第9話 あなたは何をおびえているの?まるで迷子のキツネリスのように

 「―なによ。何なのよ、あの女はっ」

梓お姉ちゃんが帰ってしまうと、怜奈はいかにも悔しげに、わめくように言った。それから、

「ジュンっ」

と僕をにらんだ。僕はおもわず、びくっとした。そんな僕をみて、怜奈はフンと唇をゆがめて嗤った。

「あなたは何をおびえているの?まるで迷子のキツネリスのように」

「―ああ、そういえば昨日『風の谷のナウシカ』やってたね。まあ、ちょっと言ってみたくなるのはわかるけど」

「どうせ私が、『私とあの女と、どっちの味方なの?』とか聞くと思ったんでしょう」

僕は、ほっとして言った。

「ああ、そうだよね。怜奈はそんな、露骨に人を困らせるような質問するほどバカじゃないよね」

「それで、私とあの女と、どっちの味方なの?」

「―するのかよ」

「私とあの女が海でおぼれていたら、どっちを助けるの?」

「ん・・・」

「私と仕事、どっちが大事なの?」

「質問の趣旨が変わってるじゃないか」

「バナナはおやつに入るのかしら?」

「知らないよ。―ほら、このチキンカツサンドあげるから」

そうでもしないとおさまりそうにないので、泣く泣く僕はのこしておいたチキンカツサンドを怜奈にゆずった。すると怜奈はサンドウイッチを頬張りながら、かってに僕の水筒を奪いとって、コーヒーを最後の一滴まで飲みほしてしまった。

「ああっ。ぜんぶ飲まなくたって・・・」

「だって今日は『柿の葉寿司』にあわせてお茶しか持ってきていないもの。まさかチキンカツサンドをお茶で飲むわけにもいかないでしょう」

「うう・・・」

「さて・・・こんな食べ物くらいで、私を懐柔できたとおもわないことね?」

「―スライムか、君は。もう復活しないでいいかげんあきらめてくれ」

「ふん。―それにしても、このサンドウィッチ、おいしいわねえ。さすが唯ちゃんだわ」

それから感心したように怜奈がいって、弥生ちゃんが同調した。

「昔から、唯ちゃんは家事全般こなしてたものね。なつかしいなあ、よくいっしょに本読んだりしたなあ・・・。今、おなじ高校なんだものね。今度、会いにいかなきゃ」

「あら。いっしょに本なんか読んで、たのしいの?」

ふしぎそうに聞く怜奈に、弥生ちゃんはわらった。

「たのしいわよ。飽きたら、おしゃべりもできるし・・・」

「ふうん。私なら、強引に唯ちゃんを外にひっぱりだしちゃうけどなあ・・・」

たしかに、強引に外につれだされるのは僕ばかりでなく、時には唯もなのだ。唯が服を買ったり髪を切ってきたとしたら、たいていは怜奈といっしょだ。そして僕は、まずは家で唯にほめ言葉をもとめられ、次の日学校で怜奈にそれを強要される。めんどくさがって、おなじほめ言葉を使ったりしたら、たいへんだ。ふたりはきっちりと連絡をとりあっていて、

「―それ、きのう唯ちゃんに言ったのとおんなじじゃない」

と、たちまち怜奈が不機嫌になる。おまけに家に帰ると、

「きのうのお兄ちゃんのほめ言葉は、本気じゃなかったのね」

と唯が不機嫌になっている。なかなかにやっかいなのだ。それから、興味深げに聞いていた池内君が、割って入ってきた。

「淳之介君、それなら、その妹さんでいいじゃないか。あとひとりの生徒会役員は」

まさか、とかるく笑って打ち消そうとした声は、

「あら、いいじゃない」

「唯ちゃんなら賢いしやさしいし、ちょうどいいわ」

という女性陣の声にかきけされた。僕はあわてた。

「いや、さすがにそれはまずいでしょう。公私混合、っていうかさ・・・」

そんな僕に池内君はわらって、西洋人風に肩をすくめてみせた。彫りのふかいイケメン顔に、そのしぐさはよく似合った。

「それをいうなら、もう遅いんじゃないのかい?ここにいるメンバー、というか生徒会長もふくめて、いってみれば淳之介君グループなわけだから・・・」

「そうよ。他の人も文句があるなら、選挙に出ればいいのよ」

「そうね。ここまできて、ひとりだけ肌合いのちがう人がはいってきたら・・・逆にやりにくいかも」

僕はそれでも反対しようとしたけれど、ふと、

「お兄ちゃんは、お友達できた?」

と聞いてきたときの、唯の表情がおもいうかんだ。もし、唯に友達ができなくても、こうして仲よしのお姉ちゃんだらけの生徒会に入れば、とりあえず居場所はできることになる。弥生お姉ちゃん、怜奈姉ちゃん、いうまでもなく梓お姉ちゃんは、唯にとっても梓お姉ちゃんなのだ。そして、僕がいる。

(まずは唯に聞いてみても、いいかもしれない)

僕の気もちがぐらりと傾いた。「家庭の幸福、諸悪のもと」なんていう太宰治のことばがふと思いうかんで、脅かされたりもしたけれど。時計をみると、まだ昼やすみは十分にのこっていた。

「とりあえず、唯の気もちをさぐってみるよ。ただ、あいつは僕以上に内気だからね。期待はできないけれど」

僕はそういって、三人の拍手に送りだされるように、教室をでた。

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