角野の答え



 俺の顔から何かを読み取ろうとするかのように、あの変なクセでジッと見つめてくる角野に驚いて、とっさに勢いよく怪しい二度見をしてしまったが、


(これはどういう意味で見てきているんだ)


 急にスッと気分が落ち着き、角野を見ながら考えを巡らせ始める。



(―――まさか、恋愛的な興味で見てきているとか?)


 そうなのならば、このタイミングで少しでも好感度を上げておきたい。



 いや待て。もしただの勘違いだった場合、今すぐに何かの行動をすると更にプレッシャーを掛けるだけ、になってしまう。


 どう考えても、ここはもう何日か反応をみてから動く方が得策だ。


 ―――だがしかし。

 いま自分が思いついた事が、本当にそうなのかを確かめてみたい。




 黙々と立ち尽くしたままの小宮の事を首を傾けて不審そうに見ている角野に、何かに気づいた…という笑顔で一歩近寄り、名前をまた呼ぶ。


「角野。―――なんか付いてる」


 全くの嘘だが左頬に手を伸ばして柔らかく手を添え、こちらを見上げてきた角野と目を合わせしばらく見つめ合う。


 それから添えた手を軽く丸め、親指でそっと頬をぬぐい、


「取れた」


 手を離しながら顔をのぞき込んで優しく笑いかけ、スリッと頭をなでた。


 緊張感ある雰囲気の中、目を合わせたまま固まったかのように動かなかった角野は、最後は狼狽した感じで視線をそらし


「あ、はい」


 小さめの声を出したあと、スッと斜め下に視線を向けた。



(お。いつもとは違う反応―――だよな?)



 やっぱり恋愛的な興味だったのかも…と気分がかなり上がり、思わず目の前にいる角野のほっぺたを人差し指で何度かプスプスとつついて、怪しくニンマリしていると


「何なんですか?」


 もの凄くうっとおしそうに避けられたが、「別に」と楽しくもう一回つついてからシラっと話題を変えた。


「角野。このすぐ上の階のカフェにお茶しに行こう」

「はい、いいですけど……」


 ちょっとホッとした様子の角野のそばに行き、「行くぞ」といつも通り腕を持ったんだが、二の腕を持ったまま初めに行った六階へと機嫌よく階段を一緒に上っているその途中、隣にいる角野の気が、ふっと別の所に飛んだことに気が付く。



 それに気が付いた瞬間さっきまでの機嫌の良さが消え、昼に会話した時と同じく謎の不安感が突然に湧き上がってきてしまい、再び隣をチラっと見ると角野はまだ上の空で歩いている。


(いや。やはり、もうすぐ逃げられるのかも……)


 急激に心配になり、スッと角野から目をそらしたあとうつむき加減でポツポツと喋りかけた。


「あのさ。俺は角野のことがずっと好きだから、好きになってくれるのを待つこと自体は全く苦じゃないんだ」


 こちらを見てきているのは分かったが、それは気づかなかったことにし、そのあと階段を上りきるまでは沈黙を続け


 三十秒程で上の階のフロアに着き、一番奥にあるカフェに向かって少し歩いたところで、隣にいる角野を上から見下ろしまた口を開く。


「さっきも言ってたようにあせらす気はないし、友達としてデートする方がいいならそれに合わせる気もある。ただ俺は、出来たらちゃんとした付き合いをしながら待ちたい」


 今度は真っすぐ前を向いたまま角野が歩き続けたので、俺もそこで前を向いた。


「だから、以前よりも俺との事を前向きに考えてくれてるんだったら、今の曖昧な状態からそろそろ次に進んでみないか?」


 まだ持っていた右腕に力が入ったのが分かり、今のをどう思っただろうか…と顔をのぞき込むと、眉をよせた角野が戸惑って俺を見てきた、ちょうどそこでカフェの前に着き二人仲良く無言で店内へと入った。



 笑顔の店員に窓に向かってL字に配置された二人席へと案内され、メニューを一冊「どうぞ」と手渡されたので何となく端っこを片方ずつ持つ。


 そのまま二人でやけに真剣にメニューの文字を眺め、お互いの気配を意識した緊張感ある沈黙状態がそれから数分ほど続く。


(えーっと。この沈黙を一体どうとったらいいんだ)



 ───まぁな。


 いま思えば、焦らす気はない…友人としてでもいい…とか言ってるくせに、待つなら次の段階に進みたい…てな矛盾したこと言った気がするしな。


 仕方ない。

 話の続きをする前に、まずはこの場に漂う緊張感を何とかしよう。




 角野を横目でそっと見ながらメニューに載っているスイーツで一番値段が高いものを指さし、静かな声でオススメしてみる。


「このデザート四種盛り合わせっての頼めば?」

「いえ、夕飯前なので」

「おごり、だけどいいのか?」


 そこで角野が視線をパッと上げたので、それに合わせて俺も視線を上げ隣を見れば、いつもの怒っているようで怒っていない角野が文句を言ってきた。


「小宮さん。何かあると甘いもので釣ろうとするのは止めてください」



(ふっ、迫力が薄い―――)


 怒っても全く怖くない目の前の柔らかそうな童顔丸顔を、ほんのりとした笑みを浮かべて見ていたら


(嘘くさく怒ってる角野は、可愛いよな)


 見事な甘々モードになってきたので、ここぞとばかりに優しく謝ることにする。


「ん? あーごめん。甘やかし対象が素直に釣られてくれるのが可愛くて、つい」


 ニコニコと愛おしそうに微笑みだした俺を見た角野は、動揺したように軽く目を泳がせ、また黙ってサッとメニューへと視線を落とした。



 さっき歩いていた時のセリフと今の甘々が効いているのか、普段の様にノリでポンポンと言い返してこない静かな角野をフフン…と眺めて楽しんでいたが


 そのときタイミングを計っていた感じの店員が、ささっと近づいてきた。


「注文はお決まりですか?」


「あーえっと、じゃあホットのカフェラテで。角野は?」

「レモンスカッシュにします」


 注文を済ませメニューが手から離れたことで、角野は軽く握った両手で頬杖をつき、すでに暗くなっている窓の外を見はじめ


 俺は組んだ腕をテーブルに置いて全身でもたれ掛かかりながら、また角野を少し眺め、それから同じように窓の外を見る。


「なんでこの寒いのにレモンスカッシュなんだ、そのりん」


「気分がスッキリするかと思いまして。あと恥ずかしいので、ここでそのりんは止めて下さい」


「分かった。じゃあ名前は小声で呼ぶことにする」

「いえそういう問題ではなく」


 二人して窓の外を無意味にアンニュイな雰囲気で眺めながら、どうでもいいことをしんみりと喋っていると、10分ほどで注文の品が運ばれてきた。


 角野がストローの袋を開けグラスにさすのを見ながらカフェラテを一口飲んで落ち着き、それからクルッと体半分だけ角野の方へと向け、顔が少し近づくよう前かがみの姿勢を取った。


「さっき言ってた話だけど」


 その一言だけで、ストローを持ったまま分かりやすく固まられてしまう。



(そんなに警戒しなくても)


 しかし今更この会話を止める訳にもいかないので、角野の横顔を見つめたまま勢いで話を続ける。



「今まで何回かデートしたけれども、俺らは知り合って長いし二人っきりで親密に過ごすって状態にも慣れてるから、このまま友人としてデートして様子を見続けても、角野が言ってたみたいに延々と中途半端な状態が続くと思うんだよな」


 歩いていた時と同じように、眉をよせて戸惑った角野が首を少し傾げてこちらを見てきたので、重い感じの真顔から笑顔に変えしっかりと目を合わせた。


「だから角野。俺とのこと、ほんの少しでも前向きな気持ちがあるんだったら、まだお試しを続けるにしても、もう少ししっかりと向き合える彼氏彼女に一度なってしまわないか?」


「そうしたら、俺も彼女としての扱いで角野に接することができるんで判断しやすくなると思う。期限を区切ってもいいし、途中でダメだと思ったらサッサと逃げていい、てのも継続でいいんで」



 角野は俺からゆっくり目をそらし、一旦テーブルに視線を落としてから片ひじをテーブルにつき、その手を口元に当て考え込み始め、そして


「あの」


 言いにくそうに小さく声を出したあと、顔を上げて俺を見た。


(これは、どっちだろう―――)


 全く表情が読めないが、とりあえずは思いっきりの笑顔で聞き返す。


「なに?」


 角野はちょっとだけ視線をそらし、軽く息をフーッと吐いてから一気に淡々と言った。


「なんだかんだで、氷室さんに手を出してたりとか」

「………」



 ―――なぜ今、そこに話がいくのか。しかも完全な濡れ衣だ。



「それは絶対に無い。というか、なんでそう思った」


 疑われていた事に腹を立て、問いただすようにキツく返してしまったが、そこは気にする様子もなく何かを思い出すように再び目線を下に落とした角野は


 すぐにさっと顔を上げたあと今度は体ごと俺の方を向いて苦笑いをし、あっさりと引いた。


「いえ、違うんならそれでいいです」

「………」



 確かに。


 向こうから積極的にベタベタはしてきてたし、彼女ヅラされた事もあったが、俺が氷室をそういう意味で気に入っていないことは角野なら分かっていたはず。


 ───って、待て。


 まさか、氷室がそれっぽいことを匂わしてけん制してたとか?



 いや、でも、どういう経緯でそう思ったのかは置いとくとして。


 氷室の事を気にして聞いてきたってのは、ある意味いい兆候じゃないか?

 あれだ、彼女になろうかと少しは思ったから確認してきたのかもな。



 角野を見ながら色々と予想し考えてはみたが、「違う」と言えばあっさり引いたし、たぶんちょっと聞いてみただけだろう。


 なので、角野に向かって疑うなんて酷いな…という不快げな表情を見せたそのあと、それでもいいんだ許す…と恩着せがましく微笑んでから、安心させるように二の腕を優しくトンと一度だけ叩いた。



「一応言っておくけど。好きだと気づいた時から角野を口説くのに必死で、他の女性に目を向けてる暇はなかったから手を出すとかは全くない。そこは安心していいぞ」



 喋ってる間は、頑張って真面目に真剣な顔をしていた。


 していたはずだったのに、『まさかのヤキモチ…』的な嬉しさが、どうやら小宮全体からついついにじみ出てしまっていたようだ。


 そこに気づいたらしい角野が、なんだかとても不本意…てなムッとした顔になり、鋭く冷たい視線を俺に向けてきた。



「なるほど。じゃあ口説けたら、他に目を向ける暇が出来るってことですね」


「違う、そういう意味じゃない。てか、なんでそんなに疑うんだ」

「んーー条件反射? 離婚したあと、素行が悪くなったのを見てきましたし」



(あーそれは……)



 後ろめたさから思わずウッと言葉に詰まってしまい、そのせいでかまたまた冷たい視線を送ってきた角野にまともに言い返すことが出来ず


 そそくさと正面を向き、窓の外を眺めている振りでブツブツと言い返す。


「いやまぁ、離婚がふっきれた時期はなんだか楽しくて、ちょっとはじけてしまったのは確かだが―――」


 そしてしばらく黙ったあと、角野の方へと向き直り真面目に訴えかけた。


「角野。俺は好きな子には一途なんだ。それに遊んでた子の八割は本当にただの友達だし、喋ってた女性ネタは面白おかしく膨らませたものがほとんどだ。そこは信じろ」


 最後の「信じろ」は胸の前で腕を組み、大きくうなずきながらきっぱりと言い切ったが


「十人の内の二人には、確実に手を出してたって事ですね?」


 角野は冷たく言い放ち、わざとらしく疑った視線を引き続き送ってきている。



(八割ってのは言葉のあやだ。というか、それよりも。俺に対する信用度が低すぎやしないか?)



 もうかなり自分勝手だとは分かってはいるが、過去の自分の言動はポイポイと棚に上げ、角野がしつこく疑ってくることに徐々に苛立ちがつのり


 機嫌が悪くなったのが丸わかりのつっけんどんな態度で、ブチブチと再び言い訳を始めてしまった。



「ただな。角野は俺がどんな女性にも優しいと言うが、それは女好きだからじゃない。どうでもいい子からしつこく言い寄られたときに、ウザイからと邪険にあしらったりすると―――」


「男前だから調子に乗ってるだの、女性関係がだらしがないだの、性格が悪いだの、悪い噂が次々と広められるから、仕事上普段から俺は気を使いまくって対応してるんで優しくみえるだけなんだ」


「だから思われてるほど、女をとっかえひっかえ変えてないし、そう思われることが多いせいで本命には逃げられることもある。まぁ今も、角野に逃げられそうだけどな」



 軽く視線をそらした状態でブチブチと言い訳し終わった後、どうせまた呆れられてるんだろうなと改めて角野の顔を見る。


(お、なぜか、またあの悪いクセが)


 意外にも興味深そうな視線でジッと凝視してきており、何気に見返した俺としっかり目が合うとニッコリ笑った。


「正々堂々と言い訳してますが、あの時はじけてた事実は消せませんよ」

「………」



(―――角野。もう少し俺に優しくなろう)


 心の中の小宮が、そこまで言うか…とやさぐれ始め、現実の俺も動きが止まり無表情になったそのあとすぐ


 角野は俺に対する興味を全く失ったかのように、窓の方を向いてストローを持ち、ぼんやりと物思いにふけり始め、自分だけの世界に入っていった。


「………」



 まるで俺に嫌われたいかの様な態度で、妙に突っかかってくる角野にどう対応したらいいのかと、こちらも静かに横顔を眺めていたが


(いや、というか。付き合わないか? の答えが、いつの間にかうやむやになっている)


 さっき大人げなく言い訳した気まずさと、角野の妙な態度は遠くに投げ飛ばし、ぼんやりしている角野に合わせた、ゆっくりとした口調でまた話を再開してみる。


「角野が難しく考えてるより、お試しででも付き合ってしまったら俺らは絶対にうまくいくと思うんだよな」


 角野はブンと振り返っておかしそうに俺の顔を眺めだし、それに反応した俺が表情を和ませて微笑み、いい感じで目を合わせていた数秒後


 フッと我に返ったかのように視線をパッとそらし、グラスへと顔ごと視線を向けた角野が、困惑したようにカラカラとストローを忙しく回し、回すのを止めたあとはまた軽く握った手を口元に当て考え込み始めた。



(今までになく挙動不審───)


 よくよく探るように見ていると、角野の表情と雰囲気から俺との関係をどうするかについてを迷いまくっている、そんな気持ちが分かりやすくアリアリと出ている。


 どう答えを出すのかと黙って真剣に見つめていると、角野は気合いを入れるかのように急に息を大きく吸い、もの凄くすまなそうに俺を見てきた。


「正直に言いますと、もうお試しはいいかな、と」

「………」



(―――おや? 断られたのか?)


 いや、そう聞こえたが違うようにも聞こえる。

 うんそうだな。きっと違う。



 小宮が一瞬にして現実逃避をした、その言葉からの沈黙が五秒ほど続いたあと、角野がボソッと言葉を付け加えた。


「なんか気を持たせつつ、相手を見極めてる感じが嫌なんですよね。だから―――」



 いやいや。


 好きだと迫られてる方なんだから、もっと強気で構えていいのにな。

 変に罪悪感を感じてる所が角野らしいといえばらしい。


 しかし、その「だから――」の後に何が続くのかは不明だが、ひたすら嫌な予感しかしない。だから結論を聞かされる前に、素早くかぶせ気味に会話を奪った。



「角野。俺がお願いしてデートしてもらってるんだから、そこは気にする必要全くない―――それにお試しがもう嫌になったんだったら、この際だし、正式に付き合ってしまえばいいだけじゃないか」


 言葉の最後に合わせて腕をテーブルに這わすように動かし、そのまま左手を角野の手の近くに置く。


「返事を急がせたことは悪いと思ってる。でも角野が好きで誰にも渡したくないから、ほんの少しでもイイと思ってくれてるなら、とりあえずでも彼女になって欲しいだけなんだ」



 気軽にもうひと押しするだけだったはずが、気づけば、いつ間にやら、必死な真剣告白になってしまっている、そんな今の状況に自分でも驚いている。


(これは角野相手に押しが強すぎるかも……)


 もの凄く焦りながらも、まだジッと見てきている角野に右手を伸ばし髪に指を差し入れ、自分の方へゆっくりと引き寄せて至近距離で顔をのぞき込む。

 

 それから、ずっと不安に思っていたことを切なげに尋ねた。


「それとも俺はまだ、恋愛対象にすらなっていないんだろうか」



 うろたえた感じで目を見開いた角野は、髪にある俺の手から逃げるように頭を少し後ろに引きしばらく動きを止めたあと、


 ふいに窓の方を向いて両肘をテーブルにつき、両手で頬を強く覆った姿勢でグッタリとうなだれた。


「うわ、相変わらず無駄に威力がある……」


 動揺と感心が混ざった小さなつぶやきを吐き、それから顔を上げた角野は困りきった雰囲気で体ごと俺の方を向く。


「私のどこがそんなに良くて、押しまくってくれるのか……」


 それからふと、テーブルの上にある俺の手を眉をひそめて眺めはじめた。

 角野に合わせて俺も眉をひそめ、どこが? と首を傾げてみせる。


「かなりの勢いで俺の事いつも冷たく邪険にあしらうくせに、たまにだけ適度に甘やかしてくれる、っていう態度が俺のツボに入った」


「………」


 角野はしばらく固まったあと「趣味わるっ…」とつぶやき、そのつぶやきに俺が思わず小さく笑うと、あの悪いクセで探るように俺をまたジッと見つめ始める。



 そんな二人の世界状態が数分続いたあと、たぶんずっと答えを悩み続けていたであろう角野が眉をよせ、何かを諦めたかのような息を軽く出すと視線をストンと下に落とし、やっと声を出した。


「まぁ、なんていうか―――」


 言いながら勢いづけるかのように、自分の手のそばにあった俺の手の上に右手をポンと軽く置く。


「上手くいくかも…と、一度だけ信じてみます」



その置かれた手を握ってから角野を真顔で眺め


「これはお試しと正式、どっちだろう」


俺も眉をよせて質問すると、角野がおかしそうに目をゆるめた。


「この際なんで正式でお願いします」




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