誠実で一途な彼氏の葛藤 (2)



 角野が彼女になった次の日、火曜16時半ごろ。



「ただいま!」


 ドアを勢いよく開けやたらと張り切って外回りから戻ってきた俺を、社長と角野がパッと振り返りながら、二人そろってにこやかな笑顔でお迎えをしてくれた。


「お帰り、小宮さん」

「お帰りなさい」


 そのあと、さっきまでしていたであろう会話を社長がササッと再開しだす。


「それでね、彼は塩辛いものより甘い物が好きらしくって」

「へー。……あ、そろそろバレンタインデーですしね」

「そうなのよ。で、どこのチョコがいいと思う?」



(一体、誰の話をしてるんだ)


 少しだけ気にはなったが、この乙女な会話にわざわざ参戦してまで誰かを知りたくはない。どうせ広瀬か高田あたりだろうしな……


 よし。話に巻き込まれないよう、素知らぬふりでそっと自分の席に座ろう。



「好みが不明ならベタにゴティバやロイズ、とかでいいんじゃないですか?」

「んーそうねー。でも、もう少し通っぽいブランドがいいかなと思うのよ」


 終わりがなさそうな乙女会話を聞きながら椅子に座ったその時、乙女社長の携帯がピロロと大きく鳴った。


「もう。誰から、かしら。───もしもし」


 社長が画面を確認し愛想よくオホホと電話に出た瞬間、角野が視線をサッと机に落とし、手元にあった書類をもの凄いスピードで黙々と処理し始める。



(お前、急ぎの仕事があったんだな……)



 五分ほどで通話を終えた社長は再び会話の続きをしようと顔を上げたが、忙しいオーラを全身から出しまくって会話を拒否っている角野に気づくと


「あら……」


 残念そうにつぶやき、どうやら再び話し掛けることを諦めたようだ。


 そこからはずっと沈黙状態でひたすら三人個々に仕事をしていたが、ふいにチラッと壁の時計を確認した社長が、あら!時間だわ! てな感じですっくと立ち上がり、カバンを手に取って歩きつつ軽く手を上げた。


「じゃ、お先に。あとはよろしくね、お疲れ様」

「「お疲れ様でした」」


 俺らも立ち上がってカウンター前まで行き、帰っていく社長を並んで見送る。そして閉まったドアの向こうを歩く社長の気配が消えた辺りで


「そのり───」


 名前を呼びながらニッコリ隣を振り返ったが、すでに角野は事務所の片づけをしようと後ろを向いて一歩足を踏み出しているところだった。


「………」



(いやいや。今日お初の二人っきりだし、なんというかもう少し───)


 昨日の今日なのに、態度があっさりしすぎてないか?



 がっかりなため息を大げさにハーッと聞えよがしに吐いたあと、もう一度ゆっくり俺の彼女の名前を寂しげに呼ぶ。


「園子」


 社長の湯呑を片づけようとしていた角野は、珍しく名前を呼び捨てにされたからなのか、戸惑った感じで振り返ってきた。


「え。どうしたんですか?」

「───お前はほんと冷たい」


 拗ねた低音で無駄に格好良く告げると、角野は「はい?」と困惑したように眉をひそめ動きを止める。


 その止まった姿を数秒見てからプイッと顔を背け、無言で事務所の片づけを手伝い始めると、そんな俺の姿を見た角野がフンッ…という鼻から吹き出した小さな笑いをし、おかしそうに背後から謝ってきた。


「すいません」


(お。冷たく呆れもせず、無視もされなかった)


 素直に優しく謝られた事でフフン…と一人心で和み、そのあと数分で事務所の片づけを終え帰り支度をしている角野を横目でほのぼの見ていると、角野が机の上に置いてあったスマホを手に取りカバンにポイッと入れ───



(そういや、昨日もメールが来てたな……)



「あれから元カレからまた連絡あったか?」


 隣に立ち同じように帰り支度をしながら何の前置きもなくボソッと尋ねると、角野は目を大きく開けたあと大きく瞬きをした。


「いえ、ないですよ」

「ふーん」



 正直なとこ、アイツから二度と連絡が来ないようバッサリ着信拒否してほしいぐらいだが、ここは角野を信用してもう少し様子を見た方がいいか?


 ……そうだよな。俺が元カレを気にしてることは昨日伝えてるし、あんまりしつこく言うと嫉妬深い面倒な男だと思われてしまう。



 「ふーん」のあと無言で再び帰り支度をしながら『信用、大事』とブツブツ怪しく考えていると、角野が「あ」と何かを思い出した風にこちらを振り返り首を傾げた。


「小宮さんは、バレンタインにチョコ欲しいですか?」

「ん? ……まぁ別にどっちでもいいぞ」


「そうですよね。毎年あっちこっちからチョコいっぱい貰ってますし、今まで義理でもあげた事無いですしねー」


 ポンポンとした物言いに押されてしまったか、考える前に口が勝手に動き


「あーうん」


 何となくうなずいてしまうと、ちょっとの間ジッと俺の顔を眺めていた角野もうなずく。


「じゃ、このイベントはスルーします」

「………」



 ───こら待て角野。そうじゃない。


 どっちでもいいと言ったのは……言っただけだ。

 確かにチョコなんぞは別に欲しくはないが、そこはほら、あれだ。


 チョコに「小宮さんが好き」てな気持ちを添えることが大事で、付き合い初日にそんな簡単にイベントスルーされると……悲しいだろ。








 角野が彼女になって五日目、金曜日の14時頃。



 週末のせいなのか歳のせいなのかは不明だが、なんだか体の疲れがとれない…と社長がいないのをいいことに机に顔を伏せ、ゴロゴロ上半身を動かしながら、夕方からまた出かけなくてはいけない事をブチブチ角野に愚痴る。


「そのりん、何だかしんどい」

「そのぴょん。また出かけるの、ダルイ」


 終わりなく愚痴を吐いている俺のことを冷たい目でチラ見していた角野だったが、ふいに仕事の手を止めこちらに椅子ごと体を向けた。


「お菓子でも食べます?」


「いらない。───でもダーリン頑張れ、って角野が可愛くハグしてくれたら元気になるかもな。あ、この際、手を握ってくれるだけでもいいぞ」


 うつ伏せのまま顔だけを角野の方へと向け、ほれほれと手を差し出しながら楽しくからかうと、また冷たい目で一瞥されたあと無言で机に向き直られてしまう。


「会社でそういうことはしません」

「……冷たい。どうせ俺ら以外誰もいないのに」

「そうですけど」


 真顔でしつこくからかいながらも、いい加減そろそろ仕事をしようか…と体を起こしてペンを手に取り、書類に数字を書き込んでいく作業を再開する。


 しばらくは数字と真面目に向き合っていたんだが、ふと思いついたことの答えが知りたくなりポツポツとまた隣に話し掛けた。



「そういや角野はデートのとき、手をつなぐ派? 腕を組む派?」

「うーん。基本的には、どっちもしない派かなーと」


 というか、一応「どっち?」とは聞いたが、手をつなぐ方を角野は選ぶだろうと勝手に思い込んでいたので


「そう、なのか?」


 意外だ……と隣を勢いよく振り返ると、角野は何をそんなに驚いているのかと面白がった顔で俺を見てくる。


「はい、そうですよ」

「へー。手をつなぐのは慣れてると思ってた」

「なんでですか?」

「ん? だってさ、このあいだ条件反───」



 いや待て。そうなると、差し出した手にポンしてきたアレは、元カレと付き合ってた時のクセじゃないってことか? 



「………」


(ふーん。じゃあアレは俺に対する反応だった、と)


 言いかけた言葉の続きを濁したまま、アノ時の仕草を思い浮かべる。


(でもまぁきっと、悪い意味での反応ではないよな)


 角野をボンヤリ眺めながら眉を寄せていると、どうしたんだ? と不審そうな表情で見返された。


「……あーいや、ごめん。なんでもない」


 小さくつぶやきながら座っていた椅子を角野の方へと半回転させ、回転している間に思わずちょっと緩んでしまった口元を気合いで引き締めた。


 それから体ごときちんと角野の方を向き、まだ不審げな俺の彼女と視線を合わせ甘く微笑みかける。


「ちなみに俺は腕を組む派だ。だけどな、この手は大きくて素敵だとよく褒められる」


 喋っている途中で右手をヒラヒラさせ自慢げにニコニコすると、角野は「だからなんだ?」てな雰囲気になり戸惑った声を出す。


「……そう、ですか」

「そう。角野はどう思う」



 ノリで冷たく返すか、彼女として普通に返すか……


 そんな感じで、どうしようかと困ったように顔を右に傾けた角野だったが、ここは普通に答えることにしたようだ。



「まぁ手が大きいと、何かと安心感はありますよね」

「なるほど。安心感───」


 また小さくつぶやきながら椅子ごとズリズリと近寄り、目を細めて軽く顔をのぞき込みつつ角野の頭に手を置く。


「こういうのとか」

「まーはい」

「へー。じゃあ───」


 頭にあった手を今度は頬に伸ばし、優しく両手で挟み込んでから笑いかけ、角野がちょっと見上げてきたところでゆっくりまた顔を覗き込む。


 すると覗き込んだ俺と視線が合った瞬間、角野が我に返った感じで目を軽く見開き、椅子ごとズリズリと力強く後ろに下がって俺から距離を取ろうとする。


「そのりん……なぜ、逃げる」


「いえ。小宮さんがそういう色気を出してくると、だいたい社長が現れるので……」


「………」


 思わず二人そろってパッとドアの方を振り返り、勢いよく社長の存在確認をしてしまったそのあと、なんだか微妙な空気が俺らの間に漂う。


「……仕事しましょう」

「……そうだな」


 そのまま何となく自分の席へと無言で椅子をゆっくり戻し、机にあるペンを手に取って仕事を再開し、しばらくしてから真面目に数字を書き込みつつ真面目に告げる。


「角野。明日のデートは腕組んで歩こう」


 ファイルにインデックスを貼ろうとしていた角野は五秒程黙り、正面を向いたまま淡々と答えた。


「考えときます」

「───おい」



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