第6話 知ってるかい?君の家の猫だって、ほんとうはしゃべるんだぜ

 食事がおわって部屋にひきあげると、シャムがついてきた。そして、かまって、というように机の上にとてっと上がると、体をよこたえた。僕は、机に頬づえをついて、シャムのきれいなグレーの体をなでてやりながら、なんとなくはなしかけた。

「唯も、こまったなあ。兄の贔屓目ぬきで見てもかわいいんだし、あいつと仲よくなりたい男なんて、いっぱいいるんだろうけど。たしかにあいつの言うとおり、男は臆病だから、話しかけられないんだろうね。まあ兄としてはやっぱり同性の友達をつくってほしいから、それはほっとするところでもあるんだけどさ」

シャムは、気もちよさそうになでられながら、言った。

「ねえ。お嬢みたいな性格・・・何ていいましたっけ?癒し系アフリカ象?」

僕はわらった。

「内弁慶外地蔵のこと?ぜんぜんちがうじゃないか」

「そうそう、内弁慶外地蔵。ジュン様とならいくらでもしゃべりますのにね。でもそこがお可愛いらしいじゃありませんか。―ねえジュン様、いいこと教えてさしあげましょうか」

「ん?」

「あの、お嬢が大事にしているロケットペンダント・・・バッグのなかにいつも入れているやつ、お守りがわりにって」

「うん、うん。ぜったいに僕にはさわらせてくれないんだ」

「あのペンダントの中にはね、ジュン様の写真が入っているんでございますよ」

そういって、シャムは僕の顔をじっとみた。僕は顔がすこし熱くなるのを意識したけれど、平気をよそおっていった。

「―ふうん。そうなんだ」

「あら、あら。ほんとは内心、かわいいやつだって、愛しさでたまらなくなっているんじゃないですこと?いいんですわよ、お隣のお部屋にいって、抱きしめてきてさしあげても」

「バ・・・バカなこといわないでもらいたいな。妹だよ」

「でも、お血はつながっていらっしゃらないんでしょう?そもそも、ほんとうのお兄様なら、妹さんがこっそりお写真を持ちあるいたりなさいますかねえ」

「ゆ、唯にはもうまわりに血のつながった人間がいないんだ。だからこそ、身内がすごく大事におもえるんじゃないかな?それに、外ではそれこそ借りてきた猫みたいになっちゃうわけだし・・・写真でも僕みたいな知りあいがそばにいれば、すこしは落ちつくってことだとおもうよ」

「あら、『借りてきた猫』だなんて・・・猫族だって、お嬢ほどに内向的じゃございませんことよ」

シャムはつんとそっぽを向いて、それでも僕はどうにか話をそらせたので、ははっと笑いながらそっと額の汗をぬぐった。一呼吸おいて、僕がはっと息をのんだのと、シャムの全身の毛がびくっと逆立ったのと、同時だった。

 僕は、そっぽを向いたまま固まっているシャムをゆさぶった。

「シャムっ。こっち向けよっ。おまえ・・・さてはしゃべれたんだなっ」

シャムはどうやら知らんぷりで逃げきろうという作戦らしく、全身に力をこめて必死に向こうをむいたままだった。

「もう、ごまかしたってむだだよっ。あれだけ長いことしゃべっておいて・・・今だって、全身に冷や汗かいてるじゃないか」

シャムは不承不承にこちらをみたけれど、まだあきらめきれないらしく、小首をかしげて、

「ニャー」

と鳴いてみせた。そのかわいらしさが逆に小憎らしくて、僕はシャムの頬を両手でつまんで、横におもいきりひっぱった。

「いたたたたた・・・痛い痛い・・・・ニャー」

「ほら、今『いたたたたた』って言ったじゃないかっ」

「ジュ・・・ジュン様、あんまりですわ」

「だまそうなんてするからだよっ」

「あんまりですニャー」

「・・・言いなおさなくてもいいよ。さっき語尾に『ニャー』なんてついてなかったじゃないか」

「―でも、やっぱり猫っぽいほうがいいんじゃニャくて?」

「変な気をつかわなくていいよ。逆に腹がたつから、やめてほしいな」

「・・・そうですかしらねえ」

ようやく観念したらしいシャムに、僕は問いただした。

「もしかして、君は猫じゃないんじゃないのかい?本当のことをいいなよ。しゃべれるなんて、おかしいじゃないか」

シャムは力なく首をふった。

「あらあら・・・いつも思うんですけれど、人間は猫族を見くびりすぎですわ。猫族というか、動物全般をですけれど」

「―どういうことだい?」

「人間に飼われている動物なんて・・・たいていはしゃべれますのよ。いわないだけですわ。人間だって、アメリカに十年住んだら、個人差はあるにしても、英語がしゃべれるようになりますでしょう?最近猫族のあいだでは、人間のペットになることを『留学』と呼んでおりますわ」

「んーと、それなら、どうして人間は動物のことばがわからないんだろう?」

「それは、お風呂場のぞきの原理とおなじですわ。暗いところから明るい浴室のハダカはのぞけても、浴室から覗き魔さんは見えにくいでしょう?人間の言語体系のほうがはるかに進んでいるために、おくれている動物のことばシステムが理解しにくいんですわ。逆はわかるのですけれど」

「いやらしい比喩だなあ。なんでそんなこと知ってるの?」

「ニャー」

「都合のいいところだけ鳴いてごまかさないでほしいな。それから、いちばんふしぎなのは・・・どうして動物は、しゃべれることを隠す必要があるんだろう?」

「それは、もちろん無意識のつよい畏れ、というやつですわ」

「というと?」

「ながく続いてきたいまのバランスを崩すことに、なんとなく動物もつよい畏れがあるのですわ。話せるようになっても、人間に悟られてはならないという鉄の掟がありますの。ジュン様、いままで人間は、未来から来た人にあったことがありまして?」

「いや・・・ないね」

「でも、将来タイムマシーンはできるのですわ。では、なぜみんな、タイムトラベラーに出会わないのでしょう?無意識のつよい畏れからくる鉄の掟を、みんなが守っているからですわ。過去に行って、その人に未来のことをおしえたら、歴史を変えてしまうことになると・・・。世界に核爆弾が一万五千発あるのに核戦争がなかなかおこらないのも、おなじ理由ですわ」

「ちょっと待って。どうしてシャムは、将来タイムマシーンができることを知ってるの?」

「中目黒の居酒屋でお会いしましたの、タイムトラベラーの方と」

「どこでどう間違ったら、猫とタイムトラベラーが居酒屋で仲良くなるのさ」

「猫なら大丈夫だろうっていうんで、ずいぶんぺらぺらとしゃべってくださいましたわ。お酒も入っていましたしね」

「―そんな会話、だれかに聞かれたら大変じゃないか」

「大丈夫ですわ。個室居酒屋でしたから」

「ん・・・んー・・・」

「『もろきゅう』っておいしいですわね」

「そんなことは、どうだっていいんだ」

「まあ、そういうことなのですわ。蟻の穴から堤も崩れると申しますけれど、意外とそういう大事なことになると、みんなじぶんが蟻の穴を開けたがらなくて、臆病になるものなのですわ」

そのとき、僕はようやく大事なことに気づいた。

「それで・・・その鉄の掟をやぶったシャムは、どうなるんだろう?」

シャムは寂しげに、でも嫣然と媚びるように僕をみた。

「もちろん、もう猫界には戻れませんわ。でも、いいんですの。ずっと、ジュン様のおそばにおりますわ」

そういうとシャムは、とてっと机から跳び上がって、僕の体にしがみついた。そのとき、唐突に(と僕にはおもえた)唯が部屋にはいってきた。

「お兄ちゃんてばっ」

「うわあっ。・・・ノ、ノックぐらいしろよっ」

こんどは僕のほうが椅子のうえで跳び上がった。

「したよ。お返事もないし、なんだか変な話し声がきこえるから・・・」

そういって唯は、シャムを抱いている僕をみて顔をしかめた。

「―何してるの?」

「な、何って・・・シャムと遊んでるんだよ。なにも不思議がることないじゃないか」

なんだかあわててしまいながら、かろうじて僕はそう返事した。

「そうなんだけど・・・妙に卑猥なかんじがするのはなぜかしら?シャムにメス猫のにおいがするわ」

「じ、実際雌猫じゃないか」

「そうだけど・・・」

不審がる唯をみて、シャムはするりと僕の腕から脱けでると彼女に駆けよって、

「ニャー」

とあまえた。そして、疑り深そうにしながらも抱きあげて、頭をなでてやる唯の腕のなかで「ニャー」と鳴きながら、シャムはこちらをふりむいて片目をつむってみせた。僕の身のまわりにまた女の子がひとり増えたような、ふしぎな気分だった。

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