど・・・」

僕はすこしかんがえてから、言った。

「ねえ、愛内さんって、予備校に行ったことはある?」

「ん?―ううん、ちいさい塾やなんかはあるけど」

「このあいだ親に春期講習に行かされてさ、大手予備校の授業をはじめて受けたんだ。おどろいたよ。やっぱり高校の先生より、ずっとうまいんだね。エンジンの馬力そのものがちがうというか・・・失礼ながら、ポルシェとスクーターくらいちがうんだ」

「ふうん・・・。高梨君、成績もいいものね」

「それでさ、きびしい競争を勝ちぬいたその予備校の人気講師たちが、どんな授業をするかっていったらさ。もちろん笑わせるのが得意な先生も、いることはいるんだ。でも、けっしてそういう先生ばかりじゃないんだよ。冗談なんてひとつもいわない先生もいっぱいいるし、眠くなるような話し方の先生もいる。ただね、とにかくものすごくわかりやすいんだ」

「へえ、そうなんだ。そういえば、このあいだ授業で先生が、『先生の授業は面白くないと娘がいっているから、吉本にお笑いの勉強に行ってきてください』ってPTAで言われた、なんて苦笑してたね。モンスターペアレント、ってやつかなあ」

「そうそう。そういうイメージでいる人が多いよね。おもしろいイコール笑い、みたいなさ。そうじゃないんだよ。おもしろさにもいろいろな種類があるんだ。逆に、明るければおもしろい、みたいに単純に決めつけないひとが人気講師になるんじゃないかな?僕は、そうおもったよ」

愛内さんは、わらった。

「ありがとう。高梨君って、ほんとうにやさしいのね。ところで・・・べつに慰めてもらったからほめるわけじゃないけど、私服のセンスもいいのね」

「ん?」

その日の僕は、白いラインのはいった紺色のチルデンニットに、下はサックスブルーのスリムジーンズという服装だった。

「んー・・・ただ、僕のセンスと言えるのかなあ?たいてい服は、怜奈に買い物につきあわされた時に、あいつに押しつけられたものを買ってるから・・・。唯が怜奈と買い物に行った時に、かってに買って帰ってくることもあるよ。『お兄ちゃん、これ怜奈姉ちゃんが、ぜったいジュンに似合うから、って。あした姉ちゃんに七千円わたしてね』とかさ。ひどいのはさ、それがほんとは五千円だったりすることもあるんだよ」

「―いいなあ・・・」

「えっ?」

よく意味がわからずに僕が聞きかえすと、愛内さんはあわてたように手をふりながら、赤くなって言った。

「あ、いや、私、兄妹っていないから、うらやましいなあって・・・。そうなんだ。―私も、もっとおしゃれとかに気をつかわなきゃだめだよね」

その日の愛内さんは、髪をうしろでしばって、ピンクのパーカーに色落ちしすぎたジーンズというスタイルで、たしかに子どもっぽいといえば子どもっぽかった。でも。

「わかってないなあ、愛内さんは」

と僕はいった。

「何を?」

「それはそれで似合ってるよ。それにね、男はバカだから、化粧っ気のない美少女とか、メガネをとったら実は美少女とか、そういうのが大好きなんだよ」

「高梨君・・・それはまさか、私のことを美少女だって言いたいの?」

正面切ってそう聞かれると、さすがに僕も恥ずかしくなった。でも、ここまできたら、もう言いきるしかない。

「も、もちろんさ。きれいだよ、愛内さんは」

「嘘よ。高梨君、やさしすぎるよ」

「ほんとだって。愛内さんは、やさしくて、きれいで、すごく魅力的な女の子だよ。君に、自覚がなさすぎるんだ」

あるいは、君のやさしさを喰い物にするやつが多すぎたんだ。そんなやつらより、君のほうが何千倍も素敵なのに・・・。

「―証明して」

「えっ?」

おどろいて見返すと、愛内さんのきれいな瞳が、すがるように僕の目をのぞきこんでいた。

「私は、どうして高梨君がそんなにやさしくしてくれるのか、わからない。でも、高梨君が本気で言ってくれてるということを、どうしても信じたい。だから・・・証明して。いまのことばが、上っ面だけのお世辞じゃないってことを」

ここだ、と僕は直感した。ここで、僕が本心からそう思っていることを、どうしても愛内さんに信じてもらわなければならない。そうすれば彼女も、きっと自分自身の魅力に気づくはずだ。それには、ただ僕の本心を直接見てもらうだけでいいのに・・・でも、どうやって?

(―そうだ)

僕はふいに思いついて、愛内さんの手をとった。

「た、高梨君、何を?」

あわてる彼女の手を、僕はじぶんの手首にみちびいた。

「握ってみて」

不審そうに僕の手首に指をまきつけて、

「あっ・・・ドキドキしてる。脈拍が・・・」

と愛内さんはおどろいた。

「ね。どうでもいいと思っている女の子に嘘をつくなら、こんなにドキドキしたりしないよ」

僕が微笑むと、

「―うん・・・」

と彼女も頬を染めて笑顔になった。それから、さすがにすこし恥ずかしくなってきた僕は、

「でもさ、僕だけなら悔しいな」

とわざとふざけて彼女の手首をにぎってみせて、おどろいた。彼女の脈拍は、ドキドキドキドキドキドキと、もうまったく途切れないほどの速さで打っていた・・・。

「いや、いやだァ、高梨君!」

気づかれたことを知った愛内さんはあわてて僕の手をふりほどいて、それから真っ赤になってうつむいた。

「ご、ごめん・・・」

あやまって、僕もひどく顔が火照ってくるのを意識して、うつむくしかなかった。僕らの脈拍の音が聞こえてきそうな沈黙がおりた。―

「はい、そこまで」

そのとき突然声がして、僕らはびくっと肩をふるわせて、同時に顔をあげた。いつのまにか僕らのテーブルの横に、ヤンキースのキャップをかぶり、サングラスをかけた女の子が立っていた。

「タイムアップよ・・・」

彼女は、まずキャップをとるとさっと頭をふって長い髪をととのえ、それからサングラスをはずして、僕のほうを向いた。

「おままごとは、もう終わり。帰りましょう、ジュンちゃん」

弥生ちゃんだった。

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