第2話 幼なじみがひとりとはかぎらない

 担任は石川先生という、30歳くらいの優しげな女性の先生だったけれど、彼女が前のドアから入ってくると同時に、さざ波のような動揺が教室中に広がった。何ごとかと僕が顔をあげると、それは先生の後からついてきた、見慣れない女子学生のためのようだった。男子学生は色めきだって、女の子たちはそれに眉根をよせた。ようするに、彼女はとびっきりの美少女だったのだ。先生にうながされて、彼女は黒板にじぶんの名前を書いてから、あいさつをした。

「おはようございます。高樹弥生です。北海道の高校から、転入してまいりました。これからどうぞ、よろしくおねがいします」

おっとりとした雰囲気でそういって、お辞儀でみだれた黒く長い髪をととのえなおすその指は、まさに白魚のようなというありきたりの比喩がぴったりだった。美人には、古い比喩がよく似合う。

(怜奈がフランス人形なら、こちらは和風人形といったところかな。この様子じゃ、ちょっとした騒ぎになるかもな)

ただ、クラスの男子連中の浮かれ方になんとなくいやらしいにおいがあったのは(反比例するように女性陣は露骨にひいていたけれど)、細身なのにもかかわらず、彼女のブレザーの胸元がぐっと高く盛り上がっていたのも大きかっただろう。そして僕はようやく、僕のまえの席だけがぽっかり空いていたことの意味に気がついた。あいさつを終えた高樹弥生は、僕、高梨淳之介の前にすわったわけで、いうまでもなく僕の気分が悪かろうはずもなかった。

「都立高校に転入生なんてめずらしいでしょうけれどね、彼女はむずかしい編入試験をみごとパスして・・・」

と石川先生がはなすのを聞きながら、

(そういえば、たしかにめずらしいな。どんな理由があったんだろう・・・)

と僕はこのまえに座っている謎の美少女の素性に想いをめぐらしていた。しかし、その素性の一端は、意外なことに、むこうから明かされることになった。

 先生の話がおわって、教室中が思い思いに雑談をはじめると、ぷんとシャンプーかなにかのよい香りが鼻をついて、気がつくと、高樹弥生の小顔が目のまえにあった。

(えっ・・・)

と僕がおどろいていると、

「ひさしぶりだね、ジュンちゃん・・・」

とその白い顔を、恥じらいでほんのすこし赤く染めながら、彼女はいった。

「えっと・・・」

そうして僕が戸惑っていると、

「覚えてないか。・・・そうだよね」

と今度はすこし淋しげにいって、当然のことながら僕はものすごくあわてた。覚えていないなんてことがまず考えられないくらい目立つ美少女だったのだから、なおさらだ。しかし、―ほんとうに自己嫌悪におちいるくらい下品な話なのだけれど、あせりまくっている僕の眼に、ふいに椅子の背もたれにのせられた彼女の大きなムネが飛びこんできて、それが僕の記憶中枢を刺激したのだ。

「弥生ちゃん!?」

小一からムネがふくらみはじめてしまった高樹弥生ちゃん。男の子なのに女顔に生まれついてしまった僕、高梨淳之介。いじめられっ子同士、僕らは小一の頃も小二の頃も、こうして出席番号順に机を前後させて、いつもいっしょにいたのだ。小二の終りに、彼女は父親の仕事の関係で転校することになって、僕らは泣きながら別れたものだ・・・。

「よかった。思いだしてくれたのね」

長い黒髪をかきあげながらうれしそうに彼女は微笑んで、その瞬間まわりの光景の何もかもが遠くにしりぞいて、僕は小一の頃にもどったような錯覚にとらわれた。

「弥生ちゃん・・・」

信じられない想いでもう一度その名前を口にすると、彼女は懐かしげに僕をながめながら、言った。

「それにしても・・・ますます綺麗になったね、ジュンちゃん」

「―男性としてはカッコよくなったって言ってもらえると、うれしいんだけどな」

そういうと彼女は笑って、僕はようやくすこしは落ちつきを取りもどした。それから、ふと気配のようなものを感じて教室を見わたすと、みんなが僕と目が合いそうになる瞬間に顔をそむけて、あわててまた周りとおしゃべりを始めるのだった。

(やれやれ・・・)

内心ため息をつきかけた瞬間、でも、まったく目をそらそうとしない強い視線とかちあって、それはやはり、怜奈だった。今度は僕のほうがあわてて視線をそらしてしまいながら、

(そうだ、この眼だ・・・)

と僕は思いだしていた。小三になって、弥生ちゃんがいなくなってまた独りぼっちになってしまった僕を、助けてくれた眼。男オンナと僕をからかおうとする連中を毅然と追いはらってくれた、強い眼。

「ねえ、昔のまんまだね。胸デカ女と男オンナがまた話してるって、みんながひそひそこっちをうかがうの。まあ、今日はわたしが転校生だから、それだけのことでしょうけど」

そこに、くすくす笑いながら弥生ちゃんが言って、やはり彼女も、教室中の注意が僕らにあつまっていることに、気づいていたようだった。

「いや、今回もそれだけじゃないと思うな。みんなが騒ぐのは、君が・・・」

美少女だからだよと言おうとして、僕はあいかわらずこちらに注がれたままの怜奈の視線を痛いほどかんじて、口をつぐんだ。勘弁してくれよ、顔に穴があきそうだ・・・。ほんとに、レーザービームみたいなのだ。まったく、極端なものには、古い比喩がよく似合う。

「ん?」

それで、かわいらしく小首をかしげる弥生ちゃんに僕はただ、

「・・・ちょっと目立つからさ」

としか言うことができなかった。弥生ちゃんは、よく意味がわからないような顔をした。

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