第16話 彼女の気もちを取りもどせ
「お茶でいい?ああ、ホルスタインだけに、ミルクのほうがいいかな?」
「んー・・・でも、正直そうかもしれません。お茶の味のよさは、先生くらいのお歳にならないとわからないかも・・・」
その先生に連れられて国語科職員室にはいると、また意味のないバトルがぶりかえして、おまけに弥生ちゃんの場合、皮肉なのか天然なのかわからないのが怖い。僕はあわてて、場をおさめに入った。
「弥生ちゃん、職員室にミルクはないよ。―先生、もしよろしければ、コーヒーをいただけますか?」
「あら、かわいい顔してずうずうしいのねえ。職員室はスタバじゃないのよ。なにが『弥生ちゃん』よ、腹たつわね。・・・砂場にでも埋めてやりたいわ」
「そうよ、ジュンちゃん。いくらなんでも先生にリクエストするなんて、失礼よ」
「な・・・何なの、さっきからこれ?なんか、いつのまにか僕ひとり落とし穴にはまってるんだけどなっ」
「うるさいわね。ほら、二人とも。キャラメルフラペチーノよ」
「・・・スタバじゃないですか」
先生は机にキャラメルフラペチーノの入ったマグカップを三人分置くと、椅子に腰かけた。
「弥生ちゃんねえ。するとアンタ、三月生まれね?」
「いえ、五月です」
僕はおもわず口にふくんだキャラメルフラペチーノを噴きだした。
「そ・・・そうなの?まぎらわしいなあ・・・。それなら、『さつきちゃん』でいいじゃないか」
「ママが、どうしても弥生にしたかったらしくて・・・。旧暦の弥生は新暦の5月にさしかかることもあるんだし、いいかって。・・・ジュンちゃん、私の誕生日、おぼえてないの?」
なじるような寂しげな瞳に、僕はたじろいだ。
「あーあ。じぶんの恋人の誕生日もおぼえてないなんて・・・この冷血動物。コモドオオトカゲ」
「小学生のとき、お誕生会やったじゃない。あのときジュンちゃんからもらったブローチ、まだ大事にもってるのに・・・」
「乙女の想いを踏みにじって。悪魔よ悪魔。タスマニアデビルよ」
「私にとって大事な想い出も、ジュンちゃんにはそうとはかぎらないのね」
「残念、しばらくHはお預けね。その巨乳も揉めないわよ。自業自得ね、この野獣。エゾヒグマ」
「―あの、動物がお好きなんですか?というか・・・どうも先生から、先生らしい匂いがまったくしないのですが・・・」
「あら、失敬な。愛内由里の担任は、私でまちがいないわ。ただ・・・」
そこでその元気な先生の顔にさっと影がさしたようで、僕ははっとした。
「ただ・・・何かあったんですか?」
「うん・・・。愛内由里にとって、私はたしかにいい先生ではなかったかもしれないわ。何もしてやれなかったから」
はじめて憂鬱そうな表情をみせながら彼女はいって、僕らはようやく愛内さんの話題にもどってきた。
「あの年頃は、どうしてもいじめが流行るからねえ・・・。まあ、ウチは成績のいい私立の学校だから、暴力的なのはないけど。目にみえない力関係みたいなのは、やっぱりあるわけ。本人にも原因があるならまだしもだけど、愛内の場合はそうじゃないから。たまたま流行り風邪に巻きこまれちゃったのね」
「やっぱりいじめですか・・・。たとえば、どんな?」
「彼女の場合、いじめというか・・・気づいたら、彼女をバカにするような雰囲気がクラス中に広まってたのよ。彼女にクラス委員長を押しつけておきながら、彼女が前に立って話しだすとみんなでニヤニヤするとか。指名されても聞こえないふりをするとか。その類ね」
「いやらしいなあ・・・」
僕はおもわず顔をしかめた。おまけに彼女は高校でも、クラス委員長を押しつけられているのだ。
「まずいことにこういうのは、手のうちようがないのよ。たとえば私がニヤニヤするなって言っても、またべつの形になるだけだから。―私がこうして口でしゃべっても、殴られたとかそういうのと違ってインパクトがないかもしれないけど・・・これが毎日続くと、本人にはかなりつらいはずよ。しかも学級委員長で人前に立つことが多いから、みんなの前でみんなから大恥かかされるようなものよ」
「わかります。―彼女自身には、友達はいなかったんですか?」
眉根をよせながら、弥生ちゃんがたずねた。
「そこよね。まあアンタらにもわかるとおもうけど・・・友達が友達らしくしっかりしていれば、いじめって起きないのよね。ケンカになるわけ。ケンカならさほど問題はないんだけど・・・。彼女のまわりからは、どんどん人がいなくなっていったわ」
「それが、卒業まで?」
僕が確認すると、先生は首をふった。
「そこは、愛内をほめてあげたいわ。彼女は彼女なりに、対応策を考えだしたわけ。おたおたするからみんな面白がっていじめる・・・そう気づいたのね。いつしか彼女は、鉄仮面をまとうようになった。どんな反応があっても無視して、淡々とクラス委員長の仕事をつとめるようになったの。効果は、てきめんだったわ。誰も彼女をいじめなくなった。でもその代わりに・・・彼女は完全に一人ぽっちになった」
うーんと、僕らは思わずうなった。
「無理もないことだけど、彼女は転校したいと言ってきて、卒業前に何度か彼女と話しあったわ。もともと内気な子ではあったけど、入学してきた時と確実に変わっていたわね。スピーカーとしゃべっているみたいというか・・・ガラス板で隔てられている感じ。でも、何もいえなかったわ。だってそうでしょう?彼女にはもう、心をひらいて、つけこまれた経験があるんだから」
「そうですよね・・・」
しんみりする僕らに、先生はいった。
「ねえ、あなたたち、彼女の友達っていったわね?私にこんなこという資格はないけど、どうか、ほんとうの意味での友達になってあげてね。やさしい子なのよ。できれば・・・彼女の気もちをとりもどしてあげて」
帰りの電車はちょうど混みあう時間帯で、弥生ちゃんの体がぎゅうぎゅうおしつけられてくるものだから、僕はなんとも困った。弥生ちゃんはそれを意識しているのかいないのか、ともかく至近距離で僕に微笑みかけて、いった。
「ねえ、私たちもよくいじめられたよね。胸デカ女と男オンナ」
「う・・・うん」
そのデカ胸をまさに体で感じているこの状況では、うまい返事もできかねた。
「懐かしいな。私にとってそれはもう、いい想い出。とてもとても、大事な想い出。―まあ、誕生日もおぼえてくれていない誰かさんにとっては、どうだか知りませんけど」
すねたように弥生ちゃんがつんと横を向いてみせると長い黒髪がゆれて、シャンプーの香りが僕の鼻を刺激した。
「も、もちろん僕にとってもそうだよ。今まで、よく想いだしていたんだ。それに、二人でやったお誕生会のことだって、ちゃんと覚えているよ。時期をわすれただけさ」
「どうだか」
弥生ちゃんは笑って、それから真顔になった。
「―でも、愛内さんにとってそのいじめは、一生いい想い出にはならないでしょうね。私にとっての、ジュンちゃんがいないから」
そうだ、と僕もおもう。僕にとっての、弥生ちゃんがいないから。
「ジュンちゃん、出番よ。生徒会長さんの目はただしいわ。ここはもう、ジュンちゃんしかいないわ」
弥生ちゃんの大きな瞳が、僕をのぞきこんだ。
「愛内さんを助けてあげて。昔私を助けてくれたように。愛内さんには、ジュンちゃんのやさしさが必要よ」
具体的にどうしたらいいのか分からないまま、僕は弥生ちゃんの真剣なまなざしに押されるように、うん、とうなずいた。
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