進ませたかった、時間
「角野をとりあえずは何とかしたい」
そう思い立ってから、そろそろ二ヶ月は経ったが───
なーんにも手ごたえがないまま時間だけがドンドン過ぎていき、まだまだ続行しそうな勢いで怖い位だ。
彼氏がいる角野には手を出せない部分が多すぎるので、なかなか進展しずらいってのも要因だが、
それ以前の問題として ”異性として意識してもらうのにもそれなりの時間が掛かりそうだ” となれば、もう仕方がない。
とりあえずは、今まで以上に親しくなれるよう努力すること…から入るしかないが、友人として親しくなりすぎると恋愛対象から外れてしまう危険がある。
だからこのあいだ久々に会った坂上に半笑いで肩を叩かれ「どうだ」と聞かれた時には、こう返答した。
「きっかけがな、ないんだよ」
───が、基本的なことを言えば。
角野に ”小宮が好き” って気持ちが一ミリも無い場合、そんな「きっかけ」なんぞ出来る訳がないよな。
それに以前とは違う言動を俺がしてみせても、全く感情の変化がみられない。
しかも普通なら「あら、もしかして…」となるような、分かりやすい好意を匂わしたとしても、それでも角野にはキレイなスルーをされてしまう。
ある意味凄い。
───というか、まさか、だが。
好き嫌いの前に、本気で俺に興味が無かったりするのだろうか。
*********************
7月に入って仕事が少し暇になってきた頃、こんな会話が事務所で繰り広げられた。
「角野さんって、そろそろ30の大台だけど結婚はまだなの?」
しかしこういう状況に慣れきっている角野は、淡々と顔を上げゆっくりと社長の方へと視線を向ける。
「結婚ですか? ……まぁ、年齢的にもアレなんでよく聞かれるんですが」
「でも相手はいるんでしょ? その人とはどうなの」
「いえ、こればっかりは、どうなるか分かりませんから」
しぶとく質問し続ける社長に、話を早く切り上げたい角野。
「そうなの? いざとなったら、産休もあげるのに……」
適当にしか相手をしてもらえなかったのでつまらなくなったのか、社長はおもむろにお出かけカバンを手に取り立ち上がった。
「じゃ、お出かけしてこようかしら」
相変わらずのマイペースぶりである。
(だが丁度いい、ここで彼氏との進展具合を聞ける。社長もたまには役に立つな)
「行ってくるわ」
社長がウキウキ事務所を出て行ったのを見届けてから、
とりあえず話の流れで聞いただけで、別に深い意味など全くないし―――
そんないつものシラッとした空気感を出しながら、真顔で角野の方を向く。
「社長には、あー言ってたけど、実は彼氏と結婚の話が進んでたりとか?」
「小宮さん、興味ないなら聞かないで下さい」
終わったと思った結婚話にまた戻った事に角野は苦笑いをしたあとしばし沈黙し、それから机に向かって仕事をしたままでポツポツと喋りだす。
「まーでも確かにそろそろ一年経つんで、なんというか……親たちには『いつカナー、ワクワク』という期待感に満ちた雰囲気が漂ってはいますが、───当の本人たちは、そこまで盛り上がってないというか」
「へー」
(なるほど。外堀を埋められ過ぎて拒否反応起こしてる、とかかもなー)
少し元気がなくなった横顔を頬杖をつきながら眺めていると、仕事の手を止めた角野が俺の方へとサッと顔を向け珍しい質問をしてきた。
「小宮さんはどういうタイミングで結婚しよう、と思ったんですか?」
(タイミング? えーっと……)
「あーそうだな。相手がかなり乗り気だったんで『したい』と押されたのと、まぁ自分も28歳だったしその時その相手が好きだったんで───ま、結婚してもいいかなと」
「……案外、軽いノリだったんですね」
「あ、いやいや。今思えばで、当時は真面目に考えてたから。ただそんな軽い感じだったんで、三年後に離婚したんだろうけどな」
思わずちょっと弁解じみた言い方をしてしまうと、角野がおかしそうに小さく笑う。
「でもまー、大恋愛で結婚したからといって離婚しないって訳じゃないですし」
「まあな。会った瞬間に結婚決めたって場合でも、添い遂げる人いるしな」
「あ、でも、それは運命っぽくて良くないですか?」
そこからしばらくは結婚についての話が続き、表面上は平静を装って穏やかに会話をしていたんだが、珍しくここまで俺に聞いてくるってことはそれなりに考えているんだろうと思い。
そして、その気になった二人が一旦「結婚」に向かっての流れに乗り出すと、よっぽどのことが無い限りそのままゴールすることはほぼ決定だ。
だからその流れに乗る前に何とかしたい。
したいが、一体何をどうしたらいいんだか……。
───しかしグダグダ思ってるだけってのも面倒くさいよな。
いっそ当たって砕けろで、勢いよく押しの告白でもしてみるか?
ダメだ。今の状況じゃ砕けるのは確実だし、会社ではほぼ二人っきり状態なのに、砕け散ったあと一体どうすんだよ。
微妙な雰囲気の中、ずっと一緒に働き続ける気か?
(てか、この任務は難易度が高い……)
ひそかにズンっと落ち込みながらも、再び仕事を始めた角野をそっとチラ見すると、探りを入れるような怪しい視線に気が付いたようで
「なんですか?」
「あーえっと。結婚を意識しだすと色々な選択肢が出てきて大変だろうな、とか思ってた」
「そうでもないですよ。モテないんで相手の選択肢は全く無いですし」
俺の言葉にハハッと笑い、胸の前でナイナイって感じで明るく手を振った角野に心でツッコミを入れる。
(全く無いって事はないだろ)
「なんだそれ、とりあえず一人は目の前にいるぞ。俺も角野のことが好きなんだから、その選択肢に入れてくれよ」
いつもの軽口よりは真面目に、かつさりげなく好意を伝えてみたが、角野は特に何の反応もせずいつものノリ的な返しをしてきた。
「はいはい。私も好きですよ」
「………」
でた。角野お得意のスルー。
(いやいや。冗談ぽいとはいえ動揺ゼロってどういうことだ)
あまりにも軽くスルッとかわされたことに多少ムカつき
「おい。今のは冗談じゃなくて、本気かもしれないだろ」
苛立った強めな口調でさっきのセリフの後押しを思わずしてしまうと、角野は「もういいですから…」てな感じで苦笑いをし
「はいはい。じゃ、今の彼氏と別れたら考えてみます」
俺に向かってうっとおしそうにシッシッと手を振った。
「………」
───角野。俺は今、少し心が折れた。
ここ二ヶ月、機会あるごとに角野の事を『女としてみている』と匂わせ、異性として意識してもらおうと努力してきたんだが、それが全く無駄に終わっている事に改めてガックリきている。
まぁ、異性として意識しない関係として5年も俺の同僚してきたんだから、二ヶ月程度で変化させるのは無理があるのかもしれない。
ただ───
『35歳でも、世間一般にはモテる範囲の男だとされてるはずだよな、な?』
誰かにそう聞きたくなるほど、少しも興味を持ってくれないのはつらい。
角野にとって俺は一体どんな男に見えてるんだ。
(というかもう今更すぎて、友人としての立ち位置しか無理なんだろうか?)
ぼんやりとした無気力感が突如として襲ってきたが、無気力になろうがなんだろうが、自然と口が勝手に動いて適当な会話を続けていた。
「そうか。……じゃあ、彼氏と結婚しそうな割合ってどれ位だ?」
疑問顔で「割合?」とつぶやいた角野は、しばらーく考えたあと首を傾げる。
「んー。今の時点では50%位でしょうか」
待て。それ、意外に低いような───
お、ちょっと気分が浮上してきたんだが。
とりあえずは、と机に突っ伏すようにしてダルく座っていた体をムックリと起こし、角野の方に体全体が向くような体制で椅子に座り直す。
「その、50%って……半々だよな。実は、何か揉めてるとか?」
「全く揉めてない、とは言いませんけど」
面白がった表情でニンマリと口角を上げた、そんな角野のそばへと前かがみな姿勢で一歩ほど椅子を寄せる。
「そうか。じゃあな」
「はいはい」
このあと、いつもの軽口で続きのセリフを言うはずが、前かがみから顔を上げたとたん目と目が合い、そのままスッと数秒静かに見つめ合ってしまい───
「なら、角野の相手として俺を選ぶことを、一度本気で考えてみろ」
視線を合わせたまま、真剣に言っていた。
「………」
「………」
(おいおい。今なにげに雰囲気に流されて、軽く告白的な事をしたような)
さっきからグダグダ考えすぎて、心の声が勝手にでたか?
我に返り、角野が今の発言に引いてやしないかと、とっさに反応をうかがう仕草をしたとき
「小宮さん。相手はもういますんで」
角野は素で答え、それから
───でも、今のはかなり、ウケましたけど。
言いながら軽い笑顔をみせ、そしてその後すぐに
「で、この新しいお店の場所なんですが」
話題を変えた。
…
…
…
(あ、俺の心が、本格的に折れた音が、いま聞こえた)
もしかしたら、だが。
異性として意識させるのをすっ飛ばして、俺は今まさか、だが。
「相手はお前じゃない」と振られてしまったんだろうか。
それとも、だが。
いつも通り俺の発言を全く気にも止めず、
ただ単にお得意のスルーをされただけ、なんだろうか。
───分からない。どっちなんだ角野。
店の場所なんてどうでもいいんだ角野。どっちなのか、を教えてくれ。
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