小宮と水野と、そして忘年会と
氷室にキッチリ邪魔されたことで、あれから角野を誘うきっかけも無くドンドン日にちだけが過ぎていき、いつのまにやら合同忘年会の当日になっていた。
三人で店へと向かっている途中、社長と角野が何かを話しているのを少し後ろから眺めつつ歩いていると、今日確実にこなす羽目になるであろうイベントの事を悶々と考えだしてしまう。
だいたい忘年会で返事くださいって、そんな曖昧な。一体いつどこで水野に返事をすればいいんだ。それを考える事すら面倒くさい。
まさか、帰り際に捕まったりとかか?
……それは困る、角野と一緒に帰れなくなるじゃないか。
しかしなぜ俺は即答せず、あのとき固まって黙り込んでしまったのか。
今更な事をウダウダと心で愚痴りながら前を歩いている角野の後頭部を眺めていると、いつも気づけば俺と反対方向へと歩いていく後ろ姿が思い浮かんでくる。
(今日も遠く離れた席へと逃げるつもりなんだろうか)
そういや入社して最初に参加した忘年会以降は「よけいな気苦労は出来るだけ避けたい」とか言い出し、それからずっと近くに座ったことが無い。
いや別にいいんだ。
角野に本気で嫌われて避けられてる訳じゃないし、毎日会社で会って話してるし、迷惑もかけたくないしな。
でもまぁ、できれば隣に座りた………いや、いいんだ別に。
再びウダウダしていると社長が振り返り声を掛けてきた。
「小宮さん、ちょっと」
「はい」
それから三人で話をしながら目的地まで歩き、到着して店内に入るといつも通りメンテナンス会社の社長に挨拶を済ませた。
挨拶のあと、メンテ会社の人たちで徐々に埋まっていく座敷を見回していたら水野が俺を見ていることに気が付くが、さすがに告白を断ろうとしているその日に隣に座るのは避けたい。
なのでシラっと目線をそらしてやり過ごし、横に立っているはずの角野の方へと顔を向けた。
角野はすでに水野がいる場所とは反対方向へといそいそと歩き出しており、そして何気なくその歩いていく方向を見ると
(おっと。あの引田くんがいるんですが)
有り難いことに彼の周りの席はすでに埋まってはいるが、なるべくなら近くには座らせたくない。よし、とりあえず阻止しよう。
名前を呼ぶよりも先に、普段通り腕をつかんで引き留めようとしたその瞬間、角野に伸ばしたのと反対の腕がグイっと後ろに強く引っ張られた。
(まさか───)
確信をもって恐る恐る振り返るとやはりそこには水野がおり、俺の目を見てこっちですよと力強く訴えている。
(どうやら今日も、隣に座ることになりそうだ)
もう彼女を避けるのは諦めることにし、まずはこの俺の腕をガッチリと掴んでいる彼女の手を優しく引きはがそうとした。
「すいませんが水野さん、ちょっと」
……しかし俺に逃げられると思っているのか、ただ単に握力が強いだけなのかは不明だが、これまたなかなか引きはがせない。
(水野。お前、ちょっと怖い)
水野から出てくる火事場の馬鹿力的なパワーに今までにない恐怖を感じ、離してくれっ…と思わず水野の手を力いっぱい振りはらって逃げようとしてしまう。
(あ、やってしまった)
そう思ったのもつかの間、振り払われそうになった水野が更に本気を出す。
逃げたい俺に逃がしたくない水野という、コントみたいな小競り合いを数秒したあとやっとこさ腕が離れ、速攻で水野を背にして逃げるように歩き出した。
そしてその歩く流れの先にいた角野のそばにお邪魔し、素知らぬふりで隣に座る。
水野とやり合っていたのに気づいていたであろう角野は、そこで自分の隣に座ってきた俺をギョッと見てくる。しかし疲れきった顔でため息をつき
「助けろ」
グッタリとつぶやいた小宮を少しは不憫に思ったのか、角野は「移動しろ」とは言わず、テーブルにあったお酒のメニュー表を手に取り俺に「はい」と渡してきた。
「お疲れ様です」
忘年会が始まる合図の乾杯が終ったあとは、角野相手にというよりはどちらかと言えば周りに座っている男性陣と談笑して楽しく飲んでいたんだが
(見てる…。物凄くこっちを見てる……)
あの後、俺から少し離れた斜め前あたりの席にわざわざ移動した水野からの、突き刺すような視線をさっきからビシバシと感じる。
周りに座っている他の人たちも徐々に彼女の不穏な視線に気づいてきたようで「こいつら何かあるのか?」と、俺と水野を交互にチラチラ見てくる。
こうなると、どんな様子でこちらを見ているのかが気になってきて、怖い物見たさで部屋を見渡すふりをして水野がいる方向を何気なく確認すると
(おっと。ヤバイ、目が合ってしまった)
そこには、とても何か言いたげな顔をしてジッと俺を見つめている水野の姿が。
そして俺と水野の目が合ったことで、チラチラしていた周りの人たちに更に興味深げに観察されてしまう、という事態になってしまった。
(この状態があと二時間近くも続くとか……さすがにキツイ)
「ちょっとお手洗いに……」
絶対にこのあと変な噂が広まる…と心で大きくため息をつきながら、水野に返事をするきっかけになるかもと、目立つのは承知の上でスッと立ち上がり座敷から出て歩き出す。
すると期待通り俺のあとに続いて水野も立ち上がった気配を感じ、そして店内を少し歩いた辺りで背後から水野に声を掛けられた。
「小宮さん、今いいですか?」
「はい、大丈夫ですよ」
スタスタ歩く水野のあとを素直に付いて行くと店の外へと連れ出され、店のドアから漏れる明かりの中で静かに向かい合った。
「この間の、告白の返事の件ですよね?」
水野がなかなか話を切り出さないので、思わずこちらから口火を切ると「はい」とうなずいた水野は軽く微笑んだ。
「付き合ってもらえますか?」
「それは申し訳ないんですが、お付き合いするのは無理です。すいません」
特に言い訳もせずお断りの言葉だけをハキハキと元気よく伝えると、水野が苛立ったように眉間に深いシワをよせた。
「それはやっぱり、彼女が出来たからですか?」
彼女なんぞいないので、今ここで「はい」と言うと嘘をつくことになってしまう。
が、しかし……
「いない」という方が更にややこしくなりそうだし、いてもいなくても結局は断るつもりなんで、彼女が出来た事にしてあっさりと受け流すことに決める。
「はい、そうです」
すると益々眉間にシワがよった水野が、強気な口調で突っかかってきた。
「その彼女に、会わせてもらえませんか?」
「彼女に?」
「はい。会って納得できる人であれば、諦めます」
「………」
何で上から目線なんだ。しかも納得しなければ、どうするつもりなんだ。
「いやいや。水野さんがどう思おうが俺が納得しているんで問題ないですし、それ以前に俺の彼女を水野さんに会わせる必要ないですよね」
意味不明だときっぱりお断りをすると水野はもの凄く不服そうになったが、しばらくすると渋々といった感じで返事をしてきた。
「そうですか、分かりました」
そこから沈黙の時間が続いたが、たぶんこれ以上は話をしても意味がない。
「それじゃあ」と勢いよく体を店のドアの方へと向け、中へに入るそぶりを見せながら黙っている水野へ声を掛ける。
「中に戻りますが、水野さんも戻りますか?」
水野が黙ったまま軽く頷いたので、ドアを開けて一緒に店へと入った。
行きとは反対に俺が水野を後ろに従えて座敷へと戻ると、
二人で示し合わせたかのように座敷を出ていき、そして微妙に暗い雰囲気で戻ってきた、そんな俺らに周りの人達からもの問いたげな視線がバンバンと送られてくる。
(つらい……)
注目を浴びながら元の席へとヨロヨロと向かい胡坐をかいて静かに座ると、何があったのかは分からないもののまたまた不憫に思った様子の角野が、テーブルから枝豆が入った皿を取りドンと俺の目の前に置いた。
「枝豆には、疲労回復と悪酔いを防ぐ効果がありまして───」
ある程度の時間が経つと何事も無かったかのように周りも振る舞いはじめ、それから更に時間が経った頃、角野がお酒を頼もうとしたのかメニュー表を手に取った。
横からヒョイと角野が持ってるメニューをのぞき込みながら
「あっ俺も頼みたい。角野は次、何にするつもり?」
普通の事を普通に話し掛けると、角野がふいにスッと俺から距離を置く動作をする。どうしたのかと不審に思ったとき、角野が軽くうつむき小声で言ってきた。
「水野の視線が痛い」
「あーうん。分かった」
返事をしつつお酒を頼む為に店員を呼ぶ、そんな動きの流れでさりげなく水野をチラっと見ると
(見てる…。物凄くこっちを見てる……)
いや、俺を、と言うよりは角野をあのガラの悪い目つきで見ている。今日は特に仲が良さげなことはしていないはずなんだが、隣に座ったということ自体がマズかったのか……
「まぁなんていうか、ごめん」
申し訳なさそうに謝ると、角野はメニューを見ているフリをしながら淡々とひとりごとを言った。
「チョコレートには、ストレスを解消する効果が―――」
「……帰り、コンビニで、買う」
「ありがとうございます」
「………」
そんなこんなしていたら忘年会も終了時間近くになり、時計を見て会話をし出した社長たちが幹事に「そろそろ」と声を掛ける。そこから締めの挨拶がやっと行われ、今年の合同忘年会が終了した。
メンテ会社の人たちが店の外へと出ていく中、角野と一緒に社長の元へと向かい帰りの挨拶を済ませ、それから「外で待ってて」と歩き出した角野に告げてトイレへと向かう。
数分後に店の外へと出ると、すでに人の姿がまばらになっている…そんな状況をなんとなく確認してから、外で待っているはずの角野はどこにいるのかと見渡すと
―――待て待て。なぜ、水野がそばに立っているのか。
(これは絶対にケンカを売られている)
やばいっと今日一で焦り、二人がいる場所へと小走りで近づく。
「ごめん、遅くなった」
手が届く距離に着いたとたん角野の肩に手をドンと置き、心配そうに声を掛けてからそばに立っている水野に、なにしてる…と不審げな表情をみせる。
すると水野は顔をぐしゃっとしかめ、俺の手が肩に置かれている角野を悔しそうにキッと睨みつけたあと、周りも俺の事も気にすること無く低いドスの効いた声で怒鳴りつけた。
「彼女でもないのに……! 一緒に働いてるってだけで小宮さんに好かれて守られて! またそれが、当たり前って顔をしてる……ほんっと、あんたってズルイっ!」
それからクルッと方向転換し、颯爽と走り去られた。
「………」
今まで見たこともない水野のド迫力と理不尽な怒りに、しばらく呆気にとられていたが、ハッと我に返る。
(そうだっ、角野は大丈夫なのか?)
パッと隣を振り返るとかなりムッとしてはいたが、これといって特に堪えている様子はない。
「いや、なんというか」
驚きの表情をしたまま情けなくつぶやくと、角野はそんな俺の顔を見ながら、おかしそうに口元を緩ませた。
「とりあえず、また巻き込んでごめん」
「いえ、慣れてますんで」
「俺が来る前にも何か言われてたか?」
「ふ、小宮さんの彼女が誰かを教えろ~と迫られてました」
「あぁ、なるほどな……」
*********************
水野の襲撃を受けたあと駅までの道を並んで歩いていると、角野が不服そうに文句を言ってきた。
「今更ですけど。小宮さんが女性と何かあるたびに、私が八つ当たりされるのはナゼなのか」
「さあな。俺のお気に入りだと思われてるとか。というか、もうどっちにしろ嫌な思いするんなら、いっそのこと本当に付き合ってしまったらいいんじゃないか?」
機嫌よく歩きながらフフンと笑うと角野は俺の方を「はい?」と振り返り、眉を寄せつつ手をブンブン振りはじめる。
「小宮さんと? いや、無理無理、無理無理、無理無理~~」
「はい」なんて答えは、少し、しか期待してなかったんで断られるのはある程度は想定内だったが───
(そこまで思いっきり拒否らなくてもいいだろーが)
「お前、いま無理って何回言った……」
徐々に徐々にムカついてくる気持ちを抑えながら低めの声で反論すると、角野は律儀に指を折って数えだした。
「えーっと、六回?」
「回数の問題じゃない……なんで、そこまで、理由もなく無理を連呼されなきゃいけないんだって意味だ」
「理由もなく?」
前を向いたまま雑に答えた角野に更にムカつき、一応は冗談に聞こえるよう続けて反論する。
「そうだ。俺、結構いい男だと思うんだけど?」
角野は俺から顔を背け、肩を揺らしながら笑いをこらえたあとグイッと半笑いで見上げてきた。
「んー例えば、 ”俺はいい男だ” と自ら言っちゃう所が無理とか」
「それは、身内ネタと言うか……イタイ発言でのウケ狙いだし」
「あ、イタイって事は自覚してたんですね」
「角野、俺はガチのナルシストじゃない」
思ってたより今のがウケたらしくブホッと吹き出して笑った角野は、その笑った楽しそうな状態のまま立て続けにダメな理由を言い出す。
「まぁあとは、女性に無駄に優しい事とその顔でやたらと微笑むんで、期待する人が多発して、女絡みの面倒が起きる確率が高そうな所とか」
「付き合ったら今以上に女性からの品定め的な視線や、嫌味なんかを言われるだろうから、それがとてつもなく嫌だから、とか」
―――まぁそれぞれに俺の言い分もあるが、とりあえずココだけはしっかりと押さえておこうと、角野の顔を深めにのぞき込む。
「角野。そんな視線や嫌味に関しては、好きな子をかばって守る気はかなりある」
さっきの水野との出来事を思いだし力強く伝えると、なぜか角野にもの凄く疑わし気な顔をされてしまった。
「えーほんとですか? 小宮さんは女性に対しては日和見的なとこあるからなー。ていうか、なぜこんな話になったのか」
「俺がそういう質問をしたからだろうな。で、無理な理由はそれだけか?」
「うーん、他には今すぐ出てこないですけど」
首を傾げてはいるがこれ以上は特に考える気が無いらしく、適当にボンヤリと返してきたので、無理な理由として上位を占めるであろうことを角野をチラ見しつつ尋ねる。
「ほら、生理的に無理とか、根本的に俺の性格が嫌いとか」
「あぁそっちですか。えーっと、生理的に無理でもないし嫌いでもないですよ」
「じゃあ、別に付き合えるんじゃないか?」
「そんなに単純なことじゃないのでは。というか、小宮さんも私と付き合う気なんて全然無いくせに(笑)」
今のに言葉を返す前に、一旦トンと立ち止まり悩んだ。
(これはいつも通り冗談めかすか、それとも真面目に答えるべきか)
悩んだ末、俺に合わせて同じく立ち止まった角野としっかり目を合わせる。
「いや、俺は女性として角野が好きだから付き合いたい」
冗談や軽口ではなく真面目に伝え、反応を確かめるように黙って見つめ続けた。
一瞬だけ無になり固まった角野だったが、
またからかわれた―――そんな呆れた表情にすぐ変化する。
「はいはい。ドーモ、ありがとーございます」
「………」
こら待て、角野。
なんだその単調で棒読みなシラッとした返事は。
俺は今、かなりの勢いで真剣に言ったはずだぞ。
あの言い方のどこが、からかっているように聞こえたんだ。
(気づいてないフリなのか? それならもう、そうだと言ってくれ……)
ここが自宅ならば、ばったりとベットにでも倒れ込んでいるであろう、そんなやさぐれまくりの落ち込んだ気分になり、
人の気持ちも考えず、呑気に俺の前に立っている角野に距離を詰めるようかのように大きく一歩近づくと、はい? と、のんびり見上げてきたその顔を両手で挟んで呆れ気味に告げた。
「角野、今のは冗談じゃない。―――頼むからいい加減そろそろ、俺が角野を好きで付き合いたいと本気で思ってる事に気づこう」
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