告白の連鎖



 火曜日に氷室とのお茶会があった、その週の金曜日。



 今日は取引先との忘年会に参加するので、仕事終わりに会社近くの喫茶店で時間をつぶしたあと会場に向かおうと駅への道をスタコラと歩いていたら、背後から女性に声を掛けられた。


「小宮さん!」


 立ち止まって振り返ると、先月以降は全く見かけなかったあの水野が特に悪びれた様子も無く笑顔でキャピッと手を振っている。


(おい、最後に会ったとき結構バッサリ斬ったはずだよな)


 しかしそんな事などまるで無かったかのように、水野は以前と同じく迷いなしにガシッと腕にしがみつき甘えた声を出す。


「今、帰りなんですかー?」


「はい。そうです」

 

 笑顔なしの単調な冷たい返しをした俺を、水野は ”何かありました?” てな感じで不思議そうに見つめてくるんだが、あまりの変化の無さにこの間の苛立ちが蘇ってきた。



 なんていうか。


 水野は、俺が「こんなことされた」と角野から聞いてるかも…とは思わないんだろうか。それとも知られていても全く平気…というタイプなんだろうか。



 そんな事を呆れ気味に考えていると、なぜかいつもよりテンションの高い水野が変にはしゃいで話し続けてくる。


「そうなんですかっ、私もなんですよー。一緒に駅まで帰りませんか?」

「いえ、急いでいるので無理です」


 かぶせ気味で勢いよく拒否したが、めげないのが水野だ。


「じゃ、私も急いじゃいますねー」


 早足で立ち去ろうとした俺の隣に並んで、同じく早足で歩き出す。


(これは駅まで一緒に行くことになりそうだ……)


 かなりうんざりした気分になってきたとき、水野がトトトッと小刻みな駆け足になり、俺の進行方向にドーンと回り込んで再び立ち止まらせた。


 それから、眉を寄せて俺を見上げてきたと思ったら、イラっとした不安げな口調で突然尋ねられる。


「小宮さん、彼女出来たんですか?」


「……はい?」

「彼女っぽい子と、腕組んで仲良く歩いてたって聞きましたけど」

「………」



(誰だ? そんなことを水野に吹き込んだヤツは―――って、考えるまでもないな)


 いやまぁ、そんなことはどうでもいい。



「それを誰に聞いたのかは知りませんが、彼女が出来ていたとしても水野さんには関係のない事ですから」


 面倒くさいという表情を隠しもせず「本当に急ぐので」と歩き出そうとすると、水野はガッと俺の腕を掴んで引き留め真剣な顔になった。


「ありますよー。だって私、小宮さんのことが―――」



(おっと、この流れで次にくるのは)



「ずっと好きなんです。だから、その子じゃなくて私と付き合ってくれませんか?」



(―――マジか!)



 まさか今更の告白なんぞをされるとは夢にも思っていなかったせいか、驚きのあまり水野の顔を見たまま無表情でしばらく固まってしまう。


 そして何にも返事をせず、ただひたすら沈黙をしている俺を見て


「迷いますよね。―――分かりました、返事は忘年会の時に聞かせてください。では」


 そう言って、振り返ることもなく素早く駅の方へと駆けてく水野。



 ……


 ……ん?



 ……いや、待つんだ水野。戻ってこい。


 迷っていた訳じゃあない、大丈夫だ。

 返事は今すぐ出来る。


 てか、させてくれ。



 顔は無表情で固まったまま、心の中では走り去る水野に手を伸ばし『待て待て~~』と叫んでいたが、そんな心の声が届くわけもなく。


 水野はもの凄いスピードで消えて行ってしまった。



(しかしアイツは、どんな図太い神経してるんだ。)



 ”お前なんかとデートする気は、この先ずっと絶対に無い”


 一ヵ月前にそう冷たく突き放された女が、OKしてもらえるかもしれない前提で告白してくるか? どう考えても普通に無理だろうが。


 ――――ただな、水野。


 お前のその、理解できないメンタルの強さがもの凄く羨ましい。

 角野が言うところの、”無駄に自分に自信がある” 俺ですらそう思う。



 水野に対してちょっと変な感心の仕方をしながらも、忘年会が開かれている店へと向かうため再び歩き出した。






   *********************






 水野に告白された週明けの月曜日。


 別に直帰でもよかったんだが、ここ何日か忙しくてマトモに角野と喋っていなかったので、なんとなく会社に戻って顔を見たくなり


 頑張って終業時間ギリギリに事務所に着き、片づけをしていた彼女に「ただいま」を言ったあと疲れた情けない声で訴え掛けた。


「角野、お腹が空いた」



「え? 私、いまお菓子とか持ってませんよ」


 年末の忙しさを知っている角野は可哀想な子を見る目で振り向くと、何もなくてゴメン…というオカン的な表情になる。


(いやいや、本気で飢えてるわけじゃない)


 ただ単に構って欲しかっただけなんだ…と笑えてきて、せっかくなんで角野を食事に誘うことにした。


「あーいや、お菓子はいらない。でも今から時間あるならご飯に付き合ってくれよ」

「今からですか?」

「そう。ダメかな?」

「んー。いえ、いいですよ」



 事務所を閉める作業を一緒にしながら以前に坂上と行った和食屋にするかと決め、駅とは反対方向にあるそのお店へと二人で向かう。


 店内に入って席に座り、注文を済ませた辺りでテーブルの上に置いてあった角野のスマホに着信がきた。ただ、着信画面を見た角野が微妙な顔をしたのに気づき


「それ、元カレから、だったりとかして」


 笑ってスマホを指さしながら冗談ぽく尋ねると、スマホを手に取り操作しだした角野が素で答えた。


「そうみたいです」



 ―――って、おい。ほんとに元カレかよ。



「へー。まだ連絡取り合ってるんだな」


「連絡取り合うというよりは、向こうから一方的にくる感じで。で、それに対してたまーに返信する程度で」


「ふーん」



(そんなのいちいち相手せずに、全部無視すればいいだろーに)


 面白くない気分でまだ下を向いてスマホを触っている角野を眺めていると、その視線に気が付いたのか角野が顔を上げ、そして俺と目が合ったあと急に面白がった表情になり軽くフハッと笑った。


「まー正直、連絡が頻繁に来るようになったのは小宮さんが原因のような」

「俺?」

「はい」

「俺、何かしたか?」


「ふっ。ほら、こないだ駅で会ったじゃないですか。なんだかアレからなんですよ。面倒なメールとかが増えたのは(笑)」


「あー。なる…ほど…」


 返事をしながら、あの時の自分の行動を思いだす。


(どうやら、また破壊力があることをしたか?)


 前にも似たような事したよな……と反省をしていると、思いっきり申し訳ない感じになった俺を見て角野が少し焦ったらしい。


「いえいえ、小宮さんのせいだと言った訳ではなくて、ただの冗談ですし」


 手を勢いよく横に振りつつ、角野も思いっきり申し訳なさそうな顔になる。


 

 なにを二人で無意味な反省してるんだか……とおかしくなってきたんで、足を組みワザとらしく格好つけてから、いつもの軽口を叩く。


「分かってる。でも俺が、背の高い素敵な男前なのが原因なんだよな」

「……あ、それ自分で言っちゃいます?」


 呆れている角野を見ながらニヤッと笑ってみせると、まーいつものことですけど…と角野も笑ってみせた。




 それから楽しくご飯を食べ、ごちそうさまでしたと店を出て駅へと向かっている途中、先週水野に会い告白をされたことを思いだす。


「そういや、今週の金曜は恒例の忘年会だったな」


 何気なく言ったつもりだったんだが、気づかぬうちに嫌そうな雰囲気が出ていたらしく、角野が不思議そうに尋ねてきた。


「なんでそんなに嫌そうなんですか、珍しい」


「ん? いや別に。忘年会が続いて、しんどいなーと思っただけだ」

「そうですか。まーもう36歳ですしね」

「……お前はそろそろ30だよな」

「確かに。でも40近くではないですし」



 どっちもどっちな、年齢での追い込み合いをしばらくした後



「どうせ角野は今年も行きたくないんだろ?」


 嫌なのは俺だけじゃないよな? という意味を含ませ聞くと、角野は本気で嫌そうにうなずく。


「はい。基本的に、団体での飲み会が苦手なんで」

「じゃあ、忘年会はドタキャンして、その日は俺の家で二人で飲み会しよう」


 からかい口調で背中をトントン叩き笑って顔をのぞき込むと、眠そうなボンヤリ顔をした角野が小さくため息をついた。


「まーそれもいいかも。忘年会より小宮さんと飲んでる方が楽しいですし」

「………」



 ――――どうした角野。


 ここは普段通り「無理ですから」と冷たくあしらうところだろ。

 嘘でも「いいかも」なんて突然言われたら………嬉しいじゃないか。



 自然と口元が笑うのを握った手で軽く隠し、眠そうな姿も可愛いよなと和んでいると角野のスマホにまた着信があった。


(それまさか、また元カレからか?)


 スマホを手に取り確認した角野が分かりやすく微妙な顔になったのを見て、その連絡を邪魔することができない立場であることに急に苛立ってきてしまい


 手を角野の頭にドンと乗せてから力を入れ、グイッとこちらに振り向かせる。


「なんですか?」


 立ち止まった角野が少しだけ驚いて俺を見上げたので、頭に手を乗せたまま顔を近づけ、目を細めて優しく笑いかけてからいつもの明るいノリで言う。


「角野。前にさ、一日位なら俺の彼女するの楽しいかもって言ってたよな」


 ―――だから今度の休みにでも、どこかに出かけよう。


 そう言って、デートに誘おうとした時



「小宮さん」


 前方から、聞き覚えがある女性の声で名前を呼ばれる。


 頭に乗せていた手を肩に落とし、顔を寄せたまま角野と二人して声が聞こえた方向へぐるんと顔を向けると、たぶん仕事帰りなんであろう氷室とその仲間たちがこちらを見ていた。


(おいおい。なんでこのタイミングで現れるかな)





「氷室さん達は、仕事帰りなんですか」

「はい。小宮さん達は二人でどこか行ってたんですか?」

「あーはい。お腹が空いたんで、ちょっと食事に」

「えー、私たちも一緒に行きたかったですー」


 氷室とその連れである女性二人にガッツリと囲まれ、ほぼ逃げられない状態で立ち話が始まってしまったが、俺の隣にいたはずの角野が見事にこの輪から弾き飛ばされている。


(慣れてはいる方だけれども、やっぱり女の集団は怖い)


 心の中で密かに毒づきながらも、食事会で会ったことがある女性がいるのに気づき、彼女らの背後へと視線を向け角野を紹介することにした。


「お久しぶりですね。あ、うちの事務員の角野には会った事ありましたか?」


 すると三人は、息ピッタリのタイミングで一斉に後ろを振り返った。


「はい角野さんですよね。お店に来られた時に見かけた事あります」

「私もお顔だけは知ってました。なんかー童顔で可愛い人だなって思ってました」

「そうそう、ナチュラルメイクですし」

「確かに可愛いですよねー。それに近くで見たら、年齢のわりにお肌が綺麗~~」


 挨拶を返す間もなく、次々と女性陣から嫌味な「カワイイ」攻撃を受けた角野は、はたから見てもかなり顔が引きつっているのが分かる。



(あーえっと。ごめん。俺がお前に注意を向けたせいで、こんなことに)


 あまりの申し訳なさに、頭の中ではズザザーッッと勢いよく角野に向かってスライディング土下座をしている俺がいたが、そんなアホな現実逃避をしている場合ではないので、ここは再び小宮に注意を引こう。


「というか、皆さんも可愛いですよ」


 満面の愛想笑いで彼女たちを褒めると、また三人は一斉にこちらを振り返り


「そんなことは───」


 まんざらでもない感じで照れだしたのを見て思わず沈黙してしまったが、そこで氷室が俺に向かってニッコリ笑いかけてきた。


「小宮さん。このあいだ話していたクリスマスの予定なんですけど」

「……はい?」


 意味が分からず眉をよせた俺をスルーした氷室は、チラッと角野へと目線を送る。


「えっと、いま話してもいいのかな?」


 思わせぶりな氷室から危険信号を察知したのか、角野が俺をほんの少しだけ横目で見てからよそいきの笑顔を作り、氷室らに会釈をした。


「すいません、急いでるので私は先に帰ります。お疲れ様です」


 それから小走りで立ち去った―――というか、逃げたな。



(いいんだ角野、今日は責めたりしない。あとで連絡するから……)






 結局、氷室が言ってた ”クリスマス” は「予定は入ったままですか?」という、どーでもいい内容だったようで。


 角野が去ったあとは三人と適当な会話をしながら駅へと向かって歩き、10分ほどで改札の前に到着すると、氷室以外の二人が手を振って帰って行く。


「じゃあ私たちは帰りますねー」

「はい、お疲れ様でした」


 小さく手を振る彼女らに笑顔で軽いお辞儀をし、改札に入るまでを見送っていると、氷室が俺のスーツの裾を軽く持ちツンツンと引っ張ってきた。


「小宮さん」

「はい、なんでしょう」

「さっき、角野さんに俺の彼女って言ってました?」

「………」


 この世の終わりかのような、もの凄く深刻な顔で尋ねてくる。

 


 てか、また器用にその部分だけがしっかりと聞こえたんだな。

 台詞の前後を聞けば意味が分かるはずなんだが……


 しかし角野に対して「俺のもの」的なことを言う度に誰かに聞かれて、そして追及されるよな。



 大した事じゃないのにと思わず苦笑いをしてしまったが、聞かれたのであればもう仕方がない。軽く流す感じでかわそう。


「あーはい、言ってましたけど深い意味は全くないですよ」


 軽くおでこを触りながら伝えると、氷室はワザとらしくホッとする。


「そうですよね。彼女とか、絶対にあり得ないですよね」

「………」


 角野に対して失礼な事を言ってる自覚があるのか無いのか。


 やたらと何回も頷いて納得しているのを見ていたら、そんなにあり得ないことでも無いだろ…と反論したくなり、そうですか? と眉をひそめて首を傾げた。

 

 「まぁでも、この先どうなるかは分かりませんけど」


 そのあと、切なそうにため息をついてから軽くうつむく。


「ただ、なんか心配させてしまってすいません。前に言ってた人と上手くいったら、真っ先に氷室さんに知らせますんで。それに氷室さんにも早くいい人が見つかるといいですね」


 言い終えると顔を上げ、嬉しそうにニッコリと彼女に笑いかけると、氷室は目をパチパチとさせながら返事をした。


「あ、はい。そう、ですね」



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