小宮、少し本気を出す

イライラする小宮



 食事会があった次の日の夕方、自分の机に向かって仕事をしながらチラチラと横目で角野の様子を観察していた。



 昨日聞いた「彼氏は他の事に興味が…」というのが気になっており、仕事が暇そうになったら話を切り出そうとしていたんだが、こんな日に限って忙しいらしくずーっと真剣に仕事をしている。


 (どうも声を掛けにくいな……)


 何度かそっとチラ見をしていると、角野が隣にいる俺の妙な気配と視線が気になってきたようで、少し不快気に眉をひそめられてしまった。


「なにか頼み事でもあるんですか?」

「いや、別に……」


 まぁ確かに、しょっちゅうチラ見されたら誰だってイラつくよな。

 なのでしばらくは、大人しく自分の仕事に集中することにした。



 そんな角野と彼氏はすでにもう一年以上は付き合っており、まーそれだけの期間付き合っていれば一度や二度は喧嘩をして険悪な雰囲気になるというのはよくある出来事だと思う。


 でもそのケンカの原因によっては険悪状態が長引くだろうし、そうなれば俺が待っていた「状況の変化」がくるかもしれない、とかなり期待している。


 ただ、角野は彼氏が出来た事すらも聞かれるまで教えなかったように、自発的に彼氏についてを話すことをほとんどしない。だから同僚として「相談に乗って」話を聞き出す、という手段を取ろうかとも考えた。


 考えたが、それ以前にそもそも角野が俺に何かを相談したことあるか?

 昨日だって「相談に乗るぞ」と言ったら面白がられたしな。


 角野に頼られる事がほとんど無い今の状態では、相談という手段は難しそうだ。



(なんでも頼ってもらえたら、全力で助けるのにな――)


 一応年上だしさと、ついまた角野を見てしまったら、その気配に気が付いたのか今度は静かにため息をつかれた。


「小宮さん。タイミングをはからなくていいんで、何の用か言って下さい」

「いや、別に……」






   *********************





 あの食事会があった数日後、仕事を終えたあと角野と一緒に会社を出て駅までの道のりを楽しく歩いていると、背後から声を掛けられた。


「小宮さん」

「はい」


 返事をしながら振り返るとそこに氷室が立っている。

 思ってもみなかった相手だったことに少し驚きながらも


「お世話になってます、氷室さん。……偶然ですね」

「こちらこそお世話になってます。ほんと偶然ですねー」


 二人で挨拶を交わしたあと氷室は俺と、俺の横に立っていた角野を交互に見てからニッコリ微笑んで尋ねてきた。


「いつも一緒に帰ってるんですか?」

「あーいえ、いつもでは。あがりの時間が合った時だけですね」

「そうですか。――小宮さん、急いでます?」


 氷室のその言葉を聞いたとたん、角野は俺に向かって手をヒラヒラと振る。


「私は先に帰りますんで」


 それから氷室にも挨拶をして、スタコラサッサとまるで逃げるかのように駅へと向かって歩いていった。


(こら待て角野。なんでそんなに、いつも逃げ足が速いのか)



 逃げてく角野の後姿を、おいおいまたかよ……と見送っていると、氷室がトントンと俺の腕を叩いて注意を引いてきたので隣へと顔を向ける。


「そういえば、氷室さんも仕事の帰りですか?」

「いえ今日は休みなんですけど、出てきてて」

「あ、そうでしたか」


 しばらくは当たり障りのない会話を続け、それが少し途切れたところで


「あっそうだ。食事会にいた派遣の秋本さんっていたじゃないですか。あのあと広瀬くんと、仲良くなったみたいですよー」


 何気ない明るい口調で氷室が秋本の話題を突然出してきたんだが、見上げてきたその顔を見たら思いっきりうかがう感じで俺の返事を待っている。



(えーっとまさか、俺が秋本を気に入ってるかどうかの確認ですか?)


 

「へー、そうなんですか」


 ちょっと笑えるんですが…とか思いつつ、それがどうかしたのか? てな表情で眉をひそめて答えると氷室がそれに大きくうなずく。


「そうなんです。意外にあの二人は意気投合したみたいで」

「あー、それは良かったですね」


 本当にどーでもよかったので、お得意のシラッとした雰囲気を出しながら適当な返事をすると、氷室はいつもの笑顔に戻ってまた喋り始めた。


(というか、もう10分もここで立ち話をしている)


 早く帰りたいんで、もうそろそろいいよな……と、キリのいいところで笑顔で別れの挨拶をしようとしたら、そこで何かを思い出した風に突然氷室がパッと手を叩く。


「そうだ! 今度、旅行に行くんで小宮さんにお土産買ってきますね」


 とても楽しそうにしてきたんだが、これ以上話が長引くとイラついてきそうだ。なので申し訳ない…てな顔で簡単に返事をしてから帰らせてもらうことにしよう。


「お土産とか、そんな気を遣ってもらわなくてもいいので」

「あはは、気は遣ってないですよ」


ここで「本当にいいですよ」と言いながら腕時計を確認し、軽い会釈をした。


「あーじゃあ、そろそろ帰りますね」

「……あ、はい」






 氷室と会った次の日、出勤して会ったとたん角野に呆れた感じで切り出す。


「いや、別に構わないんだけど。―――ほんとお前は、逃げるのが早すぎるだろ」


 それを聞いた角野は、何を今更…という表情になった。


「はい。まーそこら辺は、小宮さんと出会ってから『逃げるが勝ち』の意味を痛感したんで」


「………」




 その日営業から会社に戻り、またまた忙しそうな角野と二人で無言のままひたすら仕事をしていたら、昨日の帰りに会った氷室の事をふと思いだす。



 どう考えても氷室は俺に好意があるよな。


 だったら、すぐに告白でもしてくれりゃ「ごめんなさい」して終了できるんだが、取引先の社員にあーいうアプローチだけをされ続けると、こっちも丁寧にやんわりと拒否をし続けるという無意味なやり取りが起こる事は目に見えている。



 書類仕事をしながら、氷室にはどう対処しようかと静かに考えていたが、なんかもうしんどい…と一気に疲れが押し寄せてきてしまった。


(態度で振るのも、案外な、精神が削られるんだぞ……)


 年に何度もこういう対処を迫られる俺の身にもなれ…と、誰に言うでもない文句を言いながら軽く頬杖をついて遠い目をし、それから大きくため息をつくと、そのため息に気づいた角野が不思議そうに聞いてきた。


「ため息なんかついて、どうしたんですか」

「んー氷室をどうにかしたいなー、とか考えてた」

「氷室さん?」


 頭の上にハテナマークを出したような疑問顔をされてしまったのを見て、俺も「ん?」としばらく考えたあと気づいた。



 ―――おっと、しまったっ。


 なぜ俺は今、物思いにふけっている感じで「どうにかしたい」なんて色っぽく返事をしたんだ。これじゃ、誤解されてしまうだろーが。



 急に背筋を伸ばしハッとした感じで角野の方を振り返るという、分かりやすいジタバタした動きをしながら


「えっと、違うんだ。昨日みたいに偶然に会うのは珍しいよな、とか思ってて。それでな―――」


 焦って言い訳をした、ように聞こえたであろう発言をした俺を見て口元を最大限に緩ませた角野は、おかしそうな顔をしてからツッコんできた。


「何が違うんですか。そして、何をそんなに焦ってるんですか」



 ……なぜ俺は今、必死こいて意味不明な否定をしてしまったんだ。

 ほらみろ、氷室と何かがあったのか? という表情に角野がなったじゃないか。



 ツッコミへの返答をすぐにせず黙り込んだ俺を、角野は首を傾げて不思議そうに眺めてから笑顔で言う。


「まー何があったか知りませんが、取引先の人なんで揉め事にならないように気を付けて下さいね」


「いや、揉め事になるようなことは本当に何も無い。この間だって食事に誘われたけれども、しっかりキッパリとお断りしたんだ」


 ……まぁ「しっかりキッパリ」はちょっと盛ってしまったが、意味的に嘘では無い。


 グッタリと悲しそうに反論した俺を見た角野は、「じゃあ、あんなに焦らなきゃいいのに」という正論を吐いたあと真面目に尋ねてきた。


「で。氷室さんの何が、そんなに気になってるんですか?」


「あーまぁ、昨日な、会ったのは偶然すぎやしないかと……。他にも食事会から急に積極性が増してきたような、とかも……」


「んーなら、何か期待させるようなことをしたとか?」

「それは絶対に無い、……とは自分では思っているんだけどな」


「なるほど。小宮レベルになると期待させなくても追いかけられるのさ、ってことですか」


「いや、そういう意味じゃない……」



(というか俺は、なんで角野に氷室の事を相談しているんだ……)


 少しむなしい気分になって角野の顔をしばらく眺めたあと、思わず両手をドーンと机に伸ばし体全体で机に突っ伏してから顔だけを彼女に向けた。


「角野。俺はもう、こういうのに疲れてきた」


 急に投げやりな態度になった俺を見て、角野が笑う。


「あの無駄に振りまく素敵な営業笑顔をやめて、それから素の小宮をみせたら速攻でモテなくなるんじゃないですか?」


 いまいちその発言に不服があったので、言い返してみた。


「それしたら、営業としては終わるぞ」

「あ、確かに」

「あとな。愛想悪くしても、素見せても、たぶん俺はモテる」


 角野は、ブッと吹き出しながらも納得した表情になる。


「……それも、まー確かに。でも年々モテ度は落ちてきてますから、そのうち嫌でもモテなくなりますって。しかし一度、疲れる位モテてみたいもんですね」


 ちょっと呆れたような、感心したかのような表情で俺を見たあと角野はそそくさと机に向かって仕事を再開し始めた。俺の方は、どうせまた冗談だと受け止められるだろう、と分かっていながらも


「角野だってモテるだろ。俺もお前と付き合いたいとずっと思ってるんだから」


 この台詞と共に机に突っ伏してた体を起こす。


「はいはい。ただモテないんで、それはかなり嫌味に聞こえるんですが」

「いや、俺は、―――嘘をつかない誠実な男、として生きている途中だ!」


「……誠実って。いつからそんなキャラ設定に」






   *********************





 10月の終わり、会社で少しだけ残業をしたあと駅までのいつもの道を一人でササッと歩いているとどこからか女性の大きな声がした。


「あー小宮さん! 仕事帰りですか?」


(───おいおいマジか。また水野かよ。ほんと、よく会うよな)


 声だけで速攻で誰なのかが分かってしまったが、無視する訳にもいかないのでゆっくりと声が聞こえた方向へと顔を向ける。


「はい、そうですが」

「そうですかー」


 水野は相変わらず前置きもなくガシっと腕にしがみついてきてから俺の顔を見上げ、それからいつものように「今から時間とかあります?」とお誘いを掛けてくる。


「すいません。用事があるので、帰ります」

「えー、じゃ明日とかはどうですかー?」



 ―――いや、なんていうかさ。


 水野は二年ものあいだ俺から告白されるのを待ってるかのような、そんな態度を会う度に見せてくる。気が強いというよりは空気を読めないだけなんじゃ…とか思っているが、それはまぁ別にいい。


 それより俺と一緒にいる角野と会う度に、まるで見下すようなバカにした眼つきをするのはやめて欲しい。


 ムカつくんでその度に、今の関係で許される範囲での冷たい対応をしてみせているのに、全くその態度を変えようとしないのはなぜなのか。



 ───特に害は無いので放っておけばいい。


 そうは思いつつも水野の顔を見ていると急激にイラついてきてしまい、気づけば満面の営業笑顔を浮かべながら今までより分かりやすくお誘いを断っていた。


「すいません。明日も、この先もずっと、行くのは無理です」

「………」


 いつものように黙り込んだ水野を、冷たい目で少し眺めたあと営業笑顔を崩し、


「じゃあ、帰りますんで。失礼します」


 淡々と伝えてから、その場を立ち去った。




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