第17話 僕が君を傷つけない最初の人間になってやる
次の日の昼やすみ、僕は図書室へとむかった。昨日と行動パターンがおなじなら、愛内さんはそこにいるはずだった。もっとも、実際問題何をしたらいいのかはさっぱり分からないままだった。弥生ちゃんの、
「ただ、仲よくなるだけでいいのよ。怜奈ちゃんの無邪気な明るさが才能であるように・・・ジュンちゃんのやさしさも才能なんだから」
ということばだけが頼りだった。
(とはいってもな・・・)
まったくもって自信のないまま、僕は図書室の扉をあけた。
本棚のずらずら並んでいるなかを通りぬけていくと、ふいに誰かがいちばん上の棚に手を伸ばしているのが目に入った。なんとなく代わりにその本を取ってわたしてみると、それは愛内さんなのだった。ビンゴ、とおもうより先に、
(ああ、この人やっぱりキレイだな・・・)
とはじめて至近距離でみる彼女の顔に、僕はどきりとした。メガネや、あか抜けない髪型や、ときおり怯えたように鋭くなる目つきやなんかにじゃまされて見えにくいけれど、彼女はまちがいなく美形だった。自分でいうのも何だけれど、つねに美少女にかこまれている僕の目はそうとうに確かだ。
「あ、高梨君・・・。ありがとう」
僕は、愛内さんの手元をのぞきこんで、あらためてその本のタイトルを確認した。
「芥川龍之介全集の・・・『歯車』かあ。僕も、これ好きなんだ」
そういうと、愛内さんはぱあっと笑顔になった。雲の間から、太陽の光がさしてきたようだった。
「ほんと!?いいよね。私も、もう何回も読んでるんだけど、また読みたくなって・・・。芥川が精神的に追いこまれていくのがよくわかるの。何だか身につまされるっていうか・・・」
本好きらしく、うれしそうにそう話しかけたけれど、愛内さんははっとしたように言った。
「あっ、ごめんね?なにが『身につまされる』よね、芥川と私じゃぜんぜんレベルがちがうよね。悲劇のヒロインぶって、バカみたい。ごめんなさい、暗い話題して」
「だ、大丈夫だよ。本なんてみんな、身につまされるから読むんじゃないか」
僕はあわててそういったけれど、愛内さんはすぐ話題をかえた。
「そ、そうだ、この間はごめんなさい。女の子にまちがえちゃって・・・」
「いや、いいよ。よくあることだし・・・」
「うん・・・。高梨君の顔だちって、ほら・・・」
「ん?」
「んーと・・・んー・・・ちょっと女性的っていうか中性的っていうか・・・うん」
この展開は、僕にとっては日常茶飯だ。そして世慣れたというか、お世辞をいうことに慣れきっている女の子たちは、躊躇なく「美少年だから」と言いきる。恥ずかしがりやの愛内さんは、そういうことがいえない。そして僕は、そんな彼女に好感をもってしまう。僕は、あたらしい話題をふってみた。
「そうだ、学級委員長の仕事は、大変だろうね。ホームルームの時とか、ことあるごとにリーダーとして働かされるものね」
「うーん・・・ちょっとね・・・」
あきらかに同意の苦笑をもらしかけて、でも、今回も愛内さんは、
「―で、でも、それをいうなら高梨君のほうが大変よね?学校全体をまとめていかなくちゃいけないんだから。私も、不満なんていえないわ」
と話題にのってきてはくれなかった。
(―さて、どうしたものかな?)
そうかんがえて、僕はよいアイディアを思いついた。
「ねえ、愛内さん。もしよかったら、ちょっと外にでてみない?見せたいものがあるんだ」
そう誘うと愛内さんは、
「えっ?うん・・・じゃあ、本はまた後で借りにこようかな」
とちょっともじもじしながら応じてくれた。
(よかった)
でも、僕が本をもどして、
「さあ、行こうか」
と誘いなおすと、愛内さんはあいかわらずもじもじしたまま、尻込みするように言った。
「ねえ、でも、いいの?私なんかに、気を遣わなくっていいんだよ。いつも一緒にいる女の子たちと遊んだほうが、楽しいんじゃない?」
(―ああ、そうか。そういうことか・・・)
僕はようやく、シャムが彼女をえらんだ理由に、はっきりと思いあたった。彼女は、傷つけられることに怯えきっていた。たとえば、「ねえ、もっと楽しい話をしようよ」などと言いたがる暴力的な笑顔とか。「みんな大変だよ。あなただけじゃない」とたしなめてくるニセモノ人格者とか。「気遣いが大事だよ」とにらみつけるやさしさのなさとか。彼女は、知っているのだ。そうした「倫理的」な連中と、彼女をいじめた人たちが、まったく同種の人間であることを。僕は、いつのまにか彼女の手首をつかんでいた。
「た・・・高梨君!?」
「行こう。ね?」
僕は、強引に彼女をひっぱって、外に連れだした。いっておくけれど、僕は本来、こういうことができる人間ではない。でも、なんだかたまらなくなってしまったのだ。彼女は、人をまったく信用していなかった。おそらく彼女には、誰もがじぶんを傷つけたがる人間に見えているはずだ。そして―、それはこれまでのところ、まったくもってその通りだったのだ。
(僕が・・・君を傷つけない、最初の人間になってやる)
僕は彼女を中庭につれだすと、ピイッと指笛をふいた。
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