雰囲気は悪くないんだ



 水族館に行く約束をしていた日曜日。


 14時過ぎに待ち合わせをし最寄り駅の改札前で角野を待っている間、金曜に起こった出来事をボンヤリと思い起こしていた。


(あれが前に角野が言った、日和見的な態度になるのか?)

(せっかくあの日は、いい感じにもなったのにな……)



「小宮さん、早いですね」

「お。角野」


 壁にもたれて立ちながら暗く色々考えていた所に、角野が小走りで登場したので、笑顔で一歩前に出たあと


(―――何か今までと変わった点は無いだろうか)


 思わずジッと顔を眺め、挨拶と共にジロジロと様子を探ってしまう。


 会ったとたん、そんな不審な動きをした俺が怪しかったようで角野が不審げに俺を見て眉をひそめた。



「何なんですか?」

「ん? いや、なんか普通だなと思って」

「……悪かったですね普通で」

「あ、いや。そういう意味じゃない」



 いつも通り、怒っているようで怒っていない返しをしてきた角野をまたジッと見たが、どうやらこれといって特に変わりはなさそうだ。


(機嫌が悪そうではないし、怒ってもない感じだな)


 かなり安心はした。したが全く変わりがないのもそれはそれで、なんだかとっても寂しいんだが―――


(でもまぁ、振られるよりは……)


 てことで、真っすぐ前を向いて隣を歩いている角野の肩をつついて注意を引き、それに応えてこちらを見てきた彼女に柔らかく笑ってみせてから会話を続ける。


「そういや水族館って、かなり久々に来たかもしれない」

「あ、私もです」

「そうなんだ。でも角野は、映画を選ぶと予想してた」

「えー。映画は一人でもいけるんで、せっかくなら水族館の方がよくないですか?」

「あーまあな」




 それから水族館に入り、薄暗がりの中で魚を見ながらまったりとした会話でのんびりフロアを次々進んでいくと、メインであろう大型水槽があるフロアにたどり着く。


 少し離れた場所からその水槽を眺めはじめた角野の隣に立ち、同じく水槽を静かに眺めていると、氷室が言っていたメールの言葉が頭に浮かぶ。


(あれから、会ったんだろうか……)


 気にはなってはいるが、何をどう聞いたらいいのか。

 悩んで角野を見ると、俺の視線が気になったのかこちらを振り返ってくる。


「どうしたんですか」


 首を傾げて尋ねられたので、とりあえず見切り発車することにした。



「んーいや、金曜日のことでちょっと。―――氷室が駅での、ほら、あの場面をしっかりと見てたらしく」


 反応を確認しつつためらいがちにゆっくり話し出すと、あぁ…と思いだしたかのような、少し動揺を見せた角野が短く返してくる。


「はい、それで?」

「角野とホームで別れたあと、氷室に『付き合ってるんですか』と聞かれて」

「なるほど」


「それで『付き合ってない』と返したら、ふっふふっ。なぜか角野が隠れ肉食系で、俺を翻弄ほんろうしている悪女になってしまった」


 途中で我慢できず変な思い出し笑いをしてしまい、そして意外性が強すぎたのか結構な声量で角野に驚かれてしまう。


「はい?!」


 驚いた角野を見て、あのとき全くかみ合わなかった氷室との会話を思い出し


(そうだよなー。角野が隠れ肉食って……)


「あっはっはっ」


 いや、どう考えてもないわーと手を叩いて更に爆笑していたら、「小宮…」と冷たい視線を送られてしまった。



「あははっ…じゃなくて。なぜ、私がそんなキャラになってるんですか」


「あー付き合ってないと言ったあと、角野の事が好きなのかと聞かれて『そうだ』という意味合いの事を言ったら―――」


「え、言ったんですか?!」


 今度は、ギョッと目を見開いて驚いた角野。


 さっきからいつになくもの凄く反応がいいのでかなり面白くなり、目を思いっきり細め顔全体で笑って大きくうなずいた。


「うん、言った。嫌いじゃないのは、すでにバレてただろうし」

「まぁ、はい。そうかもですが……」


「そう。そしたら、どうもお手洗いに言ったとき「あとで待ち合わせ」という角野のメールを見てたらしく、そのメールから『男がいるのに俺にも手を出そうとしてる…』という大きく飛躍した勘違いを」


「なるほど……。そうきたか」


 角野は眉をひそめてつぶやくとうんざりした表情になり、静かに水槽の方へとまた意識を向けた。



 また「小宮は無理」とか思われたんじゃなかろうか…と心配になり、正面を向いて立っている角野の頭に手を置いて顔をのぞき込み、さっきまでとは違う真面目な表情を作った。


「そのメールは元カレからだと予測して、そういう相手では無いって事と、角野は俺を狙ってない、と否定は一応しといた」


 申し訳なさそうに伝えると、角野が軽く頭を下げてくる。


「あ、えっと。はい、ありがとうございます」

「いや、実は役立たずだったからお礼はいい」


 氷室が醸し出していた静かなる闘志を思い出し、眉をしかめて暗く否認すると、角野がブッとおかしそうに吹き出す。


「なるほど、手強かったんですね」

「………」



 そのあと角野と同じように正面の水槽をしばらく眺め、実は一番確認したかったことを淡々と尋ねた。


「それで、帰りに会ったのか?」


 するとまた小さく息をフッと吐いた角野が、正面を向いたまま何でもない感じの気軽な口調で答える。


「あ、いえいえ。悩んだんですが、結局は会わずに電話で軽く話だけしました」

「……ふーん」



(―――悩んだ? 会いたかったとか?)



 一瞬モヤッとはきたものの、何か言える筋合いの立場ではまだ無いのでとりあえずは黙って隣で立っていると、雰囲気が変わった事に気が付いたのかチラっとこちらを見た角野が困った顔になる。


「えーっと、小宮さんには「会うかも」と伝えた方がいいのかな…とは思ってたんですが……」


 その言葉を聞いた後もまだ黙って隣に立ち、落ち着いて話を聞いてる小宮

 ―――と、見せ掛けてといて



 へー。そう思ってたんなら言えよ。

 てか今更、元カレと何を話す事があるんだ。

 実は角野も未練があるとかか?

 幼馴染との絆ってのは、そんなに捨てにくいもんなのか?



 恐ろしいほど心の中でウジウジと盛大に拗ねまくり始めてしまっている、いわゆるとても面倒くさい男と化していた。


 しかし表面上は興味なさげな空気感をシラッと出し、そっけない態度をとってしまう。


「ん? いや別に俺は彼氏でもないし、角野の好きにしたらいいんじゃないか?」

 

 すると角野はあっさり「そうですか」とかわし、次のフロアへの道を指さしてスタスタと俺を置いて歩き出した。


「じゃ、好きにします。あ、そろそろ次に行きますよ~」

「………」



(待て待て、ちょっとは俺の気持ちを汲み取れ角野。本当に好きにされたら心配で仕方なくなるだろ)



 慌てて後を追い掛け、掲示板に書いてある魚はどこにいるのか…そんな感じで水槽に顔を近づけてる角野の隣に立ち、寄り添うようにそーっと近づいて横顔をチラ見していると、


 角野が笑いが混じった声でおかしそうに俺を見てきた。


「そういえば新年会の時、氷室さんに『誠実そうで優しくて甘えさせてくれそうな、落ち着いた包容力がある大人』な小宮さん、と一緒に働けるなんて羨ましいと言われまして」


(ふっ。さっき俺は、大人げなく拗ねたけどな)


 俺はそんないい男じゃないし…という苦笑いを浮かべ、隣に顔をブンっと向けて「そうなんだよ」と悲しげに頷いた。



「あーうん、前に俺も本人にそう言われた。氷室からしたら、そう見えるらしいな」

「恋は盲目ってやつですかね」


「確かに。でも、まぁそうは言っても褒められて悪い気はしない。―――ただな、半分くらいはちゃんと当てはまってるんじゃないか?」


 ワザとらしいフフンてな表情で得意げに言い切ると


「誠実と包容力と落ち着いてる大人、ってとこ以外ですか?」


 真正面から素で返されたが、どうしても不服な部分があったので言い返す。


「角野、俺はとっても誠実だ」

「あははっ」

「角野、ウケる所じゃない」

「はいはい」

「………」


 いつものノリでポンポン言い返してくる角野の姿を見て、ふと思う。


(―――ほんと、雰囲気は悪くないんだよな)



 彼氏として付き合う対象になるかもと、多少は思ったからデートをしているんだろうし、たまーにではあるがいい感じで目が合ったりもしている。


 まぁデートはまだ二回目だとはいえほぼ毎日会っている環境だし、何より周りの人から付き合ってると誤解されるほど仲が良い。


 だから、期待している「うふふ、あはは」な恋愛モードなんぞすぐになりそうなもんなんだが、あからさまに好意を出して迫ると角野はザザーッと逃げていく。



(確かに普段より押しは弱いが、押し過ぎると角野は引くし……)


 機嫌よく水槽を見ている角野を眺めながら真剣に考えていると、沈黙が続いたせいか角野が振り返り、心配そうに話し掛けてきた。


「小宮さん、疲れたんですか?」

「………」



 ―――違う、角野。


 小宮という男前が、お前の事を考えて切なくなっていたんだ。

 決して、疲れた…座りたい…とお前に訴えていた訳じゃあない。



「いや、全く疲れてない。大丈夫だ」



 いつものことだが、気持ちの温度差がありすぎる。


 今もわざと至近距離で寄り添っているが、告白前と同様ドキドキと異性として意識されている様子は全く無い。


 そうだな。そう。角野が今更、自発的に小宮にドキドキしてくれるなどと、ちょっとでも期待した俺が間違ってた―――



「……角野」

「はい」


 ため息交じりで思わず名前を呼ぶと、不安そうにこちらを見上げてきた角野に向かって安心させるかのように軽く目を細めて笑いかける。


 すると角野は同じように目を細め、優しげに笑い返してきた。


(お、これは、ちょっといい感じ)


 何秒か微笑んで見つめ合ったあと、なんとなく左手を差し出してみると、かすかに首を傾げた角野が感心した素振りをする。


「指、長いですね」



 ―――そうだな、角野。


 確かに小宮の手は「大きくて素敵」だと女子に大人気だ。

 でも今のは、完全に気が付いてないフリしただろ……



(しかし恋愛対象として意識してもらう為にも、ここは押しておきたい)



「よく言われる」


 簡単に返してから更に角野の方へと左手を伸ばし、シラッと当たり前かのように手を握る。


 嫌がってそうならすぐ離そうと横目で様子を窺うと、ちょっと驚いてはいるが目立った拒否反応は無い感じだ。


 それなら、と反対の手で進行方向を指さしてから、さっきと同じく目を細めて笑いかけ


「もう、次に行こう」


 繋いだ手を強めに握って軽く前へと引っ張ると、角野は少しだけ目を見開いたあと呑気な声を出す。


「はい、そうですね」


 それから力を抜いたままだった手の指を軽く曲げ、素直に後をついてきた。




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