第7話 あなたが出るなら
新学期がはじまって何日かたったころに、その事件はおこった。事件といっても、あくまで僕にとってはということだけれど。梓お姉ちゃんが僕らの教室にやってきて、それからちょっとした騒ぎがもちあがったのだ。HR中にやってきて、石川先生にはなす許可をもとめている梓お姉ちゃんを、僕はいつものように懐かしくながめていた。それからお姉ちゃんは、体育館のときにくらべるとボリュームを落とした、でも凛とした強い声で、いった。
「みなさんっ、じつは生徒会役員に立候補する人間がひとりもあらわれないのです。どなたか、立候補してくださる方はいませんか?」
みんなが顔を見合わせるなか、石川先生は嘆くようにいった。
「へえ、水谷さんが生徒会長でもダメか。でも、そうかもねえ。うちのクラスも学級委員長決めるっていうだけでだいぶ手間どったくらいだから・・・あんまり期待できないとおもうな」
「そうですか。―でも、予期しておりました。いま全クラスをまわってきましたが、一人も手をあげてくださる方はいませんでしたから」
「へええ、クラスまわりで、ウチをいちばん最後にしたわけ?」
たしかに二年C組が最後になる理由なんてまったくないわけで、石川先生がけげんに思うのももっともだった。そして、そんな石川先生に、ええ、とうなずいてみせてから梓お姉ちゃんは僕をまっすぐに見て、いったのだ。
「淳之介。あんた、出なさい」
クラス中がざわめく中、僕はおどろいて梓お姉ちゃんの目を見返した。
(ああ、この眼だ・・・)
何年ぶりだろう。このつよい、でも優しい目に射すくめられるのは。しかし、とりあえず僕はなにか言わなければならなかった。生徒会役員なんて、いちばん僕に向いていないものなのだ。
「せ、生徒会長。どうして僕が・・・」
言いかけると、梓お姉ちゃんは、そのうつくしい眉根をよせた。
「あら。まだその人の目ばっかり気にする癖がなおらないのね。あなたに生徒会長なんてよばれると気持ちわるいわ。梓お姉ちゃんと呼びなさい」
教室中がますますざわめいて、僕は頬が赤らむのを意識した。そんなの、みんなの前で恥ずかしくて呼べるわけないじゃないか・・・。そこに、がたっと椅子から立ちあがる音がひびいて、おどろいてそちらを見ると、怜奈なのだった。
「なぜ、ジュンが出なくてはならないのですか?いくら生徒会長だからって、そんな命令をする資格はないはずです」
梓お姉ちゃんは、まったく動ぜずに腕組みしてそれに応じた。
「だれも出ないんだから、しかたがないでしょう」
「だからって、どうしてジュンが・・・」
「私は、生徒会長として命令しているわけではないわ。淳之介のお姉ちゃんがわりの人間として、個人的に命令しているの。あなたこそ、関係ないんだから引っ込んでいなさい」
ふたりの強い視線がバチイッと火花をたてる音が聞こえてくるようで、僕はおもわず目を伏せた。こんなの、どうしろっていうんだ・・・。そこに梓お姉ちゃんの、
「淳之介」
というつよい声がとんできて、僕は鞭打たれるように顔をあげた。すると梓お姉ちゃんの、凛とした、でも奥底にやさしさを湛えたあのなつかしい目が、僕をとらえた。
「生徒会は、きっとあなたにとっていい経験になるわ。保証する。私がサポートしてあげるから、大丈夫。やるわね?」
子どものころ、泣き虫だった僕によく手をさしのべてくれた、あの優しい目。いつのまにか口から、
「うん・・・」
という返事がつりだされていて、僕はじぶんでもおどろいた。それから、怜奈の肩がびくっと動くのが目に入って、
(しまった、これは怜奈を裏切ったことになるのだろうか?)
と気づいて僕ははっとしたけれど、ことは意外な方向にすすんでいった。怜奈はゆっくりと僕をふりむいて、いった。
「ふうん。ジュンがそんなこと言うなんて、驚きだわ。たしか、副会長が二人、書記が三人必要なんだったわね?いいわ、ジュンがやるなら、私もやる。なにを根拠にそんなに自惚れていらっしゃるのか知らないけれど、どこの馬の骨かもわからない人間に、ジュンのサポートなんてできるはずがないからね」
後半は梓お姉ちゃんのほうに向きなおって、怜奈はいった。
「ご自由に」
といつもながらクールに、梓お姉ちゃんはいった。それから、前にすわっていた弥生ちゃんが、僕のほうをふりむいた。
「あら、ジュンちゃん、出るの?いいわ、それなら私も出る」
そこで終わっていたら、僕はクラス中の冷やかし、好奇の眼、揶揄、嫉視なんかにさらされて、たいへんなことになっていただろう。しかし、
「へえ、淳之介君、出るのかい?よし、それなら俺も出よう」
という池内君の一声に、その場はぴたりと収まった。そして梓お姉ちゃんは満足気に、
「あとひとりね」
と腕組みしたまま言った。
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