番外編

かまいたくて仕方がない


 

 バレンタインデーが過ぎた、三月第三週の月曜日。


 終業時間前にすっくと立ちあがり、「じゃ!」と元気よく手を上げて帰っていく社長を二人で丁寧にお見送りしたあと、事務所で帰り支度をしている角野に


「そのり~ん」


 と、いつものようにちょっかいをかけて遊んでいたら着信音が鳴った。



 机にあったスマホを手に取って名前を確認しつつ通話ボタンをポンっと押し、あの一月以来な相手に明るい声を出す。



「もしもし、坂上、久しぶり」


『あ、小宮? 久しぶりだな。いや、今月か来月の空いてる金曜にでもまた飲みに行こうかと思って掛けたんだが、空いてる日あるか?』


「そうだな。今週は一応、定時に上がれそうな予定だけど」


 スケジュール帳をパラパラめくりながら返事をすると坂上も明るく笑い、速攻で承諾してきた。


『そうか。じゃ今週、いつもの場所で待ち合わせってことで』

「分かった。じゃあな」



 電話を切りスマホから角野へと視線を移すと、そのりんはすでにドアの前に立っていて、もう帰る気満々な様子で俺を見ている。


「あ、ごめん。電話、坂上からだった」

「そうみたいですねー。飲み会のお誘いですか?」

「当たり」


 急いで立ち上がりながらスマホをカバンのポケットに入れ、角野の立っている場所まで大股で歩く。それからドアを開けて「どうぞ」と先に出るように手で促すと、なぜか小さく笑われてしまった。


「なに?」


(そんな笑われるようなこと、してないだろ)


 訝し気に顔をのぞき込むと、ドアの外へと歩きだした角野がまた小さく笑う。


「いえ。なんか自分は女性だった、と改めて思ってただけです」

「ふーん。でもま、そのは女性というより女の子っぽいけどな」


 俺もドアの外へと出て事務所のカギを閉めながら深い意味なく淡々と返事をすると、不穏な気配を背後からひたひたと感じた。



 ……おっと、言い方を間違えたか。


 ていうか、もうな。

 怪しい気配程度でいちいち言い訳するのは面倒だ。


 だがしかし、今から食事に行くし俺はそこの個室で角野とイチャイチャしたい。


 だからそんな気分の時に、こんな些細な言い間違いで、楽しくイチャつくのをそのりんに拒否されたくはないんだ。



 一瞬で結論がでたので勢いよくサッと振り返り、お前が歳の割に子供っぽい…という意味では無いんだと笑顔で言い訳をする。


「いや、ほら。そのりんは童顔だし俺より年下だし、出会ったのが24歳のころだったんで、何年たってもあの時の ”女の子” というイメージが抜けなくて」


 言い訳調ではあるが発言内容自体は本心なのを感じ取ったらしい角野が、機嫌が直った感じに軽い足取りで歩き出しつつ「へー」と笑って頷いた。


「なるほど。だからいつも頭撫でたり、甘い物を私に与えてくるんですね」

「そうかもなー。ちなみに今日も与えようとしてるけどな」

「あ、それ、ホワイトデーのお返しですか?」

「そうともいう。店に着いたら渡すから」



 フワッとした甘めな空気感で仲良く並んで歩きながら、ワザとらしく角野の頭をよしよしと笑顔で撫でていると、また着信音がカバンから聞こえてくる。


 ナデナデしていた頭から手を降ろし「ちょっとごめん」と角野に断ってからスマホを見ると、さっきでもう用事が済んだはずの坂上からだった。


(もしかして、飲み会の日にちが変更にでもなったか?)



「はい、坂上どうした?」

『あーうん。えっとな。上戸うえとって覚えてるか?』

「上戸? 覚えてるけど」


『今週の金曜の飲み会に参加したいーと、いま隣でわめいてるんだが参加させてもいいだろうか』


 上戸なら別に構わない……が、それなら角野も連れていこうかな。


「いいけど、女性が入るんなら角野も連れてっていいかな?」

『全然いいぞ。俺も会いたいし』

「分かった。じゃそういうことで」

『じゃあな』


 通話を終えたあとすぐに角野の方を振り返り、二の腕をつかんで注意をひいてから顔をのぞき込んだ。


「さっき言ってた坂上との飲み会、女性も参加になるから園も一緒に行こう。今週の金曜で、来るのは前の職場の同期の子」


 同期と聞いたとたん、人見知りの角野がちょっと眉をひそめた。


「え。同期の飲み会だときっと話に入りにくいし、相手にも気を遣わせません?」


「んー上戸はそういう仲間意識強いタイプじゃないし、サバサバした子だからそこは大丈夫だと思うぞ。まぁでも、もし話がうまくかみ合わなくても俺が頑張ってフォローするし」


 角野は「うーん」とあごに手を当ててしばらーく悩んでいたが、弱々しいため息をついたあと小さくうなずく。


「そうですね。じゃあ行こうかな」


「よかった。お、そうだ。どうせならそのまま帰りに俺の家に泊まりにきてさ、次の日はまったりゆったりとお家デートするってのはどうだろ?」



 軽いノリで言ってしまったが、かなりの本気な気持ちが入っている。


 ただ、きっと速攻で冷たくあしらわれる……と言ったそばから諦めてしまい、今のは冗談として流してもらおうと隣を振り返って嘘くさくふざけようとした時、あごに手を当てて悩んでいる様子の角野が見えた。


(えっ、まさか。泊りにくるかどうか迷っている──?)



 一気に湧き上がった期待感を隠すように誠実ぶった微笑みをとっさに浮かべながらも、ドキドキした気持ちでジッと見つめていると、答えがでたらしい角野があごからスッと手を離し俺を見上げた。


「えっと、それはまた、今度で」


 妙に真剣な面持ちで真面目に「今度」と返してきた角野の可愛さにちょい笑えてきて、思わずついニンマリと面白がった顔をしてしまうが、すぐに真剣な顔を作りからかうことなく俺も真面目に返す。


「あ、うん。また今度な」


 すると、フンッとおかしそうに息を吐きだした角野が俺の腕をパシパシと叩き楽しそうに喋り出した。


「そういえば、前に言ってた兄の話なんですけど。六月に結婚式することが決定したんです」


「お、ジューンブライド」

「はい。地元の神社での神前式なんで、お嫁さんはドレスじゃなく白無垢らしいですよ」


「へー白無垢。でも和の結婚式って、なんか重厚感があるし渋くて格好いいよな」



 そのまましばらくの間、お兄さんの結婚式の話題でそのりんと盛り上がったが、ふと思った。


(それ、披露宴や二次会に、もれなく祐くんが来るんじゃないのか?)








 **********








 小宮と飲みに行く約束した三月の終わり。


 待ち合わせ場所に座り、会社の後輩が揉めている話を上戸としながら小宮たちが来るのを待っていると、二人が並んでこちらへと歩いてくる姿に気づく。



 俺の「おっ」という目の見開きで小宮が来たと分かった上戸は、嬉しそうに体全体をそちらに向けたあとサッと立ち上がってタタタッと走り寄り、小宮の目の前でピタッと立ち止まるとニッコリ顔を見上げた。


「小宮くん、久しぶり」

「お、久しぶり。仕事辞めたあと、一回飲みに行った以来ぶりだから」

「約六年ぶり?」

「そうだなー」


 懐かしそうに小宮と話している上戸の後ろから俺も顔を出し、二人に手を上げてみせる。


「よっ小宮。角野さんも元気そうで」

「はい。坂上さんも元気そうでよかったです」


 俺が挨拶を交わし終えると、小宮は初対面である女性たちにお互いを紹介し始めた。


「角野。上戸は前の会社の二歳下の同期で、たまに皆で飲みに行ったりとかしてた人。で、この角野は今の会社で一緒に働いてる───」


 紹介された上戸が笑顔で角野さんに会釈をしたそこで、小宮は隣にいる角野さんの肩にポンと手を乗せニッと悪そうな顔で笑い、上戸ではなく俺の顔を見たあと言った。


「俺の彼女」



 へーそうなんですかぁ……………って、いつの間に!?



 驚愕のあまり後ろにのけぞった俺を見てとても満足そうに微笑んだ小宮は、同じくちょっと驚いている上戸と角野さんにも機嫌よく声を掛ける。


「じゃ、紹介もしたし、そろそろ店に行くぞ」




 小宮が角野さんを ”彼女” として俺らに紹介し「行くぞ」と言った数秒後。上戸が小宮の腕を取り、ズルズルと引きずる勢いで先に二人で歩き出す。

 

「彼女連れてくるって聞いてないんですけど! せっかくバツイチの先輩として相談に乗ってもらおうとして今日来たのに話しにくい!」


「───え。こないだ結婚したって坂上に聞いたけど。まさか、もう離婚するのか?」


「しようかどうか、を悩んでるから相談したかったのに」

「面倒くさい。そんなの自分で決断しろよ」

「えー久々に会ったのに、やけに冷たくない?」



 その場にポツンと置き去りにされた俺と角野さんは、先を歩いていく上戸らの姿をしばらくボーッと眺めたあとボソボソっとつぶやき合う。


「そういや。初めて会った時も、こんな感じで俺らは置いていかれた気が……」

「あ、確かにそうでした」


 なんとなく同時に顔を見合わせて吹き出し、それから前の二人を追って並んで歩き出した。


「や、でも。付き合ってると聞いてもの凄くびっくりした」

「ははっ。まぁ付き合ってる本人も、なんでだ? っていまだに戸惑ってますけどね」


 角野さんがクシャクシャっと笑い困ったように首を傾げたんで、俺も同じように困った表情をしてから角野さんに顔を近づけ、コソコソした動きと喋りで心配だ…と語り掛ける。


「もしすでにアレで苦労してるんなら、俺にさっさと乗り換えるって手もあるけど」


「あははっ。アレってアレですか? というか、彼女いませんでしたっけ」

「……実は悲しいお知らせが」

「え。あ、そうなんですか」


 このあとも小宮をネタにふざけながらウハウハ楽しく笑っていた、そのとき。


 目が笑っていないにこやかな笑みを浮かべた小宮が突然目の前に現れ、俺、だけを氷点下の冷たい視線で見据えてきた。


(───怖っ! てか、これはデジャブ!)


 俺が怯えて思わず角野さんから一歩離れると、小宮は角野さんの隣にピッタリくっつき「何を喋ってたのかな?」と疑わし気に目を細めた。



「えっと。角野さん、知ってる?」


 空気を読みまくった上戸が速攻で小宮の恥ずかしい話をしだそうとし、その話に興味を持った角野さんに上戸が色々バラそうとするのを小宮が止め……


 てなことを繰り返して十分程たった頃、予約していた中華料理店へとたどり着く。



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