嘘じゃなかったかもしれない発言



 本格的な暑さが襲ってきた8月の始め頃、外回りから会社へと戻り


「ただいま」


 普段より弱々しくドア開けると引田が定期メンテナンスに来ていたらしく、パソコンの前に座っている彼の横に角野が立ちお茶を出していたところだった。


 俺が帰ってきたことに気が付いた二人は、それまでしていた会話を止めてパッと振り返り


「あ、おかえりなさい」

「こんにちは、小宮さん。お世話になってます」


 角野はいつも通りに、引田は少し動揺したあと笑顔を作り挨拶をしてきた。


 とりあえずは引田に向かって「どうもー」と乾いた笑顔で挨拶を返すと、暑さのせいでか疲れた顔をしている俺を見た引田は会釈しながら労わるように笑い、


「では」


 そう言って素早くパソコンに向かい仕事を始めた。


 お茶出しを終えた角野も自分の席へと戻り座ったが、しばらく経っても仕事を開始せず、何かを考えているかのような微妙な表情で手に持った書類を眺めている。


(角野、どうしたんだ)



 えーと。


 俺が帰ってきたら引田がちょっと動揺してたよな。

 で、角野はいま変な顔をしていると。


 そういや、事務所に入った時に漂っていた雰囲気もなんだか―――


 お、そうだ。確かずいぶん前だが、水野に飲みに行こうと誘われた時、「引田さんが角野さん気に入ってて」とか言ってたような。

 

 あの時は速攻で「嘘だ」と思ったが、まさかあれは嘘じゃなかったのか?


 というかあの時点では嘘で今はそうなってるとか。

 いや。ただの勘ではあるが、あれから飲み会とかもあったしな……



(やばい、気になってきた)


 速攻で角野にさっき二人で何を話していたのかと聞き出したかったが、どう考えても引田本人が近くにいる時には話してくれないだろう。


 なので「この伝言は…」など普段通りの決まりきった仕事をこなしつつ、まずはパソコンの前に座っている引田の後姿を見ながら、コイツはどんなタイプの男なのか予想してみる。



 草食系の穏やかな雰囲気で顔も普通ではあるが、身長は高めだ。

 年は27歳だったか?


 女性を誘うのは苦手そうには見えるが、こればっかりは見た目で判断はできない。


 お、でも本当に草食系なら、地味で大人しそうだけど意外にしっかりしてて、しかもよく見ると実は可愛いかもってな童顔な角野は、どストライクな感じかもしれないよな―――



 それから小一時間がたった頃、仕事が終わったであろう引田が立ち上がり振り返った。


「角野さん、すいません」

「あ、はい」


 呼ばれた角野がパソコンの方へと歩いていくと引田は今日の作業の説明をし始め、その説明が終わると確認のサインをもらうための書類を角野に手渡す。


 引田はそのまま事務所のドアの方へと向かい、角野は書類にサインをするために自分の机へと向かったので、二人の様子をひそかにうかがっていた俺はこのタイミングで立ち上がって引田の所まで歩いて行き、背後にヌッと立って話し掛けた。


「引田さん。この後、他にも行かれるんですか?」

「───あ、いえ、今日はもう会社に戻ります」


 振り返ってきた引田は小さめの声で返事をし、角野が持ってきた書類をパッと受け取って帰りの挨拶をした、と思ったらアタフタした動きをして急いで帰っていく。



(おや? 少し怯えてたか? 確かに俺は笑顔じゃ無かったが、睨みをきかせたりもしてなかったはずだぞ)



 ───どうする。彼と会話をする事が全くできなかった。

 

 でもまーみたとこ何にもなさそうだし、きっと俺の勘違いだな。

 でも、なんか怪しいって時には疑っとくほうがいいか?



 その場に立ったまま黙々とそんなことを考えていると、帰る引田を見送っていた角野が苦笑いでサッとこちらを振り返ってくる。


「小宮さん、なんか顔、怖いですよ」


(いや別に怒ってはいない。それに今は真顔だ……そんな怖いか?)




「そういや俺が帰ってきた時、引田と何を喋ってたんだ?」


 自分の席へと歩きながら『一応は聞いておくか』程度の気分でいつもの興味なさげな雰囲気で質問をすると、すでに仕事を始めていた角野は「何を?」と首を傾げる。


「んー別に大したことは……」

「そうか。いや帰ってきた時、角野が変な顔してたからさ」

「変な顔? ───あ、それ。飲み会に誘われたから、かもしれないです」

「………」



 ───飲み会? いつどこで誰とだ。



「へー珍しいな。誰が参加?」

「さぁ、アノ会社で引田さんと仲が良い人たち、とは言ってました」



 ───引田。なぜ俺のことは誘わなかったのかな?



「で、行くのか?」

「うーん。慣れてない人たちなんで、あんまり行きたくないんですけど」

「……じゃ、断ればいいだろ」


「ていうか、日にちも決まってない事なんで後から断ろうかと」

「あ、なるほど。でも引田とそんなに仲良くない、よな?」


 また高田のように、俺の知らない間に仲良くなっていたのかと心配になり、顔をグイッとのぞき込みながら不安げに尋ねた。


「はい全然。だから、誘われた事が疑問で変な顔をしてたのかも(笑)」

「………」


 そんなに変な顔してましたー? あははー と呑気に笑う角野を見ていたら、さっきとは違う意味で心配になってくる。


(お前、ほんとに鈍感だよな……)



 というか、角野さ。


 高田とも「そんなに仲良くないです」とかほざいているが、はたから見れば、かなり仲が良さそうに見えているぞ。


 だからお前はそう思ってなくても、引田の方は仲がいいと思ってるかもしれない。


 ───おっと、待てよ。


 その法則からいくと、俺も一方的に ”仲がいい” と思ってるだけだったりとかするのか?


「………」


 思わずそっと角野へと視線を向け一瞬だけ「どうだろう」と悩んだが、「いやー、さすがにそれはないだろ」と納得しようとした。───したんだが


 ……ま。一応、確かめておこう。



「そうだよな、引田と仲良くなる機会なんてなかったもんな。……でも俺は角野と、かなり仲がいいお友達だよなー」


 笑顔でおどけると、角野はキョトンとした表情になり


「あ、はい。仲はいい方ですよね」


 肯定なのか否定なのか、よく分からない返事を不思議そうにされてしまった。


「………」


(角野。お前にとって俺は、仲がいい友人だ、とすらハッキリと言えない程度の存在なのか?)


 期待していた答えと違ったので、少し、いやかなり落ち込む。



 もういい。


 もう角野に関しては、それでいいとしよう。人見知りをこじらせ過ぎたんだな、きっと。だから、仲がいい基準がおかしくなってるんだろう。


 そうだろうな、きっとそうだ。うん。


 ……それよりも、だ。


 引田はみたとこ気が小さそうなんで、誘いを掛けているタイミングで俺が帰って来たことに少し動揺したのに、更に俺が珍しく真顔で話し掛けたりなんぞしたからビビったのかもな。


 俺は彼氏じゃないんだから、別にバレたって大丈夫だぞ。

 でも角野狙いでの誘いだと分かれば、そうだな、大丈夫じゃなくしてやる。



 しかし引田が相手だといざ争う段になったとしても全く負ける気がしないんで、引田に敵意を持つというよりかは、角野本人の鈍感さの方が不安になってきてしまう。


(なぜ俺はまだ何も起こっていない事を心配して、こんなに疲れているのか)


 急に重く感じてきた体を机にグッタリと預けながら大きく息を吸い、ちょっと気合いを入れてからいつもする遊びノリでの会話を始めることにした。



「引田に誘われたその飲み会、実は合コン的なもんだったりして」


「え、合コンなら断ります。───でももし合コンだったとしても、取引先の29歳をわざわざ選びます?」


 そんな訳ないです、てな感じで手を振り楽しく返してくるので、俺の方も今から楽しく冗談を言いますという顔を作る。


「24歳ですっ! とか嘘つけばその童顔なら全然イケるだろ。ただ年齢バレてるから意味ないけどな(笑) でさ、その合コンの別れ際、引田に愛の告白されたりとかしたらどうする?」


「えーそれも絶対に無いですって。でもそうなったら彼氏がいるって言いますし」


 ナイナイと顔の前でまた手を振る角野を眉をひそめて眺めたあと、困ったようにおでこをかきながらポツリとわざとらしく聞く。


「あー、それ。あの彼氏のことだよな」


 すると角野も同じように眉をひそめ、怪訝な声を出す。


「他に、誰がいると」

「いやほら、この俺、とかさ」


「………」

「………」


 一瞬の沈黙があり、角野は横でグッタリと座っている俺をしばらく眺めてから笑いをこらえたような顔をし、そして本当に笑い始めた。


「あはははっ。なんで小宮さんなんですか」

「ほら、こないだ俺を彼氏として奪い合っただろーが」

「あーあれ。フッフフフッ」

「俺は角野の格好よくて素敵な、自慢の彼氏だったよな?」


 角野は「自慢? 素敵?」と、再び俺の姿をおかしそうにしばらーく眺めたあと軽くうなずく。


「まーそうですね。格好いいってのは認めてあげます。ふっ、でも素敵かどうかは……」


「なぜそこを笑うんだろうな。俺がモテるのは、かなり素敵だからだと」

「あはっあははっ。はいはい、モテるのは十分知ってますから」

「お前、ウケすぎだろ……」


 ここで嘘くさく「酷い…」てな傷ついた風の顔をして角野に笑ってもらい、それからまたまたワザとらしく真面目な雰囲気を出し心配そうに告げた。


「あーそうだ。でもな、もし引田に狙われて困った時には彼氏として助けるから、絶対に言えよ」



 すると角野は俺の方を振り向き、そしていつもする面白がった表情を見せフフンと笑う。


「そんなことありえないですから。でもまーもし狙われてたとしても、とりあえずは気が付いてないフリで逃げてみますんで」


 そして、彼氏というより心配性のお父さんみたいですねーとか言ってから、視線を前に戻し机の上の書類を手に取った。



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