角野の傾向と対策(2)



 待っていなかった終業時間が訪れ、事務所の片付けもとどこおりなく終わり、あとは鍵を掛けて帰るだけ───という段になって社長の携帯がピロロと大きく鳴った。


 横目でその様子を確認していると、どうやら電話では無くメールだったようで、読み終わった社長は応接室へと向かう。


「ごめんなさい小宮さん。電話を掛けないといけないので、先に行っててくれるかしら」


 ソファーに座った社長は申し訳なさそうに俺に言うと、どこかへと電話をかけ始めた。


「あ、はい。いつもの喫茶店でいいんですか?」

「ええ、お願い。氷室さんが下で待ってるはずだから」

「分かりました」



 そのあと社長に言われた通り事務所を出ようと、行くぞ…という視線を角野に送ってドアへと向かったが


「どうぞ、お先に行って下さい」


 すでに逃げる気満々の角野が俺の背中を両手で押し、ほら早く…といった感じで氷室の元へと送り出そうとする。


(おい、何なんだ角野)


「そんな、わざわざ別に出なくても普通に一緒に帰ればいいだろ」


 サッと後ろを振り返った勢いでカウンターに置いてあった角野のカバンを手に取り、背中を押していたその腕を掴んで引っ張りながらスタスタと廊下を歩く。


 そして角野の二の腕とカバンを持ったまま連れ立ってビルの外へと出ると


「お疲れ様でーす」


 明るく笑顔の氷室がビルのドアの陰からひょこっと飛び出すように登場し、それから俺と角野を交互に見て、社長は? という顔になる。


「すいません、お待たせして。社長は後から合流しますので先に行きましょう」


 ニッコリと営業笑顔を作り、「ほら」と角野にカバンを返しつつ氷室の疑問に答えると、そのカバンの動きを目で追っていた氷室は俺と同じく笑みを浮かべた。


「そうなんですか」




 社長行きつけの喫茶店は、駅近くにあるんです───


 これから行く場所の説明を氷室にしたあと駅へと三人で向かい、途中にある横断歩道で信号待ちをしていたら右の横道から引田が現れたのが見えた。


 ゆっくり歩いてくる彼の動きを観察していると、何気にこちらを見た引田が「あっ」という表情をし、軽く会釈をしてから小走りで俺の所へと駆け寄ってきた。


「お世話になってます。お久しぶりです、小宮さん」

「久しぶりです。引田さんも仕事帰りですか?」

「いえ。まだ仕事で移動中なんです」

「あー遅くまで大変ですね」


 引田は俺の隣にいた角野にも挨拶をし「パソコンに不具合とかあります?」と二人で業務的な会話を始める。



 二人が話す姿をふーんと横で眺めていたら、氷室が俺のコートのそでをツンツンと引っ張って注意を引いてきた。「なんでしょうか」と顔を向けると、氷室は寒そうに手をこすっている。


「今日、本当に寒いですよねー。もう手が氷みたいに冷たくて。ほら、見て下さい。指先が白くなってるでしょ」


 ほら…と同時にニコっと笑い、触れと言わんばかりに自分の手を俺の目の前に差し出してきた。


(はいはい……)


 差し出された手を、片手で一瞬だけギュっと握ってからすぐに手を離し


「あーはい。本当に冷たいですね。冷え性ですか?」


 無難でありがちな感想を言うと、氷室が寒そうにまた手をこする。


「はい、そうなんです。早くお店に入って温かいココアとか飲みたいです」


 氷室は両手にハーッと息を吐いて手を温める仕草をしたあと、暖を取るように寄り添ってきてから自然な動きで俺の腕に右手を掛け、まだかな~と信号を眺めだした。



 そこでふと角野が何をしているのかと気になりチラっと隣を窺うと、顔半分隠すように両手でクイッとマフラーを引き上げていて、そしてそれを見ていた引田に心配そうに声を掛けられているところだった。


「角野さんも寒そうですね」

「はい。今日は特に風がキツくて寒いですよね」


 引田の方へと顔を向けた角野が眉をひそめて答えると、何かを思い出した表情になった引田は少し慌てた動きでゴソゴソとカバンのポケットに手を入れ


「あ、じゃあ───コレどうぞ」


 未開封のカイロを取り出しグイっと差し出した。


 ただ唐突な渡し方だったせいか、何が起こったのか角野は一瞬分からなかったらしく「ん?」と固まっていたが、すぐ理解したようで胸の前で「そんな、いいですよ」とブンブン手を振りはじめる。


「これは引田さんが使ってください」

「あ、いえ。コレはお客さんの所でもらったもので……それに僕は使わないですし」

「えっと、なるほど……。じゃ遠慮なく」


 一旦は断ったものの素直に頂くことにしたらしく、軽くお辞儀をし両手でカイロを受け取った角野は引田の顔を見上げ笑顔でお礼を言う。


「ありがとうございます」

「いえいえ」


 引田はフッと顔をほころばせて少し照れた様子になり、角野から目をそらすと正面を指さした。


「信号、青になりましたよ」

「あ、ほんとですね」


「………」



(―――高校生か! なんだその健全でほのぼのとした空気感は)



 カイロを大事そうに手に持っている角野に向かって穏やかな笑顔で話し掛けている引田、という二人の斜め後ろに付いて横断歩道を渡りながら、その二人の姿がいい意味で違和感が全く無いことにイライラが募ってくる。


(何をそんなに嬉しそうにしてるんだか)

(俺にはそーいう態度しないくせにな)


 いつもより女子になっている角野にモヤモヤしていると、横断歩道を渡り切った所で引田が俺らに会釈をし「じゃあ、僕はここで」と去っていった。




 引田は消えたが角野へのモヤっとした気持ちはまだ消えず、嘘くさい笑顔を顔に貼り付けてから角野の横にピタッとつく。


「角野、カイロ貰えてよかったなー」


 自分でも嫌な感じだと思いながらも少しバカにした言い方をし、それから顔をのぞき込んでヨシヨシと頭を撫でると、角野はムッとした表情で俺を見上げてきた。


「小宮さん。私、子供じゃないんで」

「そんなこと知ってる。でも、子供みたいな行動はしてるけどな」

「………」


 角野は更にムッとしたのか、返事をすることもなく無言でカイロをカバンに入れると、また寒そうにマフラーを口元まで引き上げた。


(これは怒らせたかも……)



「そんなに顔が寒いか?」


 ちょっと後悔しながら黙って隣を歩いている角野の左頬に手のひらをペタっとくっつけると、角野はムッとしていたのも忘れた感じでなぜか驚き一瞬だけ立ち止まったが、すぐに歩き出しいつも通りの淡々とした反撃をしてきた。 


「相変わらず手が温かいですねー。きっと心が冷たいおかげですよ」


 とても可愛くない事を言われた───のだが、これはこれで普段通りだと安心し、角野の頬をぐいっと引っ張ってからまた顔をのぞき込んだ。


「お前は相変わらず童顔だな。それと心が冷たいのはお前だろ」


 角野は正面を見たまま目をゆるく細め、小さくおかしそうに笑う。


「でもまー小宮さんは無駄に筋トレとか好きなんで、無駄に体温が高いのかも」



 たぶん、ではあるが一応は褒めてくれたようなので「そうかもな」と得意げに頷いてから、角野の顔の前で左手をヒラヒラと横に振ってみせる。


「この温かい手と無駄に鍛えた体は、俺を彼氏にするともれなく付いてくるぞー。とりあえずは手をつなぐとこから始めてみるか?」


 ニコニコしながら手をホレっと差し出すと、冷たい視線を浴びせられてしまった。


「え? いえ、絶対につなぎませんから」


「いやいや、ここは嘘でも『はい』って言えよ。分かった。じゃあそこら辺はすっとばして、もう次の段階に───」


「はい? なんですかその、次の段階って」


 楽しくからいだした俺に呆れつつも面白がっている、その角野の視線が俺の背後へと向けられた瞬間、盛大に目を泳がせ動揺したのを見て思いだした。


(───あ。そういや氷室がいた)



 時間にしたらほんの2,3分程の出来事ではあったんだが、角野に気を取られているその間は氷室の存在を完全に忘れていたので、ヤバイと焦って振り返ると思いっきり無表情で俺らを見ている氷室がいた。


 が、俺が振り返ったのに気が付いたとたん、ニッコリと笑う。


「ほんとに寒いんで急ぎませんか?」

「あ、そうですね」

 

 急に早足で歩き出した氷室の歩調に合わせ、俺も角野も早足で歩き始めた。





 駅近くで角野と別れたあと喫茶店へと入り、店員に二人分の注文を済ませたあと ”なぜこのお茶会が開かれたのか” という会話が始まる。


「今日は新年会の件で話がある、と聞いてるんですが」


「はい、そうなんです。ほんとは忘年会をする予定だったんですけど、みんなの年内の日程が会わなくて」


「そうだったんですか」

「それで今日は、その詳細について決めようかと───」



 新年会についての話をつらつら続けていると、 ”あ! 思い出しました!” そんな勢いのある表情をした氷室が明るく話題を変えた。


「そういえば。角野さんとはかなり仲がいいんですね」


 氷室の顔には少し緊張感が漂い、俺がどう反応するかを窺っている様子もありありとみて取れる。


(まさか、だが。これから探りを入れはじめる気なのだろうか)


 なんだよ面倒くさいな……と速攻でこの場から去りたくなったが、そうもいかず。仕方がないのでテーブルにあるメニュー表に気を取られているフリをしながら、ちょっとだけ投げやりに答えた。


「はいまぁ、六年も一緒に働いているので」


 この話題を続けたくなかったのでメニューを見たまま沈黙してみたが、氷室はまたまた明るく楽し気に話し掛けてくる。


「小宮さんって仕事以外の時は、ああいう感じなんですか?」

「えーっと、その ”ああいう感じ” とは……」


 顔を上げ、困った感じの苦笑いを浮かべて質問に質問を返したあと再び沈黙に逃げると、氷室は両手で頬杖をつき小さくため息をついてから俺を見てニコッと笑った。


「えっと。女の子をからかったりとか、ふざけたりとか」


「あーなるほど。……まぁはい、結構してるかもしれません。ただ誰にでもする訳では無いんですが」


 俺の答えを聞いた氷室は笑顔のまま目をスーッと細め、それから気遣っているような心配しているような口調になる。


「そうなんですか。でも人によっては、私に気があるのかも…とかって誤解されません?」


「………」



(いや、誤解もなにも。もの凄くしっかりと角野に気があるんだが)



「大丈夫ですよ、ノリがいい人にしかしませんし。それにもし誤解されたら……まぁそうですね、せっかくなんで一度付き合ってみます。ははっ」


 ニヤッと笑い、全てを冗談ぽく受け流すことでこの面倒な会話を早く終わらせようとしたが、氷室は眉をひそめて更に詰め寄ってくる。


「それ、相手が誰でも、ですか?」


「はい? あーそうですね。相手がうちの社長だったとしても、この際だから誰とでも付き合いますよ(笑)」


(というかもうストレートに、角野でもか? って聞けよ)


 イライラっと心でツッコミながらもおどけた感じでニッと笑うと、氷室が首を傾げて聞いてきた。


「えーそうなんですかー。じゃあ、私とでも付き合います?」



 俺の冗談に乗った風にはしているが目は真剣である。


 嘘でも「はい」なんて答えた日にゃ面倒なことになりそうな予感がしたので、お得意の愛想笑いと適当に濁した言葉でごまかすことにした。



「どうでしょうか。氷室さんには誤解させるような事してないですしね。というか、氷室さんは彼氏いないんですか?」


 彼氏…と聞いた氷室は、頬杖をついたままの状態で不服げな表情になり、分かりやすくプーっと頬を膨らませる。


「はい、今はいません。秋に別れたんです」

「そうでしたか、すいません」


 たぶんこういう展開になった場合には、氷室さんは可愛いからすぐ彼氏が出来ますよ…とか言って励ますのが正解だろうが、この状況では全くその気が起こらない。


 ここから意味なく二人して黙り込んでしまい、場の雰囲気が徐々に重くなってきた頃


「遅くなってごめんなさいね」


 大きな声で謝りながら社長がタイミング良く登場し俺の隣の席にドンと座った。

 そして素早く手を上げて店員を呼び注文をしてから、氷室に尋ねる。


「それで、どこまで話が進んでるのかしら?」





 三人で一時間ほど「新年会」の話し合いをしたあと社長とは店の前で別れ、氷室とは一緒に駅へと向かう。


 駅の改札を通った辺りで俺のスマホに着信があったので、ポケットから取り出し誰からのメールなのかを確認しようとしていたら、氷室が俺の腕を持って足を止めさせ重い響きで名前を呼んだ。


「あの、小宮さん」

「―――はい」



(おいおい、今度はなんだ)


 また面倒な事を言いだしたら俺は全速力で走って逃げるからな……



 スマホから視線と指を外し、うんざりした気持ちで氷室の方を向くと、氷室は大きな瞳をウルウルさせつつ可愛らしく首をかしげてみせた。


「クリスマスって、何か予定入ってますか?」

「クリスマスですか?」

「はい、24と25日です」


 予定は未定だが、ここで「まだ予定はありません」などと素直に言ったらどこかに誘われることは目に見えている。


「あーイヴもクリスマスも、予定が入ってます」


 考えるそぶりも無く笑顔であっさりと答えてから、再びスマホに視線を戻して誰からのメールかを見ると、その態度に氷室はちょっとひるんだようだ。


 しかしすぐに今度は悲しそうに尋ねてきた。


「そうなんですか。このあいだ言ってた、好きな人と一緒ですか?」

「いえ、違います」

「じゃあ、誰と予定が入ってるんですか?」

「………」



 なんだか今日の数時間で、好きではないが嫌いでもなかった氷室の事がもの凄くうっとおしく思えてきた。


 すぐにでもこの場を切り上げたくなったんで、顔全体でニッコリと笑う見るからに営業の笑顔を作ってから淡々と答える。


「誰かは氷室さんに言う必要ないと思います。あと、すいません。今日は今から用事ができたので別方向の電車に乗って帰ります」


 スマホを軽く傾けて用事が出来たと言い、それから他のホームへの階段に視線を向け帰りたそうにすると、氷室は目を少し見開いたあとうろたえた表情になった。



「では失礼します。今日は社長に付き合ってもらってありがとうございました」


 軽いお辞儀をしながら別れの挨拶をし、氷室が歩き出すのを待つ。


「いえ……じゃあ、また」


 彼女はいつものホームへタタタっと早足で歩いて行った。



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