伝わらない好意



 とうとう氷室たちと食事に行く金曜日になり、今日は社長も俺も外出先から直接待ち合わせ場所に行く約束になっているんだが、最後の仕事が終わって時計を見ると、今から戻ればまだ角野が会社にいるかも…という時間だった。



 (今日は朝一からずっと外回りだったし……)


 自分に言い訳しながらそそくさと帰ってみたら、もう帰ろうとしている感じで机の前に立っていた角野が、ドアが開く音に反応してこちらを振り返ってきた。


 しかし会社に戻って来ないはずの人が現れたので驚いたのか、角野はすぐに、まさか忘れてるとか? てな表情になった。


「あれ? 小宮さん今日は直帰で、そのまま食事会なのでは」

「大丈夫、忘れてない。待ち合わせまでまだかなり時間があったんで、一旦戻っただけだ」


 だから「一緒に時間まで待ってましょうか…」とか言ってくれないかなと、ドアの前に立ったまま、期待を込めた視線で角野を見つめていたが


「そうですか。じゃあ、小宮さんに鍵閉めを任せて私は帰るんで。お疲さ───」


 角野は俺の熱い視線の意味なんぞ全く理解せず、机にあったカバンをサッと持ち別れの言葉を言うと、仕事は終わったとばかりに素早く歩き出す。



「待て角野……いいんだ、いま閉めよう。俺は外で時間潰すつもりだから」


 思わず、こら待てとドアの前で腕をつかんで引き留めると、外で時間を潰すのならなんで戻ったのか…そんな顔をして振り返った角野に笑顔で言った。


「ただ、まだ一時間もあるから暇つぶしに駅まで送る」

「はい?」




 それから一緒に駅までの道をゆっくりと歩き、今日の出来事などを話している途中で角野の肩に手を置いて顔をのぞき込み、問いかけではなく決定事項として伝える。


「そういや、今日するはずだった角野とのご飯、来週の金曜に行くからな」

「そんなに気を遣わなくていいですよー」


 こちらを見上げてきた角野がなぜか少しすまなそうにするので、「何を言っている」と笑いながら頬を指でブスっと突き刺した。


「俺が角野と行きたいから誘ってるだけで、気は遣ってない」


「───痛いんですが」

「あーごめん(笑)」





 改札を通って帰って行く角野を寂しく見送ったあと、しばらく喫茶店で時間をつぶしてから待ち合わせ場所へと向かう。


 10分ほど早めに着いたせいかまだ誰も来ておらず、仕方がないので更に暇をつぶそうとスマホを手に取ったんだが、


(角野はもう家に着いただろーか)


 ふと思い立ち、仕事とは関係がないLINEを珍しく角野に送ってみた。



『いま食事会の待ち合わせ場所に着いた』



 送信したあとは目の前を歩いていく人などをボーっと観察し、そろそろ社長あたりが来る頃かもなーとか考えているとスマホがブルッと動いた。


(───お、角野かも)


 画面をタップするとやはり角野で、意外に早く返ってきたことに俺の機嫌がフフンと良くなる。


『いいお店そうですか?』


 この時点でも、まだ誰も来ていなかったので会話を開始することにし───



 ・

 ・

 ・


 まだ行ってないから、どんな店なのかは不明

『そうなんですか』


 終わったら報告する

『たぶん寝てるんで報告はいいです』


 え。俺、角野に聞いてほしいのに

『私は別に聞きたくないですから』


 いや、聞けよ

『すでに眠いんで無理です』


 俺と睡眠、どっちが大事なんだ

『迷わず睡眠ですね』


 ・

 ・

 ・


 角野 ……お前、チャットだと冷たさ倍増だな。



 あまりにも淡々とした会話をされた事や、自分が眠気にあっさりと負け捨てられてしまった事に苦笑いしつつも


(でもなんか、この冷たい感じがやけに可愛いし)


 ヘラっと笑って画面の文字をなんとなくもう一度見ていると、どこからともなく現れた広瀬が横からヒョイっと画面をのぞき込んできた。


「あ、LINEっすか?」

「───はい」



(お前、挨拶も無しで、しかも人のスマホを勝手に覗くなよ)


 分かりやすくムッとした表情を見せ画面をパッと隠したが、広瀬はそんな俺の行動に堪えることなくチャラっと会話を続ける気のようだ。


「もしかして、彼女さんですか?」

「いえ、違いますよ」

「じゃ、女友達とかですか?」

「まぁ、はい」

「へー」


 広瀬との会話を終えたあと、彼と一緒に来たのであろう氷室や男女一名ずつの社員の方々に挨拶をしていたらやっと社長も現れたので、全員集合したところで目的の店へと歩き出した。




「ここカジュアルフレンチのお店で。一度、来てみたかったんです」


 目的の店の前に着くと隣にいた氷室が嬉しそうに俺に言ってきたので、今日の店はたぶん彼女が決めて社長がOKを出したんだろう。


 しかし、いかにも若い女子向きなキラキラした店構えを見て、おっさんの俺は少し引いているけどな……



 店内に入った所でグルッと辺りを見回してみると、やはり客の半数以上が若い女性のようで、やっぱりそうか…とか思いながら案内された席に座る。


 そしてコースメニューの肉と魚、どっちにしようかと悩んでいると、隣に座っていた氷室が楽しそうに話し掛けてきた。


「小宮さんは、”フィレ肉のポワレ” の方が好きそうじゃないですか?」

「ポワレ? ……あーはい、そうかもしれません」



 注文した料理が運ばれてくると、皆で仲良く談笑しながらゆったりとした食事をし、食後のコーヒーを飲み終え「帰りましょう」と立ち上がった頃にはすでに21時が過ぎていた。


 そこから社長が清算をしたり女性陣がお手洗いへと行ったりして、店の外でしばらく待っている時間が続いたので、この時にこそっと報告メッセージを角野に送った。


『食事会終了。なんとフレンチだった』



 


 駅に着くと「同じ方向に帰ります」とまた氷室に言われたので、一緒に電車に乗り込み並んで窓際に立ち、いつものごとく当たり障りのない話をしていたら、突然氷室が勢いよく俺に近寄ってきて顔をググっと見上げてくる。


 「なんですか?」


 少し体を後ろに引きつつ眉をひそめると、氷室が詮索するかのような視線を送ってきた。


「さっき広瀬くんが言ってたんですけど」

「はい」

「小宮さんには、気に入ってる女性がいるみたいだと」

「………」



(広瀬はまた、なに勝手なことを喋ってるんだ)



 イラッとは多少しつつも、別に大した事ではないので適当に流そうと口を開きかけたのだが、そのとき不安げな氷室の顔を見て思いつく。


 ―――これは好意に気付いていないふりをすれば、諦めてもらえるかも。



 そこで、わざとらしく頭をかいて照れたような雰囲気を出し、ニコニコとした満面の笑みで言った。


「はい。気に入ってるというか、―――好きな人ですね」


 すると氷室は「えーそうなんですかー」と俺の腕を軽くパシパシと叩きながら、詮索視線のままでニッコリと笑う。


「その女性ってどんな感じの人ですか?」

「んー基本の性格は真面目で、可愛い感じです」

「その人とうまくいきそうなんですか?」

「どうですかね。すでに一年越しですし」

「一年……」


「はい、振り向いてもらおうとずっと頑張ってるんですけどね」

「………」


 そこまで言うと氷室は分かりやすく動揺し、それからしばらく何かを考えた感じになった───と思ったら、急にウルッとした瞳で俺をウットリ見上げてきた。


「小宮さんってやっぱり誠実で、しかも一途なんですね」



 ───いや違う、そういう事じゃないんだ氷室。


 前々から思ってはいたが、お前は俺のことかなり理想化してるよな。

 もういい。また別の手を考えよう。



 知らず知らずのうちにうつむき加減になり深いため息をフーッと吐いていると、ポケットに入れていたスマホがブルッと動く。


 「すいません」と氷室に断ってから取り出し確認をすると……おっと、角野だ。


『なんで私が行かない時に限ってフレンチなのか』


 思わずニヤっとしながら画面を見ていると、氷室がこちらを窺ってきたのに気づいたので「すいません、ちょっと」とまた断ってから返事を打ちはじめた。



 ・

 ・

 ・


 フレンチがいいなら、今日の店に金曜にでも行くか?

『味がよくて気軽な感じだったんなら行きたいです。ではまた寝ます』


 美味しかったし、気軽な店だったから大丈夫。じゃ、おやすみ

『おやすみなさい』


 ・

 ・

 ・



(角野、俺より睡眠の方が大事だとか言ってなかったか?)


 なんだかんだ冷たい事を言っても、結局は俺に甘いんで無視できないとみた。

 ふっ、そんな所がまた可愛いぞ角野……



 口元が怪しく緩みそうになるのをグッと我慢し、一人ジタバタ心で「可愛いっ」ともだえていたら、気になってきたらしい氷室がその場の沈黙を破る。


「さっき言ってた人からメールですか?」

「あーはい、そうです。食事に誘ってたんですが、いまOKもらえました」


 半分は嘘の答えではあるが、今度は本心からニッコニコして返事をすると、さっきまでとは違い「そうですか」と暗くなった氷室は、静かに窓の外の景色を見始めた。






   *********************






 食事会を無事に済ませた翌週も、角野がデパ地下に行くと聞けば「俺も行こうかなー」と付いていき、別の日は「帰っても暇だからちょっと付き合え」と喫茶店へと連れて行き。


 もう機会があれば、とりあえず角野の周りをチョロチョロしまくった。




 そんな健気なことをしていたら約束の金曜になったので、あのフレンチレストランへと再び行くと、俺の顔を見た店員がとてもいい笑顔で挨拶とお辞儀をしてきた。


「あっ、またご来店頂きありがとうございます」

「あーどうも」


 適当な返事とお辞儀をし返していると、角野が不思議そうに聞いてくる。


「ここ、何回か来てるんですか?」

「んーいいや。この間の一回きり」

「……また顔を覚えられるの早いですね」


 そこに違う店員が「お席に案内します」と現れたので、角野の背中に手を添え軽く押して先に歩かせ俺も後に続く。


 席に着くと女性店員に笑顔でメニューを手渡され、彼女が料理の説明を色々してくるのを真顔でフンフンと適当に流し聞いたあと、角野にニッコリ微笑んで尋ねた。


「どっちがいい?」

「じゃあ、えっとお魚の方で」


 なぜか引きつった顔で答えてきた角野を疑問に思いながら、俺も注文を済ませる。



「さっき、なんで顔が引きつってた」


 店員が去ってから訝し気に聞くと、角野がおかしそうに口元を緩めた顔を俺に近づけた。


「ほら、あの店員にイラっとした視線で見られたんで」

「そうか? あの店員、物凄く笑顔だった気がするけど」


 あの子の愛想は良かったよなと、去っていく店員の後ろ姿を見ていると、微妙に責める目つきになった角野につぶやかれた。


「あの態度の違いに気がつかないとか……」


 それからグーにした両手にあごを乗せた角野は、眉をひそめて俺をジロジロと見る。


「しかし小宮さんは、見られることに本当に慣れてますね」

「ん? あーまぁ、どっちかといえば慣れてるかもな」


 なんで急にそんな話になったのかと思いつつ頷くと、あごにあった両手を頬へと滑らせ軽く顔を覆った角野が悲し気にまたつぶやいた。


「というか、今日は女子が多めのせいか、かつてないほど周りの視線が痛い……」






 食事が終わり店を出て、隣で「久々のフレンチは美味しかった」とホクホク顔で歩いている角野の姿を見てたら笑えてきて、次に行く約束をすぐにでもしたくなった。


「来週もご飯に誘う気なんで、お店の希望があったら聞いとくけど」


 角野はトンと立ち止まり、何かを探るように俺をジーっと眺めてくる。


「えっと、彼氏との事はそこそこ立ち直ったので―――」

「はい? あーそうなのか?」

「はい。だからそんなに気を遣って誘ってくれなくてもいいですよ」


 彼氏じゃなくて元カレだろ……と密かにイラッとしながらも、そういえばこの間も同じようなことを言ってきたなと思いだす。


(でも今の感じだとたぶん、無理して気を遣うなという意味で、もう私を誘うのは止めろと言ってる訳じゃあないよな?)


 とりあえずは申し訳なさそうにしている角野に優しく笑い掛け、再び歩き出しながら真面目に伝えた。


「この間も言ったけど俺が角野と行きたいから誘ってるだけで、別に気は遣ってない。それともまさか、元カレと復縁するかも…とかなのか?」



 おっと。つい口から出てしまったが、

 マジで「はい。復縁するんです」とかは止めてくれよ。



 自分で聞いときながら、それは無しだ…と動揺したのを笑顔で隠しつついつもの軽口に戻した。


「あーそれか、俺の下心を感じたんで二人で出かけるのが嫌になったとか?」


 からかう感じで片眉を上げてみせると、角野はアハハと笑う。


「いえ、復縁もしてないし下心も感じてないんで。ただ他の用事もあるかもしれないのに、時間とらせて悪いなーと思っただけです」


(いやいや。復縁が無いのには安心したが、ちょっと位は俺の下心を疑ってくれ……) 


 そこそこのアピールはしてるのにな……とやるせない気持ちで角野の頭に手を柔らかく乗せ、いつものごとく本気のセリフを冗談めかす。


「それだけの事ならまたどっかに行こう。だけど、下心の方はしっかりあるから安心しろよ」


「小宮さんは安心の使い方をいつも間違ってる気が」

「そうか?」


 楽しくツッコミを入れてくる角野を見ていたら、なんとなくスルッと言葉が出てきた。


「まあな、下心は横に置いとくとしても―――俺が彼氏なら角野を守る努力はきっとするから、安心はできると思うんだけどな」



 すると角野はおかしそうな息をふっと吐き、


「小宮さんその顔で言われると、なんだか本当にそんな気がしてきますねー。でも、なんというか」


 角野はそこで苦笑いしながら俺を見上げてくる。


「この二週間ほど小宮さんとあっちこっちに出かけて実感したんですけど、イケメンの彼女になる人って本当に大変なんだろうなーと……」


 それから「単なる同僚の私でも、結構女性に絡まれますしねぇ」と悲しげに言った。



 ―――待て待て。なんでそうなる。


 どうしてだ。


 どうして角野と付き合いたいと、頑張って距離を縮めようとすればするほど

「小宮が彼氏? 無理無理~~」てな方向へと流れていくんだ。



 一人静かに落ち込んだが、それと同時にムカついてもきた。


(なぜ、そういつもお前は俺に否定的なんだ)



 立ち止まり苦笑いしている角野をしばらく眺めたあと両手で顔を強めに挟み、そして更にググッと手に力を入れる。


「大変かどうかは、実際に付き合ってみないと分からないだろ。勝手なことを言うな」


 怒りを含ませた軽いにらみを利かせると、焦った角野は顔を挟まれた状態のまま即座に謝ってきた。


「まー確かにそうですよね。すいません」


「じゃあ俺と付き合ってみるか?」

「いえ、それはちょっと……」

「………」



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