誠実か、嫉妬か



 喫茶店を出てすぐ角野のスマホに電話をしようとしたが、改めて時計を見てみれば


(まだ、ギリギリ勤務時間内―――)


 とりあえずまずは……と会社に掛けると、思った通り電話に出た角野に伝えた。


『事務所に帰るんで、待ってて』




 早足で戻りドアを開けると、時間的にはもう事務所の片づけはし終わっている……はずの角野が書類室へと歩いていく所だった。


「あれ? まだ仕事してるのか?」


「いえいえ。社長から『明日の10時までに資料作って~』って電話があったんで、小宮さん待ってる間に書類のファイルだけ先に出しておこうかと思って」


 喋りながらも脚立を出そうと動いているのが見えたので、ならば手伝ってやろう…と机にカバンを置く。


「へー、なるほどな」


 そそくさとそばへと近寄り、俺が取るから――という感じで角野の背中をトンと叩くと、不思議そうな顔で振り向き首を傾げられた。


「というか。この時間なら直帰したらよかったんじゃないですか?」


(確かにそうだが、いい加減そこは何となく勘づけよ)


 鈍感なのか、分かって言っているのかは不明だが、ここは甘めな返しでしっかり気づかせておくことにしよう。



「あーうん。そうだな」


 静かにうなずき目を合わせ、左手を棚に伸ばして斜めにもたれ掛かる。


「ただパソコンを置いて帰りたかったのと―――あとは、そう。角野の顔が見たくて戻った」


 真面目に優しく伝えると少しの間が空き、それから角野は無言で棚の方へと再び顔を向け普段のノリでかわしてきた。


「また、なに無駄に格好つけてるんですか」


「いやいや本心だから。現にさっきも、角野の事がどれだけ好きかを氷室に超のろけてきたところだしな」


 棚にもたれていた手を軽く曲げて自分の頭に添えつつ、最後は得意げにフフンと笑うと、これまたいつもの様に「はいはい…」と軽く流しかけた角野は、


 ん? と動きを止めた1秒後、ブンッと振り返りギョッとした顔で俺を見た。


「なぜに、そんなことを?」



 とってもいい反応をしてくれたので、思わず困らせるまでからかいたくなってしまったが、そこは気合いでグッとこらえ、今度は腕を組んでから肩で斜めに棚に寄りかかる。


「それはな。氷室が小宮さんはつらそうだ、本当に幸せなのか…ともの凄く心配してたから―――お、それ、取るのか?」


 余裕ある男風に語っているとその語りがウザかったのか、目の前の角野がもうシラッと華麗に無視する気満々で、脚立にヨイショっと片足を乗せたので、


 つい調子に乗ってまたふざけてしまった事を反省しつつ、当初の目的であるお手伝いのため背後へと寄り、角野が指さす箱へと手を伸ばした。



 目的の箱を取るため後ろから抱えるような形で立ち、ちんまりとした後頭部を上から見下ろしていると、何となく金曜日の出来事を思い出す。


(俺は誠実だ――と角野に言う度に、はいはい…と邪険にされる)



 まさか、だが。


 呆れられているだけではなく、社長がコソコソ言ってたように、誰にでもすぐ手を出し飽きたらポイ捨てするような男だ、と角野にも思われているのだろうか。



 急にあの憂鬱な気分がまた舞い戻ってきてしまい、後ろから箱へと伸ばしていた手を、邪魔だから…と横へ移動しようとしていた角野の両肩にそっと置いた。


「角野、俺は女性にベタベタされる事が好きじゃ無い」


 何時間か前の中途半端に終わってしまった、その会話の続きをするかのように静かにゆっくりと伝えると、少しだけ後ろに顔を向けた角野が笑いを含んだ声を出す。


「そうなんですか?」


 まだまだ言いたい事はあったが、その場に妙に落ち着いたいい感じの雰囲気が漂いはじめたのに気が付き、


 息を大きく吸い一呼吸おいてから、また両手を棚へと伸ばして書類箱を持ち上げ、笑って角野の顔を深くのぞき込んだ。


「あ、女性といっても、角野ならいつでもどこでもベタベタしてくれて全然構わないぞ。だから安心して、くっついて抱きつい―――」


「しません」


(いつもながら、拒否るのは早い)




 箱を角野の机に置いた後は、作業が終わるのを待つため自分の席に座ってから頬杖をつき、角野が動いている姿をボンヤリと眺め始めた。


 目的の書類はすぐに見つかったようで、箱からサッと取り出し机に置いたのを見て


「箱、戻してこようか?」


 ダルそうに尋ねると、そんな俺をチラ見した角野は書類箱のふたを閉め、わざとらしい会釈のあと業務連絡っぽい丁寧な態度をとる。


「じゃお手数ですが、お願いします」

「分かった」


 ダルそうに答えたくせにシャキーンと立ち上がった俺が面白かったのか、角野はフンッと鼻から抜けるような笑いをし、箱を「はい」と手渡してきた。


 その箱を生き生きと受け取って力強く歩き出すと、背後で角野が「あははは」と笑いだした、その笑い声を聞きながら箱を棚へと置き、


 書類室から机に戻りがてら、カバンを出し帰る用意をしていた角野にお願いする。


「なんかお茶会でストレス溜まったんで、愚痴、聞いてくれよ」

「あはは。はいはい、いいですよ」






   *********************






「そういえば、お茶会でストレス溜まったって……何かあったんですか?」

「お茶会? んーそうだな」



 寄り道するお店までの道を歩きながら角野が尋ねてきたが、今日も大した話をしていないので、何をどう言おうかと少しだけ悩む。


(とりあえず、少しだけ気になったコレを聞いてみるか)


「もうな。あの二人のノリとテンションに合わせるのに疲れたんだ……」

「あははっ」


 うんざりと言ったその理由に、速攻で納得した様子の角野が面白そうに笑っている横顔を、チラリと上から見下ろしながら続ける。


「あーそういや。忘年会の時に引田が角野を二次会に誘ったって話から、少女マンガばりの恋物語が二人の間で展開されてたぞ」


 笑顔を消し、不可解な話を聞いたと言わんばかりにこちらを見上げてきた角野は、笑って「本当だ」とうなずいた俺を見て、更に戸惑った様子になる。


「えっと、なぜそんな話に……というか誘われてませんし」

「誘われてない?」


「はい。あれは、小宮さんを待ってた私に気づいた引田さんが、二次会の場所が分からないんなら送りますけど…と、親切に声を掛けてくれただけですが」


 そのあとすぐ、ほら水野が来たので―――と人差し指を立てた。



(社長……話、全然、違うじゃねーか)


 お茶会でのキャーキャーな二人を思い出し、心の底からイラッとしたタイミングで、目的の店が入っているビルの前に着く。



 まだまだ社長に苛立ちながらもビルのエレベーターに乗り込み、最上階の六階で降りて革製品のお店の前で立ち止まると、店内をひょいと覗いた角野が「あ」と振り返ってきた。


「小宮さんの持ってる財布はここのなんですか?」

「そう。よく分かったな」


 すぐに気が付いたことに少し驚くと、角野は俺を見上げて当然といった顔をする。


「え。だって格好いい財布だな、小物の趣味はいいんだな、といつも思ってたんで」


「へーそうか」


 小物の趣味は、って所が多少ひっかかるが、俺の持ち物に興味を持ってくれていて、かつ本気で趣味が良いと褒めているのが分かったので、やはり元々が単純なのか、それだけで「フフフン」とご機嫌が直り、


 もっと俺を褒めてくれていいんだぞ…と片眉を上げてみせる。


「でも、ま。俺が持ってるから格好いいって話も―――」

「いえ。財布じたい、が格好いいんです」


 すぐ調子に乗る…と呆れる角野に「いや、五分五分だろ」と笑顔で言い放ち、背中を「いくぞ」と押して機嫌よく店へと入った。




 15分ほど店内で名刺入れを二人であーだこーだと物色したあと、ビルに入ってる他のお店も見て回ってみようと、適当な感じで歩き出す。


 ワンフロアに五~六店舗しかないビルの中を、うだうだと階をまたいだウィンドウショッピングをしていたら、何となく話の流れが今度の日曜についてになり───


「どこに行こうか」

「なに、食べます?」


 デートするのが当たり前かのように喋っている隣の角野を見て、親しさが確実に増している事にほっこりした気分になってきたが


 それでもこの、「デートをしているお友達」というだけの宙ぶらりんで自由な関係の時に、他の男にもし気持ちがいってしまうと、悩むことなく簡単に逃げられてしまうのではないかと不安でしょうがない。


 今まで彼氏がいるときに見せていた角野の行動からして、俺の事を今は少ししか好きじゃ無くても、ちゃんと正式な彼女になってくれさえすれば、


 別に引田がちょっかい出してきても、元カレからしつこく誘いがあっても、まだ安心できる関係になれる気がするんだが。



(今日、もう一度、押してみようか)



 隣の角野を再び観察し、過去二回のデートの様子を思い起こしてみると、俺が知る限りでは結構乗り気だったし、しかも楽しんでいるように見えた。


 それならば―――と、日曜に行くデート話が何となく終わったところで、


「よし!」ってな感じで重みを乗せた手を肩に置き、プレッシャーを掛けない程度の気軽さで、いつものように冗談めかし試しに押してみる。


「てことで角野。日曜過ぎたら、もう俺の彼女ってことでいいよな?」


「―――あ、えっと」


 上手くいけば「はい」と言ってくれるかも……程度のノリだったんだけれども、突然、彼女になるか? と聞かれたことに角野は固まり、一言だけ発したあと緊張感のある雰囲気で黙り込んでしまった。



(……しまった。思いっきりプレッシャーを掛けてしまったようだ)



 普段通りに冷たく返してくれても俺は平気だし、きっとそう返してくるだろうと予想はしていたのに、角野は「どう答えようか」と真面目に悩んで固まっている。


(別にそこまで深い意味は無かったんだ)


 ちょい焦りながら少し体を近づけ、腕に手をサッと添えて注意を引き、微妙な表情でこちらを向いてきた角野に明るく笑いかけた。


「あ、いや。焦らせるつもりは全くないし、まだ分からないなら友達のままのデートで全然いいんだ。ただそろそろ一ヶ月経つし、定期確認的な感じで一応聞いただけだから」


「はい。でもなんか中途半端な態度で悪いんで、どうするか早く決めようとは思ってるんですけど」


 申し訳なさそうにされてしまったが、気持ちをスッキリさせたいからと、悪い方の結論を早く出したりなんぞされたら俺が困る。



(やばい、面倒な事態になってしまった)



「あーそれは仕方ないし、本当に気にしてな―――」


 結論は急がなくていい……そう説得するように諭しつつゆっくりと歩いている途中で、角野が手に持っていたスマホに着信があった。


 このときすぐそばに立っていたのと、偶然スマホの画面が上に向けられていたせいで、見る気は無かったのにしっかりと着信相手の名前が見えてしまう。


(……でたっ。ウザイと考えてた不安原因第一号からだ)


 画面をタップしスマホから視線を上げた角野とふと目が合い


「まだ、掛かってくるのか?」


 イラッときていた気持ちを笑顔で隠し、穏やかに優しく尋ねると、角野は淡々としたそぶりでカバンにスマホをしまった。


「はい。最近はメールが多いんですけどね」

「ふーん、どんな内容?」


「どんな? んー、幼馴染として心配している…という意味のものが多いかも」



 心配してる? おい、そのベタな展開だと、そのうちきっと「付き合う前の関係に戻りたい」とか絶対に言ってくるぞ。


 しかし、角野の何をそんなに心配して――――



「……へー。もしかして、その心配メールには、小宮と付き合うのだけは止めとけ~とかいうのもあったりとかして」


 心配の原因に思い当たった瞬間、は? てなイラついた顔で不服と不満を滲ませまくった声を出してしまい、「お、しまった」と横目で角野の様子を素早く見ると、


「いえ、………それは無いですよ」


 感情を隠した無表情を作ってはいるが、途中で言葉に詰まり分かりやすく「それ正解」と思いっきり顔に書いてある。


(うわ、やっぱりか)


 俺にとったら、佑くん、お前と復縁する方がよっぽど心配だ。

 しかし角野とこうして出かけるたびに、何度も何度も元カレの存在を意識させられるのはムカつ───


 いやまさか、それも織り込み済みでしつこく連絡してくるとか?



「………」


 これまでの日々で少しずつ蓄積され心の底でくすぶっていたせいなのか、いつもなら隠せるはずの元カレへの苛立ちと不満が、じっくりいぶり出されるどころか一気に噴き出してきてしまい


 もう誰が見ても分かるであろう、あからさまに機嫌が悪い雰囲気でむっつりと黙り込み、角野から視線をそらして前を向いたままひたすら歩き続ける。


 たぶんもの凄く負のオーラが出まくっている、そんな俺に気が付いた角野が何が起ったのか…と怪訝そうに見てきた。


「えーっと。どうかしました?」

「……別に、なんでもない」


 また沈黙状態になったことで何かを考えだした様子の角野は、しばらく経ったあと立ち止まって俺の腕をつかみ、首傾げて俺の顔をのぞき込んできながら恐る恐る話し掛けてくる。


「あの。小宮さんは、さっきみたいなのは全く気にしないのかと……」

「………」


(―――って、そんな訳あるかい。自信が全くないのに気にしないはずないだろ)


 心の中で鋭くツッコんだ勢いのまんま角野の顔を見ると、おっと……どうやら嘘ではなく本気で真面目に言っている。



 ―――なるほど。


 この年齢と落ち着いた素敵な外見のおかげだと思うが、自分が思っていたより角野には自信たっぷりで余裕な態度に見えていたようだ。


 なんかもうかなり不本意だし大人げないので、もの凄~く嫌なんだが、今回だけは嫉妬してるのを素直に認めたほうが、いい展開に転ぶような気がしてきた。



「いや。角野に関することは気にする」


 渋々といった感じで小さく言った、その言葉を聞いたとたん、うわ、意外……という気持ちがアリアリと顔に出た角野に、不本意で機嫌が悪い態度のまんま続ける。


「それにたぶん、周りにいる誰より一番俺がお前のことを好きだと思うぞ」


 しばらくは視線を正面だけに向けてまた歩きだし、角野が何か言ってくるかと待っていたが、ずっと視線は感じるものの数分経っても何にも言葉が返ってこない。


 不安になり階段の踊り場近くでピタッと立ち止まり、真顔で横を振り返ってから名前を呼ぶ。


「角野?」


 振り返ると同時にバチッと目が合うと、角野は黙って俺を眺めたあと口元をおかしそうに緩め、体全体から抜けるような息を吐きだしてから返事をした。


「はい」


 そして再び素でジッと俺を眺めだす。



 ―――お、また角野の悪い癖が出ている。


 興味を持ったからといって対象物をジッと眺め続けるのは怪しいぞ、といつも言って…………て、おや?




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