第5話 妹はある意味で最強の幼なじみ

 放課後、弥生ちゃんがふりむいて、

「ねえジュンちゃん、もしよかったら、いっしょに・・・」

と言いかけるのと、向こうからやってきた怜奈が

「ジュン、帰ろうぜっ」

というのと、ほとんど同時だった。ただ、恥じらいやためらいがない分、怜奈のほうがはやく言い終わって、

「ん?」

と先をうながす僕に弥生ちゃんは、

「ううん、なんでもない。ジュンちゃんバイバイ」

と「いっしょに・・・」のあとをのみ込んだまま、そそくさと帰ってしまった。かと思うと怜奈は怜奈で、その日の帰り道はめずらしく黙りがちで、おまけに急に、

「やっぱり今日は、ジュンの家に行くのやーめた」

などといいだした。そして、

「どうして?」

と聞く僕を、その大きな眼でじっとみつめてから、ぷいと顔をそむけて、そのままバイバイもいわずに歩き去ってしまった。

(なんだよ・・・)

僕は長くなった髪をいじりながらそのうしろ姿を見おくって、

(これでまた髪を切るタイミングを逃したな)

とぼんやりと思った。

 家に帰ると、妹の唯が出迎えてくれた。

「おかえり、お兄ちゃん。いま、お昼ごはん作ってるから、待っててね」

きょうは始業式なので、学校は午前中までだった。

「ああ、ありがとう。何をつくってるの?」

「えーとね、卵黄と白身のソテー」

「―ああ、スクランブルエッグだね。それから?」

「七分焼きのかりかりトーストと・・・」

「ん・・・」

「たっぷり有機野菜のヘルシーサラダよ」

「・・・つまり、パンとサラダだね。あのさ、その居酒屋のメニューみたいな言い方やめてくれるかな。たしかに、ちょっとおいしそうに聞こえるけどさ」

「コーヒーは、食後にお出ししますね」

「食中に出してもらいたいね。トーストに飲み物がなかったら、もさもさして食べにくくってしょうがないじゃないか」

そのとき焦げたにおいがただよってきて、唯はくんくんと鼻をうごめかせた。

「たいへん!」

キッチンに走ってもどって、唯はこちらにむかって叫んだ。

「お兄ちゃん、メニュー変更よ。『卵黄と白身のソテー』はやめて、『ウェルダンに焼き上げたミラノ風スクランブルエッグ』にするわっ」

「いいように言うなよ。―ところでさ、高校生活一日目はどうだった?友達は、できたかい?」

キッチンに行って、きょうずっと何となく気にかけていたことを聞くと、

「うん・・・」

とエプロンのうしろ姿から生返事が返ってきて、僕は僕の心配があたっていたことを覚った。僕とならこうしてぺらぺらしゃべるのだけれど、一歩外にでようものなら、彼女は極度の人見知りちゃんに変貌してしまう。話しあいか何かでクラスメートたちとファミレスに行ったときも、

「ねえ、そこのお塩取ってくれる?」

の一言がいえなかったというツワモノだ。唯はフライパンの火をとめて、うかがうように僕をみながら聞いてきた。

「お兄ちゃんは、お友達できた?」

「うん、まあね。何人かは」

僕は池内君や弥生ちゃん、そして怜奈の顔をおもいうかべた。唯は、すねたように言った。

「いいよね、お兄ちゃんは」

「何が?」

「お兄ちゃんだって内気だけどさ。お兄ちゃんほど綺麗でかわいい顔してたらさ、むこうから話しかけてくれるじゃない。どうせ、お友達って女の子ばっかりでしょう」

痛いところをつかれてどきりとしたけれど、今回は池内君がいた。

「―そんなことないよ。男だっているさ」

「ふうん、変な目的がなければいいけどね」

チンとトースターが音をたてて、お皿に盛りつけをはじめた唯に、僕はいった。

「でもさ、そんなこと言うけど、条件はおなじじゃないか。唯だって、かわいい顔してるんだしさ」

「ん?」

「いや、だから、唯だってかわいいんだし、条件はおなじじゃないか」

「え?」

「―あのさ、聞こえないふりをして、何回も言わせるのやめてくれないかな。聞きたいのはわかるけど」

バレたか、と実際愛くるしい顔でわらいながら、唯はいった。

「でもね、やっぱりおなじじゃないのよ。ちょっとずるい言い方になるけどさ。この時期はやっぱり女の子のほうがずっとすすんでるんだから。たとえ私をいいと思ってくれてる男の子がいても、女の子たちがお兄ちゃんをちやほやするようには、接してくれないよ。男の子なんて、ほんとうに臆病なんだから。おまけに私が臆病なんだから、もうどうしようもないわね」

うーんと唸る僕の顔をみながら、唯は続けた。

「それに、私ぜんぜん自分の顔に満足できないの。お兄ちゃんの血をひいた妹として生まれたかったな。そうすれば、もっともっと美少女になれたのに」

さらりといわれた唯のことばは、ほんとうだ。僕らは、血はつながっていない。僕の父親は絵描き志望の美大生だったらしいけれど、もうお腹のなかに僕を宿していた母さんとの結婚式まぎわに、蒸発してしまった。そのまま僕を産んで育てていた母さんのまえに、奥さんに逃げられた唯の父親があらわれ、最初はおなじような境遇だというので親しくなった。でも母さんもその男も、前のパートナーには逃げられていたわけだからわりにさばさばしていたらしく、新しい恋がはじまるまでそんなに時間はかからなかったようだ。お互いに連れ子のいる状態で結婚して、でも、半年後に唯の父親は交通事故で死んだ。というわけで僕は、じぶんのほんとうの父親はもちろん、その義理の父親の顔も、まったくおぼえていない。

「男運がわるい、ってことなのかな?」

と僕は母さんに聞いてみたことがある。でも母さんは、ちがうわ、と首をふって、まず唯の頭をなでながらいった。

「唯のパパはいい男だったわよ。あの人の運はわるかったけれど、私の運はわるくない」

それからこんどは、僕の頭に手をおいた。

「淳之介のパパも、いい男だったわ。あなたにそっくり。うつくしい男だった。でも、まだ子どもだったの。家庭をもつっていう重圧に押しつぶされそうになって、でも優しいものだから言いだせなくて、結局逃げちゃった。かわいそうにね」

そして母さんは、「いまは仕事が恋人よ」なんていいながら、会社でばりばり働いて、僕らを養ってくれている。だから僕は昔から、唯とふたりっきりで家のなかにいることになれている。

「いいなあ、お兄ちゃんは。―ねえ、シャム」

そのとき、いい匂いをかぎつけてやってきた、僕らのもう一人の家族に唯が呼びかけると、

「ニャー」

と彼女は鳴いた。名前をつけるとき、シャム猫にシャムというのは安易すぎるんじゃなかろうかと、僕は反対したのだけれど。

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