プロポーズと氷室は突然に
坂上と飲みに行った週明け月曜の夕方。
自分の仕事がひと段落して落ち着いたので、金曜に坂上を待っていた時に起きた出来事をボーっと思い出していると、ひたすら仕事をしていた角野もお茶を一口飲んだあとボーっと休憩をし始めた。
(お。くつろいでいる……)
事務所にのんびりした雰囲気が漂ったのをキッカケに、隣を振り返り話し掛けた。
「そういや、坂上が今度また飲みに行こうって言ってたぞ」
「あ、本当ですか? 私も行きたいですって伝えておいて下さい」
こちらに顔を向けて楽しそうに答えたのを見て、少しだけ気になっていたことを何気に質問してみた。
「……角野って、坂上のこと結構気に入ってるよな」
「はい、好きですよ。いい人ですよねー」
───やはりそうですか。
二人が話している時の様子を見ていたら、なんだか妙に通じ合ってる部分があったような気がするんだよな。それに何なんだあの「アノ件」ってのは。
坂上にそれとなく聞いたら「角野さんに聞けよ」と軽く流されたし。
「あのさ……」
また前を向き静かにお茶を飲み始めた角野に声を掛けこちらを振り向かせ、もの凄く気になっている事が悟られないよう、いつものシラっとした雰囲気で尋ねる。
「いま思いだしたが、坂上が言ってた ”相変わらずのあの件”とは一体なんの事なんだ」
角野はちょっと目を見開き、それからフッと息を吹き出して笑う。
「あーあれ」
そのあと、どう答えようかと考えてる感じで目線を上に上げてから、おかしそうな表情で坂上と同じ返事をした。
「まー大したことでは―――ふ、でもこれは坂上さんに聞いた方がいいかも」
(なんだおい、息が合い過ぎだろ――)
「あーそうか? いや別に何の件でもいいんだけど、ただ愚痴なら俺も聞けるぞと思ってさ……」
とっさに優しそうな表情を作り、俺だって相談に乗れるぞと暗に伝えると
「あ、なんていうか。小宮さんに聞いてもらうような、愚痴じゃあないんで」
悩むことなくサラッとお断りされてしまった。
───どういうことだ、角野。
坂上が「愚痴なら聞くよ」と言った時には、とてもいい笑顔で「是非お願いします」とか言ってたくせに、俺が同じことを言うと
「ありがとうございます」「いいです」てな返事だけで、「是非に」「お願い」とか言わないのはなぜなんだ。
(一回、しかも二時間くらい喋っただけの坂上より頼られない俺って……)
頭を抱えてバッタリと倒れ込みたい、そんなガックリした気分で「そうか……」と、自分ではかなり悲し気に返事をしたつもりだったが、
俺のプライドが傷ついたことなんぞ全く気にも止めず気づかずの角野は、小宮の悲し気な返事をいい感じでスルーし、再びお茶を飲んでボーっとしている。
その姿をしばらく寂しい気持ちで眺めていたら思いだした。
(いや、そうだった。あの件なんかよりも、こっちが聞きたかったんだ)
「そうだ、俺らと別れた後、距離置いてた彼氏に会ったんだよな」
「……あ、はい。会いましたよ」
「何か、進展があったとか」
「………」
角野は持っていたマグカップをそっと置いた後、両手で頬杖をついてから俺の方へと顔を向け、なんて言おうかという感じで目線をさまよわせ戸惑った雰囲気を出す。
そして困ったような半笑いで答えた。
「なぜだか、プロポーズされてしまいました」
思わず角野とガッチリ目が合い、不可抗力でなんとなく見つめ合いながら言われた事の意味を考え───
「―――はい?!」
速攻で我に返り思いっきりのけぞって驚くと、角野も苦笑いしつつ頷いた。
「ふっ。ほんとに、はい? ですよね」
結婚が決まったら――、今回でダメだったら――
なにかのきっかけがあれば諦めようと、しょっちゅう思ってはいたが、さっき「本当にそうなるかも」となった時の動揺が思っていたより大きかった事に、更にいま動揺しているという状態だったりする。
隣で角野は、誰に言う感じでもなく
「しかし今までも機会があったはずなのに、何でこのタイミングで―――」
「昨日、母から電話が掛かってきて、どうなってるのかと聞かれて―――」
珍しく彼氏の事をペラペラと呆れた感じで喋っており、その喋りにフンフンと適当に頷きながらも考えていた。
(思っていたより彼氏は、寄りを戻そうと必死なのでは……)
これは様子見しようとか言って悠長に構えていたら、手に入るものも入らないのではないか……と心ひそかに焦りはじめたが
(しかし結局は受けたのか、それとも断ったのか、どっちなんだ?)
前を向いて淡々と喋ってる姿を見ながら、座っていた椅子を動かし角野に少し近づく。
「角野」
名前を呼んで注意を引くと、振り返った角野と自然に顔を見合わせた状態になり、そして「何ですか?」という感じで首を傾げた様子を眺めてから
「結局、断ったって話なのか?」
いつも作る興味なさげな雰囲気を作ることも忘れ、あまり見せない難しい表情をしながら勢いよく尋ねると、また戸惑った感じになった角野がゆっくりと答えた。
「あ、えっと。細かく話すと長くなるんですが……はい、断りました」
「そうか」
それなら一旦は安心だ…とホッとしたが、さっきみたいな衝撃を受けるのはかなりキツイ―――
(というか、自分が思っていたよりも案外本気だったのかもな)
一瞬の動揺のあと角野に対する気持ちが改めて固まったことで、もう様子見は止めしっかりとした行動を起こすことにした。
「角野、今日の帰りご飯食べに行かないか?」
「ご飯ですか?」
さっきまでしてた会話の流れと全く関係がない、「ご飯」に突然誘われたので不審そうになった角野にニッコリ笑い掛けてお願いをする。
「そう。というか一人じゃ寂しいんで、ついて来てくれ」
「ついて来てって……」
なにを女子高生みたいなこと言ってるんですか、と笑った角野は、一分ほど考えたあと頷いて返事をしてきた。
「いいですよ。どうせ帰っても暇ですし」
(お、以前は彼氏が……と断られた食事をOKしたぞ)
テンションが軽く上がってきたので、グイッと椅子ごと体を角野に近づけ「どこに行こうか」と更に話を続けようとした時、事務所のドアがガチャっと開いた音が聞こえた。
(どうせ社長だろ───)
ドアに注意を向けるとやはり社長ではあったんだが、それに続いてなぜか氷室が笑顔で入って来る。
ただ、まぁなんというか。
俺が角野に体を近づけたせいで、寄り添って座った二人が顔を近づけて親し気に話している―――ように見えたであろう場面に遭遇した氷室は、目を見開いて驚いたあと無表情で角野の顔をジッと見はじめた。
「こんにちは。今日はどうしたんですか?」
氷室に気づいた時点ですぐに立ち上り挨拶をしたあと、なぜ事務所に来たのか? という疑問を表情にのせて質問をすると
「こんにちは小宮さん」
氷室はとてもいい笑顔で挨拶を返してきてから可愛らしく小首を傾げ、一緒に戻って来た社長の方を見つつ質問に答えた。
「さっき外で偶然、社長さんと会ったんです」
「そうなのよ。それで一度、会社を見てみたいって言うから連れてきちゃった」
氷室の会話を引き継いだ社長は、続けてキャッと嬉しそうに言いながら勢いよく肩をすくめる。
「それにほら、氷室さんが広瀬さんとの食事会のことでお話しましょ、て言ってくれたから」
「………」
そのあと氷室を自ら応接室へと案内した社長は、角野には「お茶、お願い」と指示を、小宮には「こっちにきて」と応接室を指さした。
応接室で社長と氷室が話しているのを眺めながら、密かにため息をついた。二人が話している内容は言ってた通り本当に広瀬のことばっかりで、本気でどうでもいい。
「食事する時には小宮さんも参加ですよー」
とか氷室にたまに会話を振られると「あーはい」と笑顔で返事をしてはいたが、いまのとこ、二人の横でニコニコ笑って頷いていること以外に俺が応接室にいる必要性が全くない――――
そんなとってもつらい状態が30分ほど続いた辺りで終業時間になった。
頼む、話を終えてくれ……そんな気持ちを込めて社長を見つめていると、その視線に気が付いた氷室が「あ、じゃあそろそろ」と立ち上がってくれた。
(よしっ)
俺も素早く笑顔で立ち上がりドアの所までお見送りをしようと歩き出すと、氷室は「あっ」と思いだした風に胸の前で突然手をパチンと合わせ、そしてやけに大きな声を出す。
「あの、この間渡したお弁当の箱、もし今あれば持って帰ります」
「あ。はい、ありますんでちょっと待ってくださいね」
自分の机へと歩いていき、今度店に行く時に返そうとしまっていた弁当箱を取りだして氷室の元へと戻り、軽いお辞儀をしながら手渡す。
「ありがとうございました。洗ってますので」
氷室は受け取りながら嬉しそうに微笑む。
「美味しかったですか?」
「あーはい」
「よければまた作ってきますよ」
「いえいえ、もういいですよ」
ここはしっかりとお断りをする返事をしていると、みるからに乙女な笑顔をしている社長が横からちゃちゃを入れてきた。
「あらあら、お弁当作ってもらうなんて彼女みたいでいいわねー。小宮さんお礼した? まだならお茶でもおごってあげたら?」
(なにを氷室に肩入れしてるんだ社長───)
すかさず社長の方を向き、余計なことを言うな…と無言で圧力を掛けていると
「え、お茶なら行きたいです。今からでも私は空いてますけど」
社長の言葉を聞いた氷室が「いいんですか?」という冗談ぽい空気感を作りながら、また手を胸の前で合わせ小宮の顔をジッと見て返事を待ちはじめた。
そんな氷室の方へとゆっくり視線を戻してから、お断りの言葉を伝える。
「あーいえ、すいません。今からは無理です」
「………」
「………」
女子の恋バナ的なほんわかした雰囲気になっていた状態で不愛想に断ってしまったせいなのか、社長と氷室が「えっ」と固まり、それから事務所全体に変な沈黙が広がってしまう。
(いや、なんだこの居たたまれない雰囲気は……)
「えーっと。だから、またの機会にでも」
「そうですよね、急に言っても無理ですよね。じゃまたの機会に」
ヤバイと後から笑顔で言葉を付けたすと、夢から覚めたかのような顔をした氷室は軽い会釈をしてから帰る体制に入ってくれたので、再び「すいません」と謝ってから彼女を見送った。
「どうせなら氷室さんも、ご飯に誘ってあげれば良かったのでは……」
仕事が終わり、ご飯を食べるため店へと向かって一緒に歩いている途中、顔を見上げてきた角野がそんなことを言ってくる。
(いや角野、それは無理な話だ)
今日のご飯は二人で行くことが目的なんだ、と心でつぶやいたあと、社長のせいで誤解をされたら困ると意志表示をすることにした。
「あー氷室には全く興味が無いから、期待させるような事は避けた」
「え、全くですか? あんなに可愛いのに」
「ん? そうか? 俺は角野の方が可愛いと思うけどな」
「………」
ただ単に素直に褒めただけのつもりが、なぜか角野は「なんだコイツ」という、うさんくさい眼つきで俺を見てくる。
「いや、からかってないし、面白がってもないし、バカにもしてないからな!」
「へーそうですか」
「素直に褒めただけで、このあと『本気にしやがって』とか言って角野で遊ぶ予定は全く無い」
「へー。じゃ、本気で氷室さんより私の顔の方が可愛いと?」
「あーそれは……まぁ顔の比較だけで言った訳じゃないけどな」
「小宮さん。そこは『思ってる』と嘘でも言うところでは?」
「………」
角野は俺が追い込まれていくのを楽しそうに見ながら、「今日は小宮さんのおごりでいいですよねー」と満足そうにほくそ笑んだ。
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